【13日 376年12月】代滅ぶ! 危うい覇権
【376年12月】
資治通鑑原文1947文字(235/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/15-苻堅-4/22
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍▲
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
【あらまし】
代を滅ぼし、前秦の覇権はいよいよ頂点。しかしその内情を、慕容の若者たちは冷たく見切っていました。また晋では対前秦シフトが更に固められ、ここでついに謝玄が北府軍のリーダーとして立ちます。
【できごと】
拓跋什翼犍が死亡しました。息子の拓跋寔君に殺され、残された拓跋珪は賀蘭部に引き取られた、と書かれます。一方で晋書や宋書、南斉書では拓跋什翼犍が拓跋珪により前秦軍に捕らえられ、後日連行先の長安で客死した、と書かれます。これのどちらが正しいのでしょうか、よくわかりません。確実に言えるのは、ここで前秦が代を滅ぼし、五胡政権として最大の中原版図を築いた、ということです。このため資治通鑑が載せる代国遠征周りの詳細は全て省き「そういうことがあったらしい」で片付けます。あ、二点だけ書いておきます。ひとつは拓跋珪の叔父、拓跋窟咄が、この当時すでにいい歳であったのに拓跋什翼犍にまともに取り合われていなかったこと。もうひとつは滅ぼされた代が劉衛辰と劉庫仁とで分割統治されると「功労者であるはずの自分が劉庫仁より取り分が少ないのが気に食わない!」と劉衛辰が劉庫仁に襲いかかるも打ち破られた、と言うのも。いやほんと劉衛辰さんのこの……。
苻堅はこの大戦果を誇りますが、一方で前秦にいる慕容恪や慕容垂の息子たちが慕容垂に「秦国内の綱紀が乱れてきている」と指摘、決起を慕容垂に勧めていました。慕容垂は「いまは時ではない」と彼らをたしなめています。前秦、栄光の陰でなかなかに不穏です。
対する晋では、対前秦シフトが進みます。ここで朱序が襄陽に赴任します。蜀が落ちている以上、対前秦の最前線です。また桓豁が死亡したため、改めて桓沖が荊州、即ち西府の総取締に。またここで北府は謝玄が大抜擢を受けます。謝安による縁故人事かよ、とも言われるのですが、謝安となかなかにバチバチであった郗超が「あの有能を身びいきと見られても押し切れてしまうのが謝安の恐ろしいところだ」と語っています。実際に謝玄は赴任早々、劉牢之らをはじめとした猛将を召し抱え、精強な軍を編成しています。なお、これまで平然と「北府」と呼んできていますが、実はこのタイミングが初出です。だって便利なんですもの。
こうして南北の緊張が高まるなか、鮮卑乞伏部において乞伏国仁が大人として立ちました。このひとは淝水の戦いののち、西秦を建てることになるのです。




