第62話 ふたりのゴール
リハーサルの予定が押していたので、合唱部の番が終わった頃には昼休みが終わろうとしていた。
俺たちは急いで「多目的室111・112」に戻って昼食をとることにしたが、山口先生と岩村先生が、昼休みが遅れた分だけ午後の練習も遅らせようと言ってみんなをたしなめた。
「ちゃんと休んで。あまり気を張り過ぎないようにね」
「休まずに練習して身体だめにしたら、明日の本番どうするの?」
俺たちはそう言われて、遅い昼休みを過ごすことになった。
・・・・・・
みんな気を緩め、少し和んだ空気の中で鞄から弁当箱を取り出す。
俺もいつも通り昼飯をかっ込んでしまおうと、片手で弁当箱をつかんで鞄から引き出し、そのまま床に座った。
その時――
ふわり、と感じ取れたかすかな風。
見上げると、陽和がやわらかな笑顔で俺を見おろしていた。
「輝、いっしょに外行かない?」
「え――?」
「時間はあるんだし……だめ、かな」
……陽和に連れて行ってもらえるなら、いいか。
「うん、行く」
そう言って立ち上がると、陽和はほっとしたように息をついた。
・・・・・・
学校外周の森――
俺と陽和が、真っ暗闇の中で身を寄せ合ったその場所。
陽和はふたりで過ごしたそのベンチの場所を覚えていた。
あの時は門限をオーバーして真っ暗になるまで居座っていたが、ここは本来そんな場所じゃない。生徒が昼休みや放課後に散策したりベンチに座って休んだりする、そのために作られているものだ。
俺と陽和は、これまで2度身を寄せたベンチに座って、膝の上に弁当を広げた。
「あ、そうだ輝」
「はひ?」
「こら、食べながらしゃべらない」
陽和はそう言ってくすくす笑う。
「なに?」
ちゃんとした返事を返すと、陽和は逆に怒ったような表情をした。
「いつも思ってたけど、そういうの、だめだよ。もっとよく噛んでゆっくり食べなさい」
……それは自分でもちょっと思ってたけど、同級生に言われちゃうか。
「お母さんかよ」
「へ――?」
ちょっと茶化すと、陽和は顔を逸らした。
でも効いたのは分かってる、肩にぐっと力が入っている。
「……」
陽和はしばらく固まってから、ためらいがちにこちらを向いた。
「輝、あの……ちょっと、聞いてくれる?」
「ああ」
俺は箸を弁当箱に置いた。
陽和の顔を見ると、陽和は目を逸らす。
「えと……ほら、かおる祭、もう明日だよね。あと1日しか、ないっていうか……、えっと、だから――」
歯切れ悪く、言いたい事を言わない陽和。
そして、陽和が言いたい事に気付いて肩に力が入る俺。
「だから、もう少し一緒にいたいっていうか……その、もうそろそろ、ちゃんと言ってもいいかなっていうか――いい、かな?」
「いいかな」って……
それは――
ここまで1ヵ月一緒に過ごして、二股疑惑が噂されるくらい親しくなって――実際、言葉に出していないだけでそれくらいの仲にはなっていて。
そんな陽和が「言ってもいいかな?」と言う、その言葉は――
「……っ、ごめん。何でもないっ!」
陽和は大きな声で、その言葉をかき消した。
「……うん」
俺も、それ以上何も言わず、何も聞かなかった。
・・・・・・
それからしばらく俺たちは、黙々と昼食をとって、そのまま何となく並んで座っていた。
しかし昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴って他の生徒たちが慌てて校舎に戻っていくと、ただふたり森に取り残されてしまった。
リハーサルの都合で遅れたのだから別に怒られはしないのだが、誰もいなくなった校舎外にいるのが気まずく思って、ベンチを立って場所を変えた。
なんだか校内からの目が気になって、ふたりで周りから見えない場所を目指す。まだ、みんなのいる部屋に戻る気にはならなかった。
