第59話 時間は
広見寺を後に、来た道を引き返してロープウェイ乗り場の前まで戻って来た。
ロープウェイの改札には向かわずに、すぐ手前の「広見山楽器館」へ入る。ここには、普段近くで見ることのないような様々な楽器が展示されている。
展示と言っても、観光客向けの演出重視で置いてあるものだが――みんなの反応はいまいちだった。
みんな合唱部員――いつも自分自身を楽器として歌っている身だ。それ以外は知らない。こういう所は、器楽部の明のほうが面白がりそうだ。
・・・・・・
館内放送で、ちょっとしたコンサートイベントがあると言うので、そちらに行ってみることにした。
会場の重い扉を押し開けると、その先にまた同じ扉。俺……いや、俺たちにとっては、よく見覚えのある構造。
ふたつ目の扉を開くと、いくつもの座席が眼下に広がっていた。
身近な市内の施設なのに、こんな設備があるとは知らなかった。小規模だが、音楽をやるホールが館内に作ってあった。
「すごーい! 見て見て、あれ!」
「絵里、静かに」
はしゃぐ絵里さんを花菜さんがたしなめる。
でも、はしゃぎたくなるもの分かる。ずらりと並んだ座席の向こう、舞台の上には――それほど大きくはないが、パイプオルガンが設置されていた。銀色のパイプが幾本も、その存在を誇示している。
こんな物まで置いてある――「楽器館」の名は伊達ではない、ということか。
今日はこれから、あのパイプオルガンを演奏するのだそうだ。
ホールの中は混んでいて、俺たちは後ろの方の席に座った。
俺たちだけでなく、他の観客たちもパイプオルガンに熱い視線を送っている。確かにあれは、鳴らされていなくても人の目を惹きつける美しさを持っている。
だが――
俺はその舞台を見下ろしながら、そのパイプオルガンの姿に、座席の中で身震いした。
時間になって、客席の照明が落とされ、舞台がひときわ明るく照らされる。演奏者が舞台へ進み出る。礼をして、拍手が鳴り、それからパイプオルガンの前の椅子に座る。
荘厳なパイプオルガンの音色が、ホール内を――最後列に近いこの客席まで、震わせてくる。
ここは客席、あそこは舞台。そしてたったひとり、鍵盤を手足で弾いているのは演奏者。
「……」
かおる祭――男声独唱。会場も楽器も異なるが、やるべき事は俺と同じ。
俺はかおる祭の当日、あのパイプオルガンと同じように音を出さなければならない。こんなふうに、会場全体の空気を震わせなければならない。
そうでなければ――
もう一度、身を震わせる。客席から見る俺は、あんなにも小さいか。
・・・・・・
20分程度の演奏が終わって、みんなでホールを出る。
この楽器館の屋上は展望台になっているそうなので、みんなで行ってみることにした。
「輝さん……」
気づけばそばに来ていた千尋が、俺の顔を見ている。
「どうしました? 調子が悪いですか?」
「え? いや」
別に調子は……千尋こそ、どうしてそんな事を聞くんだろう。
「さっきホールに入ってから、いつもと少し様子が違って見えましたけど」
……。
それ、気付けるものなのか。
「大丈夫ですか?」
「うん。大したことじゃないよ」
だから大丈夫、という意味で言ったのだが――千尋はじっと顔をのぞいてきた。
「小さなことでも、言ってください」
そう返される。
なるほど確かに「大したことじゃない」は「小さな問題はある」ともとれる言葉になる。千尋は、俺がほとんど反射的に選んだ言葉をきっちり捉えてきた。
「えっと……かおる祭のこと、ちょっと考えちゃって」
「かおる祭――?」
千尋はそう言って、しばらく考え込んだ。
それから――
「違いますよ」
「へ――?」
急に、脈絡のないことを言ってきた。
「かおる祭は私たち8人と、山口先生、岩村先生を入れた10人で出ます。独唱の時は輝さんしか舞台に立ちませんが、私たちが舞台袖からずっと見ています。さっきの人とは、違います」
……。
「……うん。ありがと」
