【28日 477年08月】袁・沈敗死! 斉はすぐそこ
【477年08月】
資治通鑑原文6640文字(30/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
7/1-蕭道成-8/1
7/5-馮太后-8/10
7/17-拓跋宏-8/19
・準メインキャスト
7/16-蕭賾-8/14
【あらまし】
後廃帝を排除した蕭道成ですが、その前に立ち塞がる者たちがあります。袁粲と、沈攸之です。この両名を退け、いよいよ蕭道成が宋という国の中で独歩を築きます。
【できごと】
この年をどう評価するか。蕭道成が皇帝となる決定的な契機を得た、と言えるでしょう。そこに至るまでの陰湿な権謀術数の数々は軒並み南斉書に示される「南斉高帝の立身の物語」に収斂されます。このあたりについては「信じるだけ無駄だけど下手に退け過ぎても徒労に陥る」みたいな感じなんだろうなあ、と思いました。
後廃帝がおよそ皇帝にあるまじき殺され方をしたことは、それを認めれば宋からすると「我々の権威はどん底でした」と認めるようなもの。このため、袁粲や沈攸之は「いや廃するにしてもさぁ、もうちょいやりようがあったんじゃないの!?」的名目論で蕭道成を詰めようとします。蕭道成にしてみれば理不尽に殺されることを受け入れろと言われているようなものです。もとはといえば袁粲が廃立に反対したからこその経緯なのに何を言ってんだこいつは、という感じですね。このため袁粲はあっさりと蕭道成に攻め殺されました。なおこの袁粲の末期に対し、裴子野は「匹夫なりに筋は通してるけど、国の中枢に匹夫がいるってどうなの?」と、えげつないくらいに辛辣です。
一方で、西方で勢力を確保していた沈攸之です。資治通鑑の言葉を信じればもともと謀反する気満々だった、と書かれますが、このあたりは「蕭道成に立ち向かった」ことからの逆算が生じていそうです。つまり蕭道成に逆らった=もとから謀反を企んでいた、です。このあと沈攸之は蕭道成に阻まれたところを張敬児に本拠を落とされ自殺するのですが、公的見解として「謀反を企んでいた」とこそ拾うものの、その敗北に対してはかなり同情的です。また、ここまでの流れで風見鶏を貫いていた褚淵に対しても、世論がかなり辛辣だった、と書かれます。それはそう。あと興味深いのは、いよいよ王朝交代というタイミングになると、突然蕭道成の周りににょきにょき琅邪王氏が生えてきます。晋宋革命でも琅邪王氏は存在感を示していましたが、ほんとなんなんでしょうかこの一族は。
こうしていよいよ禅譲待ったなしとなった宋を尻目に、北魏ではこの年も西方で仇池の反逆を受けています。宋書氐胡伝を見るに仇池系の将が大活躍だったとのことですが、いっぽうで仇池に隣接している劉宋系の梁州および益州それぞれの守将たちの援護も重要なのだろうと感じます。にもかかわらず宋書を見ても「刺史が交代しました」くらいの情報しかありません。この当時の梁州刺史は王玄邈、益州刺史は傅琰。彼らの伝があったら、めっちゃ読んでみたいです。




