表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇四月】三六五年〇八月~三九四年〇三月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

121/127

【30日 393年02月】姚萇死亡! 苻登歓喜

【393年02月】

資治通鑑原文1180文字(298/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/4-慕容垂-5/3

 4/7-拓跋珪-5/17

・準メインキャスト

 3/17-姚萇-5/1

 3/24-呂光-5/7

 4/3-慕容徳-5/13

 4/9-桓玄-5/11

 4/28-赫連勃勃-6/3

 4/24-姚興-5/25



【あらまし】

 後秦で姚萇が死亡、嫡子である姚興が武勲を建てた上で正式に王となりました。この事態に大喜びした苻登はついに最終決戦を決意します。また慕容垂も慕容永の打倒を決意。周囲が反対する中唯一賛成した慕容徳の発言を嘉し、出撃します。なおこの年の晋は洛陽から後秦にちょっかいを出して敗北した、くらいしか書かれません。



【できごと】


 前秦対後秦の戦い、いよいよ最終局面です。前年より病がちであった姚萇が容態を悪化させました。 この頃両国の境目あたりで独立勢力がうごめいていたのですが、前秦に攻められたため後秦に救援依頼をしてきます。ここで姚萇は臣下の言葉を受け入れ、姚興に援軍の将として向かわせ、武勲を立てさせました。また晋が洛陽と長安を結ぶ重要拠点である潼関にまで攻め寄せましたがこれは撃退。こうした状況を受けて安心したのでしょうか、姚萇は姚興の支援体制を確立した上で「こいつらを誹るやつがいても聞く耳は持つな、恩・礼・信・仁をもって臨め」と言い残し、死亡。ところで資治通鑑は姚萇の死に様を美しく描いていますが、死亡直前に姚萇は苻堅に襲われる夢を見てキンタマを腫れ上がらせて「だーから! 陛下を弑したのは兄貴であって俺じゃありませんってば!」とうわごとを言っています。ダメでしょ司馬光さんそれスルーしちゃ。


 そして姚萇死亡の報を受けて苻登は「やったぜ、これで勝った!」と言いだしています。苻登さん、それはいけない。フラグ台詞にすぎます。


 後燕では、慕容垂が慕容永討伐を決意します。臣下らは慕容永に然したる落ち度がないこと、兵らが連戦に疲弊していることなどを理由に反対しましたが、この中で慕容徳のみが賛成意見を唱えます。慕容垂は「わしの子孫に禍根を残すわけにはゆかぬのだ」と慕容徳の言葉を歓迎し、出征。慕容永のいる長子と太行山脈を挟んだ向こう側である鄴に陣取り、向かい合います。


 西方では鮮卑禿髪部の禿髪烏孤が勢力を広げる中、ひとまず呂光に臣属を誓ったりをました。だいぶ落ち目のような気もしますが、誓ったそうです。なお、この禿髪烏孤がのちに南涼を建てることになります。ゆっくりと五胡十六国時代の最大カオスポイント、四涼乱立の時が近付いていますね。また乞伏乾帰が子の乞伏熾磐を太子に立てています。この国も周辺が戦乱に次ぐ戦乱の中、したたかさが際立っている印象です。乞伏はここからの動向が面白いので、要注目です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