第44話 里奈のこころ
すっかりしおれて帰ってきた愛を迎えてすぐ、解散となった。
鞄を背負って照明を消し、練習室を出る。部屋に鍵をかけた陽和は、琴音と一緒に鍵を職員室へ返しに行くらしく、東階段へ向かいかけた。
陽和と少しくらい話していこうかとも思ったが、今日はこれから少しやることがある。陽和たちと一緒には行けない。
「ごめん陽和、今日先に帰るよ」
「うん。またね」
声をかけると、陽和はやさしく答えてくれた。
俺はそんな陽和が、言いたいことを抱え込んだりしないように、言葉を付け足した。
「なにかあったら、メッセージ送って。なるべくすぐ返すから」
「うん……ありがと」
少しはにかんだ陽和に手を振って、その場を立ち去る。会話に入れなかった琴音が、なんだか微妙な表情でこちらを見ていた。
・・・・・・
西階段に入り、各々ばらばらに歩いている部員たちを追い越していく。
うーん、だいぶ先の方まで行ってるな……
――見つけた、小さな背中。ととと、と早い足取りで階段を下りる里奈。
「おーい、里奈」
声をかけると、里奈はぱたりと立ち止まってこちらを見上げた。
「輝さん……」
俺は里奈を追い越し、振り返ってその顔を見上げる。里奈は俺を見下ろして、それから大人しく俺の後についてきた。
とにかく俺とおしゃべりをしたがる里奈。しかし一昨日、俺は陽和と森で放課後の時間を過ごすという約束を守ろうとして、里奈のおしゃべりを振り払い置き去りにしてしまった。
だから次の日に、2日分のおしゃべりをまとめて聞いてあげようと決めていたのに――昨日は台本についての話し合いが長引いて時間がなくなり、そのうえ俺は里奈のことをすっかり忘れて帰ってしまった。
だいぶかわいそうなことをしてしまった。里奈の連絡先は知っているんだから、帰ってからメッセージくらい送ればよかった。
今日は金曜。この機会を逃したら月曜まで会えない。だからここで、少しでもおしゃべりに付き合ってあげたい、と――そう思って、追いかけてきた。
「里奈、ごめんよ。ずっと放ったらかしにしてて」
「……いえ」
そう答えた里奈は、むっとした顔をしてからそっぽを向いてしまった。
口をとがらせ、見るからにすねてしまった里奈は言う。
「輝さんは『みんなのもの』ですからね、私なんて構ってられないでしょう」
ああ、それは愛が、千尋と俺を練習室から押し出したときに言った言葉。くそう、愛め、変なことを言うから……
でも、その言葉を里奈は曲解している。いや、こんなにすねちゃってるんだから、わざとそんなふうに言っているのかもしれない。
たぶん、分かってるんだろうけど――
「『みんなのもの』のみんなの中には、里奈も含まれているでしょ」
そう言うと、里奈は口をとがらせたまま横目で俺を見た。
俺はすねたままのその顔を、横からのぞいて言う。
「合唱部は7人なんだ。だから、俺の7分の1は里奈のものだよ」
そう言って――
「……ん?」
それからふと、気づいて立ち止まった。
一緒に立ち止まってくれた里奈に、ちょっと聞いてみる。
「それじゃあ俺――7等分にされるのか?」
答えない里奈。むっとしたままの横顔――ぷくっと頬をふくらませている。
「えっと、どうなるんだ? ……まさか、愛か誰かにバラされる? 今のうちに逃げた方がいいのか? ――生きるために」
……。
「ぷっ……くっ」
里奈はさっと顔を逸らした。
里奈、頬をふくらめていたのが仇になったな。それはちょっとした事で吹き出してしまう、リスクの高い行為だ。俺も小学生の頃はよくやった。
「……自分のこと、ケーキ、みたいに言うんですね」
向こうを向いたまま、そう言う里奈。
「んっ、ふふふ……」
効いてる、効いてる。
