第53話 朝から居眠り
「ふわあー……」
ベンチに座ってあくびを押し込め、ぼけーっと床を見る。
ねむい……
・・・・・・
「あの曲」の朝の練習は、金曜日まで続けた。俺はもう十分と思ったしそう言ったが陽和はなんだか不安げで、琴音も乗り気でなかったので今度の月曜もやることになった。
今思えば、土日をまたぐし、月曜の朝はちょっとした確認程度はやったほうがいいかもしれない。あくまで、無理をしないようにしつつ。
部活の方も、歌の練習と並行して台詞の練習もしている。みんなはそれぞれ本番で台詞があるから、間違えないようにと緊張している。
俺は台詞がないわけだが、代わりに派手な演出を行うので緊張の度合いはかえって高いかもしれない。
肝心の歌の方は、ちょっとよくない。合わせでは、俺が入る曲でみんなつられて、かき消えて……
そして俺も――全力をかけて歌う「故郷」に、いまいち納得がいかないでいる。歌っている途中で思わず首を傾げて、岩村先生に注意を受けた。
かおる祭まであと2週間。
2週間で、なんとか形になってくれれば――
・・・・・・
そして、今日はちょっと特別な日。
昨夜はその事を考えていて、なんだか――
「あ、輝。おはよう」
やさしいその声に振り向くと、いつもと同じ制服姿の陽和が立っていた。
……あれ、ヘアピンをひとつ付けてる。
「おはよう、陽和」
バスターミナルの待合室――ここが今日の集合場所。室内に並んでいるベンチのひとつに、俺はいまいち冴えない頭のまま座っていた。
「ふふ、輝、早く来たね」
そう言いながら、陽和がふわりと隣に座る。
でも陽和だって、ずいぶん早いじゃないか。
「昨日、眠れなかったの? ……ふわあ」
「うん、まあ……ふわあ」
俺があくびしたのを見て、陽和が楽しそうに笑う。今のは陽和のせい、俺はつられただけだぞ。
「あ、もういる! おはよー、ふたりとも」
「おはようございます……ふわあ」
絵里さんと、ちょっとあくびした里奈……珍しい組み合わせがやって来た。
「さっきそこで会ったんだよ。ふふふ、みんな昨日眠れなかったんでしょ……ふわあ」
絵里さんもですね。
「あと4人かー……待つしかないね」
ベンチにちょこんと座りながらそう言う。
集合時刻は、バスの時間の関係で8時10分としてあった。
まだ7時15分だ。
・・・・・・
「うーん……みんな集まっちゃったね」
ちょっと困り顔の花菜さんがそう言う。
現在時刻7時30分、もう合唱部8人全員が揃っている。
今日は土曜日――愛が提案した、遊園地行きの当日。遊園地へ向かう路線バスはここから出るので、開園時刻に合う便に乗ろうと、集合時刻を決めてあった。
そして今、それより40分早くみんなが眠そうに集まって来てしまった。
服装は、愛が「制服デートがいい!」と言うのでみんないつもの制服になった。8人中5人はセーラー服、残りの陽和と琴音と俺が新制服のワイシャツとベストの姿だ。
「どうしよう、このまま待つ?」
陽和がみんなに問いかける。
「いえ、もう行っちゃいましょうよ。今ならバス空いてそうですし」
愛がそう言ったので、俺たちはぞろぞろと気だるげに待合室を出た。
・・・・・・
普段学校に行くときは使わない1番乗り場へ並ぶ。休日のこの時間帯なので本数が少なく、バスが来るまでしばらく待った。
8時少し前、ようやく「30 ドリームパーク・浅名温泉」と表示したバスが乗り場に入ってきた。
「これだね。私いちばん後ろがいい! ……ふわあ」
元気な声と可愛らしいあくびをした絵里さんについて、みんなで後ろの席へ向かった。
琴音がふらりと俺と陽和の前に割り込んだので他のメンバーが先に行き、最後列に旧制服組が並び、その1列前に新制服組が座った。琴音は陽和を右の窓際に行かせた後、俺をその隣に座らせて自分はひとりだけ左の窓際へ座った。
後ろから旧制服組の声が聞こえてくる。
「ふふふ、我ながら良き布陣。ちょっかい出すなら真後ろより斜め後ろ。横顔が見えるから、輝さんの反応がよく分かる」
愛の声だ。俺、着くまで愛にちょっかい出され続けるの?
