第57話 鼻歌を合わせて
観覧車から降りた後に驚いたことは、愛がみんなに見せて回った画像フォルダに俺と陽和を隠し撮りした画像が全くなかったことだった。
ゴンドラに同乗していた琴音や里奈の言葉から、千尋が厳重な検閲を行っていたことが分かった。千尋、表情こそいつもと同じだが、コーヒーカップの件でだいぶ怒っているらしい。
愛、今日中に千尋に許してもらえるだろうか。
・・・・・・
その後みんなで、パーク内のレストランで昼食をとった。
愛がしきりにお子様ランチを勧めるので里奈はぷりぷりしながらそれに抗議し、机の下で千尋が愛の足を踏んで愛は悶絶した。
特に食べ物に興味がない俺が、誰かに選んでもらおうと思って言った「なんでもいいよ」という声が琴音の声とぴったり重なって、みんな笑った。
結局、俺と琴音の分は陽和が選んでくれて、また里奈はお子様ランチの回避に成功した。絵里さんは自分が頼んだコーヒーをひと口しか飲めず、花菜さんが代わりに飲むのを恨めしげに見ていた。
・・・・・・
午後からは、「ガーデンエリア」を見物することになっていた。
浅名湖ドリームパークの中で、これまで巡ってきた場所は遊園地の「アミューズメントエリア」。それとは別で、併設された果樹園と植物園があるのが「ガーデンエリア」だ。
ガーデンエリアへは、パーク外の公道を陸橋で渡っていくことになる。
レストランを出て、さあ行こう、と歩き出したが――
「あ、ちょーっと待ってください。写真撮りましょう!」
「……また?」
大きな声で言う愛と、それをじろりと見る千尋。
「いやいや、そうじゃなくて。まだみんなの写真撮ってないじゃん」
愛はスマホを手にそう言う。
「後に回すと忘れちゃいそうだから――ここで集合写真、撮りませんか?」
集合写真――
そうだな、こんな機会はなかなかないだろう。
……あんまり、写真撮られるの好きじゃないけど。
「そうだね、1枚くらい撮っておいてもいいか」
「えー、10枚くらいは撮りましょうよ」
「多い多い」
ツッコミを入れられながらも、はじけるように笑う愛。
ちょうど近くにいたパークのスタッフさんの手を借りて、撮ってもらうことにした。
身長の低い里奈と、それから絵里さんをそれとなく前列へ誘導しつつ、2列を作る。俺は真ん中へ立つよう言われたが、遠慮して2列目の左端に立った。
……。
「はい、撮りますよー!」
・・・・・・
ガーデンエリアへ向かう橋の上で、愛に肘でつつかれる。
「輝さーん、なんでこういう肝心な時にかっこいい顔しないんですか」
「知らないよ、それが俺の素だから」
みんながそれぞれに花のような笑顔を咲かせる中、撮られた写真の向かって右端、俺だけはなんだか微妙な表情で佇んでいた。おまけにみんなピースサインをしていたのに、俺は右手を半分ポケットに突っ込んでいた。
「いつもはもっといい顔してるじゃないですか。これ一生残るんですよ」
愛が撮った集合写真は、メッセージアプリ経由で共有済みだ。俺のスマホにも、入っている。
「そんなもんだよ、俺は」
「うー……里奈! 輝さんもっといい顔できるよね」
里奈は急に話を向けられてびっくりした様子だったが、すぐ答えた。
「はい。もっときりっとしてて、力のある顔をしてます」
「ほらー、里奈もこう言ってますよ」
そう言われても……いつも鏡で見る顔は、締まってなくて冴えてない。
「いいですよ、愛さん。写真じゃなくても、覚えていればいい顔の輝さんもずっと残ります」
「そーれーでーもー! ばっちり写真に残しときたいのにーっ!」
年下の里奈になだめられつつも、愛はじたばたしながら文句を言っていた。
・・・・・・
陸橋を渡り終えて、ガーデンエリアへ。眼前に広がるのは――山。
ガーデンエリアはこの上。白い屋根が山の上へ向かってまっすぐ伸びている。
あの屋根の下にあるのは、エスカレーターだ。どれだけの長さかは知らないが、少なくとも県内ではこれ以上のエスカレーターはない。これもひとつの、このパークの名物だ。
みんなで並んでそれを見上げ――
そのまま、手前のロータリーに停まっている園内列車に向かった。
「あれはちょっと高3でも無理かな……」
「高3は関係ないけど……私も、ちょっと」
「ジェットコースターとは別種の怖さですよね、あれ」
エスカレーターに乗らなくても、「ガーデントレイン」と呼ばれる園内列車でも登っていける。料金は100円――全員一致で、こちらに決めた。
「ガーデントレイン」はゴムタイヤで走るタイプで、機関車風の車両の後ろに2両の客車が付いている。
どの辺に乗ろうかなとぼんやり考えていたら、絵里さんがすたすたとやって来た。
そばに来てから、咳払いをする。
「さ、乗ろう輝くん。かぼちゃの馬車」
また無理をした低い声で。というか、これのどこがかぼちゃの馬車? いやそもそも、かぼちゃの馬車ってそういうものだっけ……?