この学校の校舎は、東西方向に縦長のものが3つ横並びになって、長い中央廊下で繋がっている。
最も古い中央の校舎は新校舎に役目を譲って解体待ちで、誰もいない。この古い校舎が、反対側の校舎からの目隠しになってくれる。
関係者以外通れない新校舎の入口から中へ。廊下の突き当りにぼんやり見える「多目的室111・112」の白いドアを横目に見て、中央廊下へ向かった。
新校舎1階が立入禁止だから、2階建ての中央廊下も1階は立ち入りを禁じられている。頭上を行き来する他の生徒たちからは、姿を見られることはない。新校舎のこちら側は多目的室ばかりで、今日は各クラスの荷物置き場にしか使われていない。
新校舎の廊下からも隠れて――合唱部の誰かが急にドアを開けても、この中央廊下にいれば視線は通らない。
座る場所もなかったが――陽和と俺は、中央廊下の壁にふたり並んで背中を預けた。
・・・・・・
「輝……もう、決めた?」
陽和が静かに聞いてくる。
「何を?」
「かおる祭の後……合唱部に、残るかどうか」
「……」
それはこの前、遊園地の観覧車の中でも聞かれた。
あの時俺は「分からない」と答えた。
そして――
「分からない……まだ」
答えを出さずに、ずるずるとここまで来てしまった。
「そっか。分からない、か……」
なんだか噛みしめるように言ったその言葉。隣を見ると、陽和は口をぎゅっと結んで前を見ている。
「分からない、なら――」
そう言って陽和は、その顔をこちらに向けた。
「なら――私と一緒にいて」
合唱部にいてくれと――?
「ちょっとずるい言い方だけど……『合唱部のみんな』じゃなくて、『私と』一緒に――毎日、一緒にいて」
……。
「それなら――『合唱部に残る』って、迷わず言えるでしょ、輝?」
陽和……
「私、輝のこと……好き」
今まで、薄々分かっていて、でも口にするのも耳にするのもなんだか怖くて、避けていた言葉。
俺は言葉にはしなかったくせに、半ばそのつもりで陽和と付き合ってきた。
「だって輝、かっこいいし、やさしいし……それに――」
そう言って、陽和は俺の目を見つめた。
「輝も、こういうの『憧れてた』って言ってた……でしょ。この前」
……そう。言った。
あの時、観覧車の中で。陽和と足を絡ませながら。
「私、もっとずっとこんな生活がしたい。同じ部活で、もっと繋がってたい。輝が合唱部を続けないって言うなら止めないけど……『分からない』のなら――これで、合唱部にいる理由ができるでしょ。輝だって……」
……うん。
「輝だって、私のこと――」
「待って」
俺が言葉を遮ると、陽和の表情がさっと不安に染まった。
それでもここで、陽和にそれを言わせてはいけない。
「そう、そうだよ……」
ためらって、言葉が切れてしまうが――
「俺も、陽和のこと……好き、だから」
今まで避けてきた言葉――とうとう、ここで言った。
自分からじゃなく、陽和に言わせてもらう形でではあったが。
それでも、陽和は初めて会ってから一番の笑顔を咲かせた。
「輝――」
そして陽和の言う通り、これで合唱部に残る以外の選択肢はなくなった。
もうそれしかない。陽和と一緒に、ずっと繋がり続ける選択肢は。
「それじゃあ……」
陽和の笑顔に、目一杯の期待が込められる。
その笑顔に向けて、俺は言った。
「うん、一緒に、つ、付き合って、いこう。これから」
「うん、うん!」
陽和はそう言って、ぱっと俺の胸に飛び込んできた。俺はその勢いに、数歩よろけた。
これまでで一番、近く強く感じられる髪のにおい。やさしい体温。くすぐったい吐息。陽和の全部が、感じ取れる。
そんな陽和を、両腕でぎゅっとつかまえる。陽和はそのまま、腕の中から出ようとしない。
どうせ誰も見ていやしない。お互い満足するまで、このままでいよう。




