第45話 それに気付いた時
「輝さーん!」
元気いっぱいの里奈の声にびっくりしたのは、翌週、月曜の朝。
ここは練習室じゃない。俺のクラスだ。ああ、でかい幻聴か……
その幻聴のした方を見ると、新制服の生徒の間を縫うように、小さなセーラー服姿の生徒が入って来る。
ととと、と楽し気にやって来たのは里奈。俺の席の前で、とん、と立ち止まった。
「おはようございます、輝さん」
きらきらした笑顔でくれる、朝の挨拶。
里奈は以前、愛たちと一緒にここへ来たことがあった。だから今日は迷わずひとりで来れたのだろう。
「おはよう。なにか用事?」
「はい!」
俺の言葉に、里奈は元気に答える。
中2が高1の教室にやって来る理由は、なにかの用事以外にないはずだ。なんの用だろう。
里奈は座っている俺を少し膝を曲げつつ見下ろしながら、聞いてきた。
「輝さんって、クラスでは普段どんな感じで過ごしてるんですか? 友達、たくさんいそうですよね」
「えーっと……まあ、友達はそんなに多くないんだ。あはは」
残念ながら、多くない。
いいんだ、俺は狭く深く、だから。
……いや、そうじゃなくて。
「それ、用事……?」
「はい、これ以外用事はありません」
里奈はきっぱりと即答し、それからきらきらした純粋な目で俺の顔を見つめる。
「あれ? 髪切りました?」
「うん。こないだ切れって言われて」
千尋に言われて。もし今日、切らないままの姿で部活に行ったら、先週の愛のようにしおしおにされるかもしれない。
「うーん」
里奈は俺をまじまじと見た。
間近でじーっと見つめられて、少し気恥ずかしくなる。
「ちょっと伸びてた方が、私はいいと思いますよ」
……だって千尋が、切れって。
でも、そうだよね。ちょっとくらい伸びてたっていいよね。
「輝さん土日、どうでした? メッセージ送らずにがまんしてたんです、会って直接聞きたくて。どこか行きました?」
ああ、その土日は散髪と動画サイトで消えたよ。
……そうじゃない。
「あの、里奈? 用事は……」
「はい、これが用事です!」
また即答した里奈。
そんなやりとりを聞いていたらしい隣の席の明が、急にわざとらしく言い出した。
「あーそうだ、俺もちょっと用事あったんだー」
そう言って席を立ち――
「ごめんなー、輝ー」
――流れるように教室を出て行った。
嘘だ。明はいつも俺に色々と言うことを言ってくる。少し癪だけど、だいたい正しい事を言う。
それくらいしっかりしている明が、用事を忘れるわけがない。あいつ変な気を利かせて……
まあ、いま明が言いたい事は、俺にもよく分かる。そいつ座らせてやれよ、と。
ここは、素直にそうさせてもらおうか。
「里奈、とりあえずそこ、座っていいよ」
「はい」
里奈は明の席にちょこんと座った。
セーラー服姿の小柄な里奈は教室の中でだいぶ目立っていたが、里奈自身は何も気にしていないふうだった。
それで、その里奈の目的は――
「えっと、用事って――ただ話しに来ただけ?」
「はい、そうです!」
元気にそう言ってから、里奈はまっすぐ俺の顔を見上げる。
「8等分になった輝さんの、2つ分を獲りに来たんです」
――8等分?
「む、輝さん忘れてますね。先週言ってたじゃないですか、輝さんは合唱部で8等分になって、最後の1つはバトルロイヤルだ、って」
……ああ、その事。
「部活の時間だと、みんなで分けないといけません。だから考えたんです、8等分の最後の1つは、この朝の時間だ、って」
つまり、部活やその後の時間は思い通りにおしゃべりできないから、今の時間にここに来た、と。
すると――
「もしかして、これから毎日……?」
「はい!」
満足そうに答える里奈。
そうか、これから朝は里奈とのおしゃべりの時間になるのか。
……まずいな、目立つ。
それにこの教室には、陽和もいる。いま何も言ってこないのが、むしろ不安感を掻き立ててくる。
陽和も割と大切な相手なんだ、波風を立てないようにしないと。
多目的室、どこか空いてるだろう。そっちに行こう。
「それじゃ、どっか別の部屋――」
「ここでいいですよ。席も空いてますし」
そこ明の席なんだけど……いや、時々自由席にされてるけどさ。
・・・・・・
それから――
里奈は自分で言った通り、教室内で目一杯のおしゃべりを楽しんだ。
俺は周りの視線が気になって仕方なかったが、里奈は俺が視線を外す度に名前を呼んで、視線を戻させた。
はしゃいだ里奈が上げる笑い声は、なおさら俺たちを目立たせた。
里奈は始業10分前のチャイムが鳴るまでおしゃべりを続け、そのチャイムに追われるように、ぱたぱたと教室を出て行った。
・・・・・・
昼休み――
「いやー、お前あいつにずいぶん懐かれたな。どんだけカッコつけたんだよ」
またずいぶんと面白そうに言う明。
「別に。初めて会った時はめちゃくちゃ嫌われてたけど」
あの時の里奈は不愛想だった。というよりも、俺のことが気に入らなくてあからさまに不愛想にしてみせていた。
それが今は――どういう心境の変化だろう、こんな短い間に。
いま目の前でにやついている明が、言う。
「お前、最近よく噂の的になるな。どうしたんだ急に」
「噂?」
なんの噂だ? 知らないぞ。
「――ああ、分かってる。どうせお前は気付いてないんだろ」
……なんだ、俺の噂って。まずいやつか?