何かと気にかけてくれる千尋に、笑顔を見せる。たぶん千尋はかおる祭当日、俺の独唱の時も、舞台袖で俺を気にかけてくれてるんだろう。
「どういたしまして」
千尋は表情を変えないままそう言って、すっと離れた。
離れたということは――もう大丈夫、と思ったんだろう。
ちょっとだけ、息をつく。
……ありがとう。
・・・・・・
展望台に出ると、浅名湖の景色が目の前に広がった。
遊覧船の乗り場がある入り江、そこを渡るロープウェイのワイヤー。そして大きく広がる浅名湖にぽつんと、今朝里奈と遊覧船から見ていた阿多利島が見えている。
「お、なんか面白そうなもの発見!」
そう言った愛が指差す先にあるのは、小さな鐘。
「恋人の鐘」と書かれている。
どうしてこんな所に、何の脈絡もなく――と思ったが、近くの広見寺のご利益にくっつく形で設置したのかもしれない。
特に面白そうとは思わない。ただの鐘だろう。
面白そうに駆けて行った愛は鐘に繋がった紐を持って、みんなを振り返る。
「にひひ、行きますよー、全・員・分!」
そう言って勢いよく――
――コーン……
「……」
うーん……
なんか……なんというか、何とも言えない音。
大層な名前の割に、ロマンの欠片もない音が出た。
紐を握ったまま、しばらく固まっていた愛。
「……なんだ、ただの鐘だ。面白くない」
そう言った愛を見て、みんなばらばらに笑った。
・・・・・・
鐘を見捨ててすたすた歩きだした愛が次に見つけたものは、双眼鏡だった。
「100円硬貨専用」と書いてある。100円玉を入れたら、一定時間見られるやつだ。
早速ふたつの双眼鏡に、愛と絵里さんが飛びついた。
「まっすぐ前方、氷山です!」
「取舵いっぱーい!」
それもう今朝やっただろ!
今度は双眼鏡で船乗りごっこしてる。しっかり100円入れたのに、ろくに見てない。
「ほら機関長、こっち!」
「遠藤機関士、急いで」
花菜さんと千尋はもういちど巻き込まれた。
「えっと……なに? あれ」
それを見て戸惑う陽和。そういえば陽和は寝ぼけた琴音に付き添っていて、今朝の船乗りごっこを見ていなかった。
「今朝の遊覧船ね、上であれやってたんだ。近づいたら巻き込まれるから、ゆっくり離れよう」
「あ、あはは……」
陽和と、そばにいた琴音も一緒に、それとなく船乗りたちから離れる。
「今朝、上でこんな事をしてたの……?」
半ばあきれたように言う琴音。
そうだよ。琴音は知らないだろうけど、あの人たちこの後沈没するから。
「まあ……ここから見てよっか」
「ええ……」
そう言って静かに並び立つ陽和と琴音。
うん、結末を見届けるといい。別に意味はないけれど。
それから……
里奈、いない。どこに行ったんだろう。
・・・・・・
一番離れた位置にある双眼鏡の前で、里奈はひとり立っていた。
「小泉船長――?」
そう声をかけたら、里奈はむっとした顔をこちらへ向けた。
「ごめんごめん。どうしたの、見ないの?」
それは時間が経つと見れなくなるはず。今のうちに見たいだけ見ておかないともったいないぞ。
「いえ、違います。見てません」
そう言って里奈は数歩下がった。
見ないつもりなら、どうしてこんな所に立っていたんだろう。景色を見るなら双眼鏡の前にいなくてもいい。
「里奈?」
「……」
しばらくして、里奈はためらいがちに口を開いた。
「100円、なかったです……」
……ああ。
これ100円玉専用だから――里奈、100円玉切らしちゃったんだ。
見回しても、両替機は見当たらない。
100円玉はないのに、双眼鏡の前に立っていた里奈――ちょっと、いたたまれない。
財布を出すと、里奈は慌てて止めに入ってきた。
「輝さん、いいですから!」
「うん」
そう答えながらつまみ上げた100円玉を持って双眼鏡に歩み寄り、里奈の手が伸びるよりも前に入れてしまった。
「ほら、いけるよ」
「輝さん……」
困った顔で見上げてくる里奈。
