表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇七月】四五一年一二月~四八一年〇五月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
212/240

【30日 479年07月】北魏南侵! 宋の皇族を担ぎ

【479年07月】

資治通鑑原文2364文字(189/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 7/1-蕭道成-8/1

 7/5-馮太后-8/10

 7/17-拓跋宏-8/19

・準メインキャスト

 7/16-蕭賾-8/14

 蕭鸞-8/15


【あらまし】

 高帝が宋の時代の悪弊をばしばし改善していきます。マジでまともな人だ。一方北魏では亡命してきていた宋の皇族や自称桓玄の子孫を担ぎ出して南征を仕掛けましたが、跳ね返されました。ヤバい、南斉つおい。



【できごと】


 高帝がいざ立つと「それ!」と叫びたいものが結構あります。たとえば宋の時代には交州、つまり北ベトナムで乱が頻発していたのですが、ここで高帝は「前朝の統治がクソだったからだろ」と交州を特赦します。また孝武帝の時代以降戸籍が乱れていたのをいったん文帝の時代に引き戻してそこから整え直す、という施策も打っています。なんというか政策は常識人です、びっくりするくらい常識人。こういうひとが虐殺を繰り広げねばならなかった宋という国の宮中がどれだけ異常だったのかがよくわかります。あと以前「このひとの伝を知りたい」と書いていた王玄邈が大きく取り扱われていて歓喜です。それによると高帝が宋の明帝に疑われて北魏を引き入れようとしたときにその謀略を持ちかけられたのですが突っぱね、逆に明帝に報告さえしていました。ただこの気骨が却って高帝の目に留まり、その後仇池周りの反乱鎮圧で活躍することができた、とのことです。なんて清涼飲料水のような活躍でしょうか!


 そして、このタイミングでのちの南斉明帝、蕭鸞が登場します。高帝の兄の子で早くに父を喪っており、そのため高帝は自身の諸子以上に蕭鸞を可愛がっていたそうです。


 さて、宋斉革命のおかげで全然触れられなかった北魏について書いておきましょう。実は記事はありました。馮太后が気に食わない臣下を粛清しました、というお話です。はーい。


 そしてこの年、北魏は南斉の創建を受けて軍を動員、前廃帝の時代に宋から亡命してきていた文帝の息子のひとり、劉昶を担ぎ出します。また蛮、自称桓玄の子孫たる桓誕が先鋒を志願したため採用。すごい、どこから見ても北魏に義がある感じにしか見えません! ただしこの年の南征はさほど大規模なものには至っていません。鍾離を狙い、撃退された、とのことですので、献文帝の時代よりも国境線が後退していて、しかもそれを回復できずにいたのがうかがわれます。この動きには諸蛮も連動しましたが、やはり跳ね返されています。約四半世紀後に発する鍾離の戦い、その前哨戦は南斉の勝利で終わりました。とは言え北魏は、引き続き南下を狙うのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