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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇五月】三九四年〇二月~四二三年〇六月

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122/127

【1日 394年02月】前秦西燕 同時滅亡!

【1日 394年02月】前秦西燕 同時滅亡!【394年02月】

資治通鑑原文2114文字(217/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/4-慕容垂-5/3

 4/7-拓跋珪-5/17

・準メインキャスト

 3/24-呂光-5/7

 4/3-慕容徳-5/13

 4/9-桓玄-5/11

 4/28-赫連勃勃-6/3

 4/24-姚興-5/25



【あらまし】

 前秦と西燕が同年に滅びました。そして後秦と後燕がよしみを通じました。嫌がらせみたいな話ですね! さらに前秦を滅ぼした乞伏乾帰が秦王と名乗ります。前秦に代わって後秦と喧嘩する気満々のようです。



【できごと】


 苻登、姚萇の死を受け、喜び勇んで最終決戦に向かいますが、残念ながら姚興は英主でしたし、それ以上に姚興を支える宰相の尹緯ができものすぎました。尹緯は前秦軍の補給線が乏しいことを見て取り進軍ルート上の水源を封鎖。これで前秦軍は尹緯を倒さねば水を確保できない状態となり、恐慌状態となりました。ここで尹緯は突撃を仕掛け、大破。苻登は単騎乞伏乾帰のもとに逃れ、再起を図りますが、姚興軍本体と衝突し、敗死。弱り目に祟り目と言いますか、残された息子の苻崇は、今度は乞伏乾帰に命を狙われます。そこで苻崇は仇池の楊定のもとに逃れましたが、乞伏乾帰の軍は両名を打ち破り、殺害。ここに前秦が滅亡しました。いきなり王を失った仇池は楊盛が後を継ぎます。これがいわゆる後仇池。なお前秦を滅ぼした乞伏乾帰はここで秦王を名乗ります。西秦です。


 東では西燕も最終局面に陥っています。鄴に出てきた慕容垂を防がんと備えた慕容永は、しかし後燕軍が敢えて「どのルートから進軍しているか」を盛大にアピールしながら進んできたため本命を見出しきれず、翻弄されるがままとなりました。こうなっては恥も外聞もありません。「このまま後燕が大きくなったらこまるでしょう?」と、北魏や東晋に救援依頼を飛ばしますが、然したる援護も得られないまま包囲され、滅ぼされました。このとき西燕の主要将はのきなみ殺され、長安より持ち運んでいた天子の車や装束、楽隊、珍宝がことごとく後燕の手中に収まりました。こうなると後燕の勢いは止まりません。青州一帯もあわせて攻撃、陥落させ、最大版図を築きます。こうした事態を受け、姚興からは和親の使者が遣わされました。中原二大国の結託とか、周辺国にとっては悪夢としか言いようがありません。なお主要将がのきなみ殺されたとは言いますが、その中で馮安という西燕将はむしろ厚遇を受けています。この人物は、そう。のちの北燕、馮跋の父親です。


 この年柔然の郁久閭社崙が柔然王国を正式に立ち上げたり、晋では劉裕の義理の兄に当たる臧燾が皇太后追尊の議論で発言したりもしています。このあたりはおまけの話ですが、ともあれ劉裕最底辺説いい加減にしろよってことです☆


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