「面白いもの見つけたら、見せて。一緒に見よう」
「あ……」
はっとしてから、花が開くように笑顔になってくれる里奈。
「はい、ありがとうございます!」
そう言って里奈は双眼鏡に飛びついた。
「うーん、と……」
「あっち、今朝船から見た島じゃない?」
「へ? どこですか?」
双眼鏡をのぞく里奈は、なかなか島を見つけられない。すぐそばに立って肉眼で見つつ、方向を教える。向きを教えようと里奈の熱い指に触れると、里奈は嬉しそうに笑った。
「あ、見えました!」
そう言った里奈はすぐ、双眼鏡から目を離す。もっと見ていてもいいのに、俺に譲ってくれる。
「えっと……ああ、これか。なんか、ここから見ると同じ島に見えないな」
「船のほうが近くから見れましたよね」
確かにそうだ。それになんだかこの双眼鏡、見づらいし。
再び双眼鏡を里奈に譲る。
「えーっと、えーっと……」
なんだか一生懸命に、面白そうなものを探してくれている。俺のためじゃなくて、里奈に楽しんでほしいんだけどな……
「あ、船! 遊覧船、見えますよ!」
「え、どこ?」
ぴょんと飛びのいた里奈の位置について、双眼鏡をのぞいた。
……見えない。
「輝さん?」
「あー、もう時間か。早いな」
ふたりで見せ合っていたせいか、意外に早く時間切れになってしまった。
「あ……すみません」
しゅんとして謝る里奈。
「遊覧船って、どこ?」
「あっちのほうです。……あれ」
里奈が指差す先を肉眼で見ると、白い航跡を引きながら進む船が小さく見えた。
「朝はあそこにいたんだね、俺たち」
「はい……」
浮かない顔の里奈。
「里奈――」
「はい」
「どう? ふたりで見るのも、なかなかいいでしょ?」
笑顔を作って、そう聞いてみる。
里奈の答えが返ってくるのに、ひと呼吸だけ間があった。
「はい、楽しかったです!」
ようやく、きらきらした笑顔が見られた。
・・・・・・
もうそろそろ、午後4時半になる。みんなで遊びに出たこの1日も、もうすぐ終わりだ。
楽器館には土産物コーナーがある。なにかいいものがあれば買おうという話になって、展望台から館内へ戻って来た。
土産物コーナーには様々なものが並べられていた。
ピンバッジにキーホルダー、絵葉書――それと、簡単な楽器まで置いてある。
ハーモニカ、カスタネット、リコーダーなど――この楽器館オリジナルのデザインだ。
俺は……うん、カスタネットならいけるかな。他は買っても使えない。俺が使える楽器は、俺の身体そのものだけ。俺のリコーダーの腕前は、音楽の授業中に明が思いっきり顔をしかめたほどだ。
みんながああだこうだと品物を見て回る間、俺はぼーっとしながら後を付いて歩いていた。
ふと、目に留まったのは透明な半球状の物体。中に金色の……機械? が入っている。
近寄ってみると、それはオルゴールだった。半球状の透明なケースの中に、本体が入っている。けっこう種類と数があるようで、売り場には小さな箱が積み上がっていて、サンプルらしいオルゴールが点々と置いてある。
自分で演奏しない楽器なら――大丈夫。そう思って、サンプルのオルゴールをひとつ手に取り、底に付いていたゼンマイをきりきりと巻いて、手を放した。
小さなオルゴールから広がった、やさしい音色――
「――!」
みんなが、ぱっと振り向いた。
「輝、それ――」
驚いた顔の陽和が、俺の手の中のオルゴールを指差す。
俺も驚いた。まさかこの曲が――この曲は、やさしいメロディーのこの曲は、俺たちがかおる祭で歌う1曲目の歌だ。
かおる祭で歌うその曲が、この透明な半球の中に閉じ込めてあるのだ。
「……ね、どう? おみやげ、みんなでこれ買わない?」
絵里さんが、やさしい声でそう言った。
・・・・・・
楽器館を出た時にはすでに閉館時刻に近く、帰りのロープウェイ乗り場は混雑していた。かなり後ろの方に並んだ俺たちはだいぶ待たされてちゃんと乗れるのか気を揉んだが、さすがと言うべきか、俺たちを含めた最後方の集団は17時30分発の最終便にぴったり収まった。
