【4日 484年04月】北魏俸禄制! 収賄に対し
【484年04月】
資治通鑑原文2181文字(210/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
7/5-馮太后-8/10
7/17-拓跋宏-8/19
8/3-蕭衍-10/14
・準メインキャスト
7/16-蕭賾-8/14
7/30-蕭鸞-8/15
【あらまし】
これまで紹介してきた「北魏官僚に俸禄がなかった問題」が、この年ついに改善されました。また将来に繋がっていく「六鎮」というワードがここで改めて取り扱われます。こうして体制が強化される北魏に対し、南斉がさもずっとグズグズかのように書かれるのが興味深いです。
【できごと】
北魏における重要な転機が来ます。俸禄制の開始です。合わせて収賄への罰則が強化されました。しかし西晋、もっと言えば後漢末期頃からこのタイミングに至るまで、華北の民と地方官ってどのような暮らしだったんでしょうか。なかなかに想像を絶するものがあります。このときなおも収賄収奪を続ける地方官たちには容赦のない厳罰が課され、一方で民たちの罪については比較的軽い裁きがくだされるようになったそうです。また統治規範であるとか国学、礼制なども定められました。おかしいですね、道武帝の時代にやっていた以上改定だと思うんですが。いや、きっと言葉の綾で、実際には改定だった、のでしょう!
またこのタイミングで、後年につながる重要キーワードが出ます。六鎮です。遊牧民たちが野戦に秀で、攻城戦に長けていないことを踏まえ、対遊牧民族防衛拠点たる六つの鎮の北に長城を築くのが良い、というものです。ここまでの柔然対応と言えばもっぱら皇帝による親征でありましたが、それ以外の、記録に残らない多くの防衛戦がその場で起こっていたのを感じます。ほんとにこのあたり、もうちょっと記録を残していてほしかったものです。
そしてここで、あてつけかのように南斉では皇帝まわりの高官のもとに莫大な賄賂が集まっていたが、武帝はそれを改善できなかった、と書かれます。まるで北魏に比べて南斉が弱腰みたいな書かれ方ですが、システムの複雑度で言えば南朝は北朝の比ではなかったでしょう。ましてそこに南渡貴族の存在が関わります。その改革難易度は天と地ほどであったのだろうと想定が叶います。もちろん、それはそれとして北魏はすごいのですが。
また武帝は「これまでの皇帝たちほどではないにせよ宗族との関係が良くなかった」と書かれてしまいます。これまでの皇帝ということは身内殺しバンザイな悪魔たちだらけであり、高帝も「アイツラがアホやったから俺たちにお鉢が回ってきたんだ、同じアホはやるなよ」と遺詔を残したほどでした。このため武帝は身内殺しこそなんとかこらえていたのですが、その関係は必ずしも良好なものとは言えませんでした。その中で唯一、叔父である蕭嶷については重んじたとありますが、いかにも次の世代に禍根が張られつつある、とでも言わんばかりです、ねっ! 特にこのタイミングでほぼほぼ関係が冷え切っていたであろう蕭鸞が出てこないのが非常に面白いです。




