第56話 思いと一緒に閉じ込められて
ゆっくりと園内を巡っているうちに、もう11時になっていた。
今日はみんな早起きして早く朝食をとってきたということもあり、あとひとつアトラクションに乗ったらご飯を食べに行こうということになった。
「それじゃあ、どうする?」
落ち着いた声でそう聞く花菜さんに、絵里さんがぱっと手を挙げる。
「観覧車! 観覧車乗ろう! 遊園地のラストといえばこれでしょ!」
「絵里さん、まだ午前です」
愛のツッコミが入ったが、異論は他に出ない――
「……輝さん」
いつの間にかそばに来ていた千尋に、声をかけられた。
「高さ……大丈夫ですか?」
そう言って俺の顔をじっと見る。
ちょっと過保護だな、千尋。
でも、そうやって見られるのは嫌じゃない。
「うん、大丈夫。……ありがと、聞いてくれて」
千尋はじーっと俺の顔を見てから、すっと離れていった。
・・・・・・
観覧車の定員は、ゴンドラひとつあたり6人。8人で来た俺たちは、ここでも4人組をふたつ作ることに決めた。
ひとつ目に乗るのはまず花菜さんと絵里さん。……そして、今度は別行動を許されなかった愛が、千尋の監視を受けながら後に続いた。
ふたつ目には里奈と、今朝から調子が狂い気味の琴音、陽和、そして俺。
前の4人が乗り込んで、次を待とうと立ち止まった時――
「里奈、早く――」
「え?」
「いいから」
琴音が里奈の背中を押して――
ひとつ目のゴンドラに、乗り込んでしまった。
満員になったゴンドラの扉が、素早く閉じられる。
ここに来てから目を合わせられていない陽和と俺が、ふたりだけ残されてしまった。
すぐに次のゴンドラが、扉を開けて近づいてくる。乗り場の先頭に立って、足踏みはできない。
なし崩し的に、俺はそのゴンドラに乗り込んだ。陽和も後ろから乗り込んできて、すぐに扉が閉じられる。
ゴンドラは乗り場の足場から離れて、そのままゆっくり空中へ上がり始めた。
・・・・・・
ゴンドラの中で、制服のズボンとスカートに包まれた膝が向かい合う。
大型のこの観覧車は1周およそ10分。扉を閉じられ、もう降りる足場もないこの場所で、陽和とふたりきり。
今朝のことが、どうしても思い出される。いま見つめている膝の上に、寝ぼけたまま横になって……
「陽和、あの……」
気まずさに耐えかねた俺の言葉に、答えは返ってこない。
「今朝、その……ごめん」
我ながら歯切れの悪すぎる台詞。そしてかえって気まずさは増した。
「……ううん、別に、嫌とかじゃなかった、から」
応えてくれた陽和も、歯切れが悪い。
……でも。
「嫌じゃなかった」――そう言った。
寄りかかられた時の髪のにおいとぬくもりが思い起こされる。目を覚ました時、陽和の膝の上と分かって、ほんの一瞬だけ感じたくすぐったさも。
嫌じゃなかった――
どんな表情をしているか期待して、心を決めて顔を上げ――
……。
――いや、ただの取り繕いじゃないかな。
顔を上げるのは、やめた。
横を向いて、少しずつ小さくなっていく地上と浅名湖の湖面をぼんやり見る。
「輝……」
小さな声で、陽和が俺を呼ぶ。
「……そっち、行っていい?」
え――?
