【3日 483年04月】蕭衍登場! 南朝文学の粋
【483年04月】
資治通鑑原文2653文字(166/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
7/5-馮太后-8/10
7/17-拓跋宏-8/19
蕭衍-10/14
・準メインキャスト
7/16-蕭賾-8/14
7/30-蕭鸞-8/15
【あらまし】
武帝が高帝時代の名臣を次々と誅殺しています。そうした中、いわゆる竟陵八友が登場します。南斉文学の中心人物たちであり、その中には、後の梁武帝、蕭衍がその名を連ねています。
【できごと】
南斉による宋末忠臣の慰撫が続きます。袁粲や沈攸之の名誉がここで回復されました。一方で武帝は太子であった時代にあまり関係が良好であったと言えない人物、高帝の文武の側近とも言えた人物に謀反嫌疑を掛け、次々と誅殺します。 この中には沈攸之にとっての埋伏の毒として働いた張敬児もいました。ここで張敬児の姻戚に陳郡謝氏の謝超宗という人物がいたのですが、このひとがうっかり知人に「去年は韓信が殺され、今年は彭越が殺された! この先、どう計らうべきであろうか」などと言ってしまったためその知人により武帝に報告され、謝超宗もまた誅されています。こうした中で琅邪王氏は改めて宰相としての地位を確立しています。ほんと怖いなこの一族。
そして、ここで登場するメンバーがいます。南斉文学の象徴とも言える竟陵王の蕭子良と、そのフレンズたる八友です。特に著名なのが筆頭の范雲、文学の巨塔たる任昉および謝朓、のちに宋書を編む沈約。そして、このひとの名が現れます。蕭衍。武帝とは五代前の先祖を同じくする縁戚であり、言わずとしれた、後の梁武帝です。彼らは蕭子良のもとで闊達な文学談義を交わしました。その後彼らにあんなことやこんな事が起こるなどとは、このとき誰が想像したことでしょうか。
さて、北魏では太子が生まれます。拓跋恂と言います。先に言いますが、このひとは皇帝にはなりません。なりませんが、その母親は馮太后の命で殺されます。相変わらず子貴母死は別の意味で正しいなと思わされる展開です。また、南斉からやってきた使者である劉纘が貨殖にがめつい人物であると書いた後、その劉纘が馮太后に密かに寵愛されるようになった、と付記されます。なんと言うか、密かに寵愛とはまたずいぶん便利な言い回しですね。
司馬光さん的には、この時期の北魏の内政が充実しつつあったと紹介したいのでしょう。酷薄な統治を行っていた于洛侯が民よりの弾劾を受けて処刑された、と紹介されると、続いて寛容を尊ぶ韓麒麟が部下からその統治方針をもっと厳しくすべきと言われ「刑罰は悪を止めるためのものではないのか?」と返し、部下を恥じ入らせています。なお名地方官のエピソードは北魏が多いです。南朝もいたんでしょうけど、ねえ。