「今朝の件で、お前の二股疑惑が広まってる」
「はあ!?」
なんだそれ!
二股っていうか、そもそもまず彼女がいないぞ、俺は!
明は面白そうに「海野輝の二股疑惑」について語る。
「最近桜井と仲良さそうにしたただろ、あれ付き合ってるんじゃないかって噂になってたんだ。けど、そこに今朝中学のやつが――また親密そうにしてたから」
ちょっと待って、ちょっと待って。
まず陽和と付き合ってるだとか、そんな噂をまず知らない。
それから、里奈がおしゃべりに来たのは今朝が初めてだろう。明の言うことが本当だとしても、どうしてこんな早々と二股疑惑なんて言い出す輩が出るんだ。
「ここしばらく、お前のところは女子ばっかり集まるからな。特に旧制服のやつは目立つぞ。みんな言ってる、これが『モテ期』か、って」
くそ、誰だか知らんが勝手な事言いやがって。
女子ばっかり来るのは、いま関わってるのが男子の入部がなかった合唱部だからだ。逆に男子合唱部員なんて来たら怖いよ。
それに、なにが「モテ期」だ。この俺の顔を、よく見ろ。
「俺、モテるように見える?」
「さあね。よーく自分で考えてみ」
……鏡は見てるんだけどな。冴えない顔ばかり映ってるよ、いつも。
「それから――」
まだ、何かあるのか。
「お前に、ロリコンの疑いがかけられてる」
「なんでだよ!」
思わずでかい声を出すと、周りの生徒たちが振り向いた。
それを明が面白そうに見てから、言う。
「これまでお前の所に来たやつ、桜井以外は中学生だろ。特に今朝のやつ……あいつ中1だろ、それもだいぶ幼い感じの」
「中2だよ!」
また周りが振り向いた。
俺は声を小さくして言う。
「そもそも、中1は新制服だろ。里奈は旧制服、つまり最低でも中2だろうが」
「あー……そういやそうか」
目利きを誤ったか、明。珍しいな。
ただまあ、確かに里奈は幼げではある。成長が遅いのか、だいぶ体が小さい。どこか小学生っぽい雰囲気もあるから……それで、そういう疑いをかけられるのか。
……。
二股と、ロリコンの疑い――
今はまだかおる祭の前――5月の終わり。入学から2ヵ月足らずで、そんな事に。
俺が元々望んでいた「普通の学生生活」に、そんなノイズはいらない。
そんな事を考えていると、明がまた声をかけてきた。
「ま、仲良くしてやれよ。あれ、たぶん期間限定だから」
「なにが期間限定だよ」
思わずそう返したが、明は笑っていなかった。
「お前と仲良くできるのが、だよ」
何を言い出す、そんな真面目に。
俺と里奈が仲良くできる――それが、どうして期間限定?
里奈はここに俺がいることを知っている。かおる祭が終わってからも、今朝みたいにおしゃべりに来れるし、そうするだろう。
「あいつは――」
しかし明は、そうは思わないらしい。まだ続きを言ってくる。
「あいつはたぶん、自分がここまで来た理由を、自分で気付いてない。だから来れてる」
理由――?
なんだ、それ――?
「もし気付いちまったら……中2なんだろ? もうお前の顔も見れなくなるだろうな」
気づいたら、って――何に? どうして俺の顔を見れなく――
「いつかは気付く、何かの拍子に。あんなふうに仲良くできるのは、その時までの期間限定だ」
そして明は、少しつまらなさそうに言った。
「ま、どうでもいいけど。もしお前があいつのことを思うんなら、その時までは、楽しい思いをさせてやってもいいんじゃないか?」
なんだ、その言い方――
明は知っていて、俺は知らないこと。
なにか大切なことを、俺は知らずにいる――?
「それからな、輝」
「なんだ?」
……。
「桜井とあの中2との二股疑惑は、自分でなんとかしてね」
「だから二股じゃない!」
周りの何人かが、振り向いた。