先に乗り込んで、キマってない微笑で手招きする絵里さんを立てる形で、俺は後から乗り込んだ。
1列あたり4人並びの客車にみんなで乗って、絵里さんの隣で出発を待つ。絵里さんはなんだか機嫌よさげに鼻歌を歌い始めた。
この曲――かおる祭の最初の曲か。
やがて列車は動き出し、一旦坂を下ってさっきの陸橋をくぐった後、急な上り坂に入った。
絵里さんの鼻歌は2曲目へ。かおる祭の順番と同じだ。
気持ちよさそうに鼻歌を歌っていた絵里さんは、ふとこちらを向いた。
「どしたの、輝くん?」
「あ、いえ」
じっと絵里さんを見ていたのに気付いて、慌てて目を逸らす。
「ふふ」
絵里さんは短く笑ってから、また鼻歌を歌い出した。身体を左右に揺らしながら――その度に、まるで小さな花が周りに咲くように見える。
列車は坂を登り切って、そのまま園内を進んでいく。当初予定では途中で降りて、大温室を見て回る予定だったが、ちょっと予定を詰めすぎたかなという話になったので、このまま終点まで乗って行く。
絵里さんの鼻歌は3曲目――コンクールで歌ったという曲に入った。ソプラノの絵里さんが出す高く間延びした音が、可愛らしく辺りに広がる。
でもちょっと難しいのか、途中で止まって歌い直したり、「――?」と疑問形みたいな音を出したり――見れば、なんだか真剣そうに鼻歌を歌っている。
「――ふっ」
「ん?」
いかん、ちょっと笑ってしまった。
「むー、輝くんいま笑ったでしょ。ここ難しいんだよ、一緒に歌ってよー」
「すみません……でもそれ、僕歌えませんよ」
「私は歌えるよ、輝くんの『故郷』。一応練習してみたんだから」
……何と返そうか、と迷ったちょうどその時、列車は園路を外れて専用路に入った。
このガーデンエリアには、園内を走るガーデントレインでしか入れない区間がある。今は植物園「フラワーガーデン」の専用区間に入ったのだ。
「わー、アジサイ。いっぱい咲いてる」
絵里さんの興味が外に向いたので、返答に困っていた俺はほっとした。
車体のすぐそこまで、絵里さんの言う通りいっぱいに咲いたアジサイの花が近づいて見えている。
「アジサイの花の色、地面が酸性かアルカリ性かで変わる――よね?」
「え――? あ、たぶんそうです」
絵里さんの急な質問に、再び慌てさせられた。
「うーん、赤紫か、それとも青か。どっちもきれいだけど――輝くんはどっちが好き?」
「え? えーっと――赤紫、ですかね」
「そっかー」
そう言って、絵里さんは顎に手を当てて考え込んだ。
「絵里さん?」
「……うん、地面に塩酸を撒けば全部いける」
「絵里さん――?」
急に物騒なことを言い出した。
もしかしてあれか、土を無理やり酸性にして全部色を変えるつもりか。
赤紫に、してくれるのかな……?
「絵里さん、あの」
「ん?」
うるむような瞳が、こちらを見つめる。
「酸性だと、どっちの色になるんですか?」
「……わかんない」
ふたりで顔を見合わせる。
「あは、あはは。そういえばそれ、わかんない。あはは!」
「それと塩酸なんか撒いたら枯れませんか」
「わかんない!」
絵里さんは無責任にそう言い放って、屈託なく笑う。
「あれ?」
「どうしました?」
そう聞きつつ外を見ると、もうアジサイが植えられた区間は過ぎていた。
「もうおしまいかー……」
ちょっと寂しそうな語尾、そして――
「よし輝くん聞いて。私の『故郷』」
急にそう言って、目を閉じて咳払いをする。
……。
「絵里さん無理です、その音は。1オクターブ上げてください」
「えー、だってこれ輝くんの声で歌うんでしょ。それじゃ一緒に歌えないよ」
一緒に歌う気でいるのか、絵里さん。
……そういえば「故郷」、練習したって言ってたな。
「……僕、いつもみんなの1オクターブ下で歌ってますから」
「あー、そっか」
そう言って絵里さんは、深く息を吐いた。
「よし、一緒に歌うよ。せーのっ」
「え――?」
いきなり鼻歌で「故郷」を歌い始めた絵里さんに、遅れて音を合わせていく。
ずれていて一致しない絵里さんの音を探していくと、同じように俺の音を探してきた絵里さんの音がぴたりと合う。
何の準備もなしに鼻歌を始めたふたり――音程は、何度もずれる。
ずれるたびに、互いに探し合って音を合わせる。絵里さんがこちらを探して見つけてくれるのが、はっきり分かる。
とても心地よく、寄り添うように――
それから終点に着くまで、機嫌よさげな絵里さんと「故郷」の鼻歌を繰り返し歌っていた。




