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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇四月】三六五年〇八月~三九四年〇三月

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116/127

【25日 388年05月】奇行師姚萇! 苻登ドン引く

【388年05月】

資治通鑑原文1446文字(274/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/4-慕容垂-5/3

 4/7-拓跋珪-5/17

・準メインキャスト

 3/17-姚萇-5/1

 3/24-呂光-5/7

 4/3-慕容徳-5/13

 4/9-桓玄-5/11

 4/24-姚興-5/25


【あらまし】

 姚萇と苻登の戦いは一進一退。そうした中で姚萇が奇行の数々を繰り出し、苻登を戸惑わせています。北魏と後燕はいよいよ衝突の気運を高めるようになり、呂光は王を名乗る。華北のカオス、まだまだ続きます。



【できごと】


 前秦と後秦の戦いは伯仲。このため後秦側の人士で前秦側に流れてくるものも出始めました。まぁここには動勢もそうですが苻堅の死体をわざわざ辱めるような真似をしでかしたのもひとつ原因にありそうですけれど。なにせ姚萇、苻登に囲まれた際にこれ見よがしに号泣されています。ただこの心理攻撃に対し、姚萇は自分自身の軍も号泣させることで対抗、苻登を撤退させました。わけがわからないよ。このとき姚萇は苻堅の像を作って「陛下が亡くなったのは兄貴の恨みが祟っただけであってぼくに責任はないよ! なのでぼくを守ってね!」と戦勝祈願をしていたのですが、全然苻登を倒せないのでついに像の首をへし折ってそれを苻登に送りつけました。わけがわからないよ。苻登はドン引きしたのか、体制を整えるためか、大界に引き、そこを拠点にします。


 両国の戦いを脇目に見ながら、勢力を伸ばすのが乞伏氏です。乞伏国仁こそ死亡したものの、弟の乞伏乾帰がその勢力を継承し、さらに体制を固めました。ここは既に紹介した通り後の西秦なのですが、前秦後秦がバトルをしているところで更にこう呼んでしまうと混乱が加速するので、当企画ではしばらく乞伏と呼ぶことにしておきます。その更に西では呂光がいよいよ王を名乗りました。この段階では三河王ですが、もうここから後涼と呼んでしまいましょう。


 そして北魏と、後燕。どちらも着実に勢力を拡大していましたが、拓跋珪にしてみれば中原進出に蓋をされている感じです。このため動静をうかがうため甥の拓跋儀を使者として派遣。拓跋儀は慕容垂から威圧を受けるのですが、「あ、このジジイもう耄碌してるわ」と察知し、帰還すると拓跋珪に「あのジジイ死んだらあとは分裂待ったなしですよ」と報告しました。


 さて、この年淝水の総大将のわりにぱっとしなかった人物、謝石が死亡しました。ところで過日、晋では「名に石字のある人物が苻堅を倒す」とされていましたね。こうして見ると淝水の戦いの前に桓豁が死亡したのは、本人にとってはラッキーだったのかもしれません。なんだったら桓沖もショックを受けていそうですし。そういえば桓石虔はこのとき荊州の軍府を請け負っていたのですが、やはりこの年に死亡しています。ただの偶然とは言え、この流れ、桓玄はどう見ていたんでしょうね。

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