みんなの鞄の中には、同じオルゴールがひとつずつ入っている。
かおる祭の後――みんながこの時代、いま向かっているかおる祭までのひと月の時間を思い返したい時、みんなはこのオルゴールのゼンマイを巻くだろう。
みんなが過ごした同じ時間――このオルゴールは、形のなかったそれに形を与えてくれる。やさしい音色を添えて。
・・・・・・
ドリームパークは既に閉園しており、ロープウェイの出口から外へ出た。
バスのダイヤはドリームパークの営業時間に合わせてあったようで、閉園後にバス停に着いた俺たちはしばらく待たされた。
ようやく着いたバスには、ロープウェイからの乗客がどっと乗り込んだ。みんなの席はバラバラになり、空席もなくなりそうだったので、俺はそばにいた陽和を座らせて通路に立った。
俺は手すりをつかんで、流れてゆく景色を見ていた。愛がメッセージアプリで写真を大量に流してきているようで、陽和が時々スマホの画面を見せてくれた。
小さな温泉街を抜けて、広がる田畑を見ながら進んで、郊外の住宅地の狭い道をゆっくり進んで、それから、塾や予備校の看板が次々と過ぎていく。
みんなで過ごしたあの場所を置き去りにして、バスはいつもの街中へ近づいていく。行き交う車が、いつしかライトをつけるようになっていた。
・・・・・・
午後7時少し前、バスはいつもの駅前のバスターミナルに着いた。通路に立っていた俺は先に下車して、みんなが降りてくるのを待った。
バスターミナルの広く空いた場所に、8人で集まる。
「よーし、帰ってきた! それじゃあ今日はこれで、お開きでいい?」
絵里さんが元気にそう言う。
「えー、まだいいでしょう。このまま夕ご飯食べに行きましょうよ、みんなで!」
愛が楽しそうに笑いながら言う。
が――
「愛……」
絵里さんがやさしく、小さな子供をさとすように声をかけた。
「いつまでも――は、ないんだよ。私もまだまだ遊び足りないけど、もう今日の時間はなくなっちゃったんだから。もう帰ろう」
「うー……ううっ」
涙声になる愛――泣きまねじゃ、ない。
そんな愛に、絵里さんはやさしく語りかけていく。
「『時間』は、なにかやり足りないことがあっても、なくなっちゃったらおしまい。それ以上、なにもできない。だから、今日は帰ろう」
そして絵里さんは、みんなを見渡して言う。
「――かおる祭も、同じだね」
……答える者はいない。
なにかやり足りないことがあっても、なくなっちゃったらおしまい――かおる祭も、同じ。
「あはは、ごめんね、湿っぽくなっちゃって。それじゃあ、いいかな?」
絵里さんは部長の陽和を見やる。陽和は、うなづきを返した。
「それじゃあみんな、ばいばい! また明日、学校で会おうね!」
肝心なところで、間違える絵里さん。明日は日曜だ。
でも、誰もその間違いを指摘しない。大した間違いじゃないと、みんな分かっているんだ。大事なのは――今度は学校で会おう、というところ。
学校でまた会ったら――俺たちはかおる祭に向けての最後の練習に入っていく。楽しく遊んでいられる時間は、もうない。
・・・・・・
みんなと別れて、ひとりバスに乗って家に帰った。
夕食を済ませて、自分の部屋に戻り入り口のふすまを閉める。
和室の中でちぐはぐな雰囲気を放つ机。その上に置かれた小さな箱――それを開いて、透明な半球状のオルゴールを取り出す。金色の中身が、きらりと光を放つ。
「……」
あまり音を出さないように――きり、きり、とゼンマイを巻いて、手を放す。
やさしいメロディーが、手の中から広がっていく。この中に、これから作られる俺たち8人のかおる祭の思い出が、しまわれる。
「『時間』は――……」
――なにかやり足りないことがあっても、なくなっちゃたらおしまい。
「……」
そう。だから――
ここから先は、もう足踏みをする時間は――ない。