こっちに来る、って――
ここはふたりきりの出られないゴンドラの中、他に止める人もいない。
嫌じゃなかった――って、それは……
「……だめ」
顔を上げていない陽和に、きっぱりと言った。
「……そっか」
「前のゴンドラ――」
今は真上に来ている、6人が乗ったゴンドラをぴっと指差す。
「絶対にこっちガン見してる。今は見えてないけど――降りる頃にはもう、愛の画像フォルダが俺たちで埋まってる」
陽和は天井を見上げて、苦そうに笑った。
「……そうだね。やめとく」
・・・・・・
「ねえ、輝……」
「うん?」
陽和が外の景色に視線を移しながら、俺を呼ぶ。
「今度の本番が終わって……かおる祭が終わったら――そのあと輝は、どうするの?」
「……分からない」
「そう……」
なんだか気持ちが沈んだように見える陽和。
「……どうかした?」
「ううん。ただ――」
膝の上で組まれた両手の指が、もどかしそうに動く。
「輝さえ、よかったら――8月まで、夏のコンクールまで。このまま一緒に、合唱部に……」
だんだん小さくなった声は、最後まで聞き取れなかった。
夏のコンクール……
それはかおる祭の次に立つ舞台、そして――予定されている、最後の舞台。そこへ行きついたら、この合唱部は99年間に及んだ活動を終えてその歴史を閉じる。
陽和が望んでいるのは、その時までの、いわば延長戦――正式部員ではない俺を含めて、8人でそこまで行きたいと言っている。
8人で――
「……俺は、初めはかおる祭までやったら、きっぱり合唱はやめるつもりでいたけど」
……。
「本当にそれでいいか、ちょっと分からなくなってきた」
「なら――」
陽和がぱっとこちらを向く。
「かおる祭の後もしばらく合唱部は続くんだから、そこまで私たちと付き合ってくれるのは、どう?」
そんな陽和に、俺は首を振る。
「正直、そうしたいような気もするけど……なんか、すんなり納得できない」
「……」
「つまり、その――どうするのが一番いいか、分からないんだ」
高校に入って俺が欲しかったのは、「普通の学生生活」。合唱の練習に追われる日々じゃない、普通の学生生活が欲しかった。
でも実情は、皮肉にも、陽和の誘いに乗って合唱部に参加したことで、出会うはずのなかったみんなとの仲が結べて、今こうして遊園地なんかに遊びに来ている。
同じ学校の仲のいいみんなと遊びに出かける――こっちの方こそ、俺の憧れた普通の学生生活じゃないのか。
もし予定通りかおる祭までで合唱部から離れても、みんなと結んだ仲が消えてしまうわけではない。教室に行けば会えるだろうし、実際里奈はそうして毎朝俺とおしゃべりをしに来ている。一緒に遊びに行こうと約束すれば、また遊びに行ける。
でも……それはただの友達。みんなでひとつの歌を歌う仲間ではなくなる。合唱部の輪の中から、外れた位置に立つことになる。
それを思うと、なんだかうすら寒い気がしてくる。
例えば、里奈に会って話しかけたなら、きらきらした笑顔で応えてくれるだろう。でも、一緒に声をそろえて歌うことはもうないのだ。
8月まで、かおる祭の次の舞台まで――
そうだ俺が合唱部を続ければ、花菜さんと絵里さんが引退しても6人だ。2月のコンクールの最低人数は6人だから、中学と高校を合わせれば出られる。年度末まで、みんなといられる。今までみたいな、みんなとの付き合いが続く。
そしてもし、俺がかおる祭でやろうとしている「作戦」がうまくいったなら、その先、100年目の未来が見えてくる――
「……」
でも――
それでも、週5日、放課後ほぼ目一杯までの練習は忙しい。そうやって歌に追われて生きるのに疑問を持ったから、俺は高校へ入る時に合唱をやめる決断をした。6年間、続けてきた合唱を。
それを……果てしなく長く思えたが、たかが2週間。入学まで悩んだ末の決断を、たかが2週間で覆して、それでいいのか。
仲を結んだみんなと、もっと一緒にいたい。でも、そのための前提条件は「合唱を続けること」。
いま俺は、かおる祭までで合唱部をやめる気が、正直――ない。
でも俺は、合唱を続けようという気も――ない。
合唱部にいようとすれば「合唱」がついてくる。合唱をやめようとすれば「合唱部」が遠くへ行ってしまう。
――まずい。これじゃあ。
2週間後に迫った、かおる祭――ひとつの終わり。俺は、そこからどこへ進むべきなのか。
分からなく、なってしまった。
・・・・・・
「……」
俺は大きく首を振って、頭の中身を振り払った。
目の前に座る、陽和を見る。
『……そっち、行っていい?』
さっき陽和はそんな事を言っていた。
こないだ、夜の森で過ごした時には「50点――!」とも言われた。
憧れていた、「普通の学生生活」、その中には――
「陽和――」
「ん?」
足を前へ伸ばす。陽和の素足と俺の足が、絡まった。
「へ――?」
陽和がびくりとして固まる。
「……これくらいなら、向こうからは見えないでしょ」
隣に座ったらいずれバレるけど、足を絡ませているくらいなら見えないだろう。
「俺、高校入ってからずっと『普通の学生生活』に憧れてたから」
そう言って、陽和の顔を見つめる。
陽和は、ちょっとぎこちない笑顔を浮かべた。
「こういうの……憧れてたの?」
「うん」
それは、そうだ。
「だって高校生だし」
「そっか……」
そう言った陽和は、絡んでいた俺の足を自分の足できゅっと挟んだ。
「……私も」