「……そうですね」
里奈の声も聞こえる。
「斜め後ろのこの場所ならお話しやすいです。背もたれ越しにならないですから」
「あ……しまった。最善の布陣は、そこか」
最後列の中央に「布陣」した里奈。学校では朝の練習でおしゃべりが出来ずにいたから、今日はここで着くまでそっと話すのもいいかもしれない。良い位置に来てくれた。
愛が後ろにいるのが気になるが――
「……愛、大人しくしててね」
「はい」
聞いていた陽和がくすくすと笑う。千尋が真後ろにいる。なら大丈夫だな。
でも――琴音がひとりだけ俺たちの輪から外れてしまう形になるが、いいのだろうか。
「琴音、席代わる? 俺そっちでもいいから」
「いえ、お構いなく。別に気にしないから」
さらりと断られてしまったが、琴音は性格的に自分のことを押し込めるだろうからなあ……
「ふふ、大丈夫だよー」
珍しく落ち着いた、絵里さんの声がする。
「琴音には――私がちょっかい出すから!」
いやだめだ、落ち着いてなかった。
「絵里、大人しくしててね」
「むー」
そしてこちらは花菜さんがストッパー役を務めるらしい。
・・・・・・
8時ちょうど、同じくドリームパークへ向かうらしい家族連れとカップルをひと組ずつ乗せて、バスはいつものターミナルを出発した。
向かう「浅名湖ドリームパーク」は、市内にある湖のそば、浅名温泉という小規模な温泉街の近くに立地する遊園地だ。遊園地の他に果樹園と植物園も併設され、市内で遊びに行くとなればだいたいそこになる。
所要時間は50分ほど……ちょっとした旅になる。
8人で、にぎやかな旅になりそうだ。
・・・・・・
――ゴンッ
「いだっ!」
出発から5分、鈍い音が聞こえた。
斜め後ろから、ちょいちょいと腕をつつかれる。
「愛さんが窓に頭ぶつけました」
里奈の報告に、軽く吹き出す。どうした、愛。俺にちょっかい出すんじゃなかったのか? 自滅してどうする。
「うう……ちひろー、枕。終点で起こしてー……」
「終点までは行かないよ」
どうやら眠気に勝てなかった愛。千尋を枕に、終点まで行くつもりらしい。
「里奈も、いいからね」
「私は大丈夫です……ふわあ」
千尋が里奈に声をかける。みんな、揃いも揃って眠れなかったな。子供かよ。
……まあ、集合場所に1番乗りしたのは俺だけど。
「絵里、遠慮しないでいいよ」
「まだ何も言ってないよ!」
花菜さんと絵里さんがショートコントをしている。
みんな眠いんだな。たぶん陽和も、それから――
「琴音、やっぱ席代わろうか」
そう言いつつ左を見ると、琴音はもう鞄を抱いて寝ていた。
・・・・・・
しばらくすると、後ろはすっかり静まり返った。あれ以来鈍い衝撃音は聞こえないので、愛は千尋を枕に寝ているらしい。さっき「はい、まだ食べられます」と言っていたが、寝言だろう。
うう……ん。
こっちも眠い。琴音みたいに鞄を抱えて、着くまで寝てようか……
さらり……
「……!」
右肩になにかの感触があって、陽和の髪のにおいがふわりと漂ってきた。
陽和が俺の肩にぐっとその髪を押し付けるようにもたれかかり、半身をぴたりとくっつけてくる。
緊張して、固まる。すぐ横から漂う髪のにおいが、いつまでもくすぐってくる。
バスが揺れるたび、陽和はどんどん深く寄りかかってくる。体温がじんわりと伝わってくる。
眠り込んでいるらしい。どいてくれない。
どうしよう……ドリームパークへ着くまであと何十分か、ここから動けない。
すう、すう、と寝息を立てて身を寄せ続ける陽和に、俺はひとりだけ眠れなかった。
・・・・・・
「輝さーん、陽和さーん……」
――つむじを押された。
重いまぶたを、少しだけ開く。まだ寝ていたい。
もう一度、目を閉じた。
「へ……? あっ!」
声が聞こえて、それから――突然、支えを失った。
そのまま横に倒れる。どうしたんだろう……
「輝、起きて、起きて!」
陽和の慌てたような声。
少しぬくもりのあるものの上に、横になっている。
「うーん……」
仕方なく目を開けて――
――!
