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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇四月】三六五年〇八月~三九四年〇三月

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117/131

【26日 389年05月】大界の戦い! 苻登に楔

【389年05月】

資治通鑑原文2477文字(182/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/4-慕容垂-5/3

 4/7-拓跋珪-5/17

・準メインキャスト

 3/17-姚萇-5/1

 3/24-呂光-5/7

 4/3-慕容徳-5/13

 4/9-桓玄-5/11

 4/24-姚興-5/25


【あらまし】

 苻登、拠点を手薄にして姚萇を攻めていたら、その姚萇に拠点を落とされてしまいました。この出来事は以降の前秦対後秦の戦いに決定的な転機をもたらします。晋では中央の統制が加速度的にグズグズとなりました。各地の火種、全然収まる気配がありません。



【できごと】


 苻登、この年までは基本的にイケイケです。しかし、ここで状況の覆る事態が起こってしまいました。それが大界の戦いと呼ばれます。苻登は大界を拠点に引き続き姚萇を押し込みます。しかし姚萇、ここに苻登の気の緩みを見て取ります。本陣の守りはそのまま、自身が別働隊を率い、もぬけの殻であった大界を自ら襲撃、陥落させてしまいます。ここには苻登軍の主だった軍資があったため苻登にしてみれば単純に大損害だったのですが、しかしそれ以上に、以降の苻登は常に戦いの時に後背を気にするようになりました。しかも姚萇もちょくちょくこのトラウマをえぐる攻撃を仕掛けるしで、以降、前後秦の戦いは一気に後秦有利に傾いていきます。


 こうした中、乞伏氏は勢力を伸ばしますし、またここまで前秦軍に協力的であった仇池系の武将、楊定が仇池方面に勢力を移動し、隴西王を自称しました。のちの後仇池です。苻登はこうした半自立化の動きを容認するよりほかなく、その軍事力を日に日に削減させていきます。


 後燕は確実に勢力を広げますが、一方で南で翟遼がわちゃわちゃしており、どうにも北に集中しきれません。太行山脈を挟んだ向こうには相変わらず西燕がよくわからない動きをしていますし。そんな西燕は洛陽を襲撃するも朱序に跳ね返されています。ただ、ここに更に翟遼も迫ってきたので、朱序自身は拠点を襄陽に移しました。


 さて、前年に桓石虔が死亡すると、荊州の守り、その後任が王忱に決まります。彼は太原王氏で、その兄は司馬道子に阿諛追従することで大権を得た奸臣の王国宝。そして北府の統括には、やはり太原王氏ですが、別系統の王恭がつきます。ともに軍事的実績はほとんど載りません。この頃の孝武帝は酒と仏教に入れあげていたということで、司馬光さん、特にコメントはしませんがかなりご不満の様子です。この様子を憂う人物のひとりに車胤というひとがいました。このひとは誰あろう「蛍の光、窓の雪」のうち蛍の光のほうの元ネタの方です。学問に邁進して官途に就いた結果がこんな乱脈の只中とは、車胤さん、一体当時の朝廷に何を思っていたことでしょうか。

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