「はっ!」
慌てて身体を起こした。
ついさっきまで感じていた感触とぬくもりが、じんじんと残って消えない。
「お邪魔してすみません、もうすぐ着きますのでー……」
愛の声が後ろから聞こえてくる。
陽和に続いて、いつの間にか俺まで寝ていたらしい。おそらく互いに寄りかかり合いつつここまで来て、愛に起こされ先に目を覚ました陽和が慌てて上体を起こしてしまって――
それで――陽和の膝の上に倒れ込んだんだ。
しかもそのまま、そこで寝ようとしていた。
「ご、ごめん!」
「ううん、いいよ!」
慌てて言葉を交わしたが、陽和はそれきりぐっと脇を締めて窓の外を向いたままこちらを見ない。
俺も似たようなもの、通路側に寄ってただ固まるのみ。早く着いてくれ、ここから逃げ出したい。
「うーん、なかなかお熱いものを見せられましたねー。ちょっと妬いちゃう――いでっ、ぐっ」
愛の発言が途中で止まったのは、千尋の「制裁」が発動したからだろう。
やばいやばい、ここは最後列じゃない。すぐ後ろには愛や千尋がいた。いつから目を覚ましていた、いつから見られていた――?
早く、着いて――!
・・・・・・
バスが交差点を曲がり、ちらりと見た窓の向こうに湖が広がった。
「絵里さん、このあと降車ボタン押していいですよ」
「え、いいの? わーい……じゃない! もう、私は高3なんだから」
愛と絵里さんが寸劇をやっている。
「里奈、押していいよ」
無理をした絵里さんの低くなってない低音ボイスも聞こえた。
それから、すぐ――
『次は、ドリームパーク前、ドリームパーク前――』
――ピンポン
目の前の降車ボタンに「とまります」の文字が点灯した。
「えー押さないの? せっかくのチャンスだったのに」
絵里さんがそう言っている。
里奈の答えは聞こえなかった。
「あ、琴音ー! 起きてー! 着いちゃうよーっ」
絵里さんの慌てた声。
横を見ると、向こう側の席では、ぼけーっとした琴音がゆっくり身体を起こすところだった。
・・・・・・
バスが停まると、俺は逃げるように――というより、もう座席から逃げ出して急いでバスを降りた。
バス停はドリームパークの目の前にある。降りたその場所から、もうジェットコースターのレールがくねくねと見えている。
「うーん、よく寝たー」
そう言って伸びをする愛と、何も言わず付き添う千尋。
「うん、今日はいい旅だったね」
「絵里、まだ今日始まったばかりだから」
絵里さんと花菜さんはまた寸劇をやっている。
周りを見ると……大きく離れた所に立っていた陽和と目が合いかけて、慌てて目をそらした。
目をそらした先にいた里奈にも、なぜかすっと視線をそらされ声をかけてくれない。
後はただ琴音が、まだ眠そうに魂が抜けたような顔で、ぼけーっと立っているだけだった。