なんだか、ちょっとだけいたずらしたくなってきた。
向こうを向いたままの里奈に、声をかける。
「里奈、笑ってる?」
「笑ってません」
そうか、笑ってないか。
「ところでさ、7等分って――どうやるの、里奈」
「知らないです」
そう言う声も、肩もちょっと震えている。
それじゃあ、もう少しだけ――
「うーん、面倒か。あるいは8等分にして、残った1つを賭けてバトルロイヤルするの?」
「知らないですよ」
里奈と立ち止まってそんなやりとりをしていると、後ろから4人の部員たちが階段を下りてきた。
向こうを向いたまま肩を震わせる里奈と、ひたすらしゃべりかけている俺――それを見た愛が、さっきまでしおれていたとは思えない満面の笑みで言う。
「あれー、輝さん。里奈のこと、いじめてます?」
「ちょっとだけ」
それが聞こえた里奈は、小さな手をきゅっと握った。
「あー、なるほど。それじゃあ、お幸せにー……」
そう言って愛は、「そそくさ」と言いながら他の3人を連れて、そそくさと階段を下りて行った。
静かになった西階段に、俺と里奈がふたり残される。
「……輝さん、どうしてこんな日に限ってガンガン話しかけてくるんですか」
そっか――里奈にとっては「こんな日」か。
「『そんな日』だから、かな」
俺がそう言うと、里奈はちらりとこちらを見る。
そうして見えた横顔には、もうきれいな笑顔がこぼれて見えている。
もう隠せないと思ったか、それとも隠す必要がなくなったと思ったか、里奈はその顔をこちらに向けた。
「分かりました、輝さんは8等分にてみんなで分けましょう。残ったひとつは、私が獲ります」
そう言って里奈は、力のこもった目で俺の目を見る。
「私はふたつ、獲りますからね」
・・・・・・
校舎を出て、ふたり並んで校門へ向け歩いていく。
「ねえ、輝さん」
里奈はなにか思案するような顔で、前を向いたまま言った。
「歌の歌詞って、愛だとか恋だとか、よく言いますよね」
「そうだね」
そういうもの――ひとが特に大切に思うもの、強い思いを抱くもの、そういったものをひとは歌にしようとする。
里奈はまだ思案しながら、少し不満そうに言った。
「私、そういうの、ちょっとくどくて嫌だなって思うんです。そういう言葉ばっかり、何度も、何度も――輝さんはどう思いますか?」
くどくて嫌、か。
里奈は中学2年生。それならまだ、そんな感想を抱く頃だろう。
その頃の俺もそうだった。
「そうだね――俺も、おんなじように思ってたな」
「そうですよね、やっぱり!」
里奈は、ぱっと笑顔を咲かせてこちらを見た。
それから小さくため息をついて、口をとがらせる。
「どうして、あんな歌詞を書くんでしょう。楽譜を渡されれば歌いはしますけど、なんか変な歌だなーって思うんです」
そう言って里奈は、俺の顔を見上げた。
「輝さんはそういう歌、どう思って歌ってますか? 私、なんだか歌いにくくって」
うーん……中2か。
その頃の俺は、そうだな――
「慣れ――かな。慣れ。すっきり歌うためには、まず慣れること」
「慣れること、ですか」
そう言う里奈は、あまり納得したような顔をしない。
まあ、中2の時の俺も、「慣れ」だなんて言われたら今の里奈みたいな顔をしただろう。
でも――
「慣れ、だよ。最初はとにかく『そういうもの』と思ってやるんだ。もっと後になれば、そういう歌詞も割と自然に思えるようになる。そのうちちゃんと、分かるようになるよ」
「そうですか……?」
里奈は難しい顔をしながら「うーん」と言って、少し首をかしげた。
・・・・・・
校門前まで来て、ここで里奈としばし別れる。次に会うのは月曜だ。
「それじゃあ、また」
そう言って手を振る俺に、里奈も手を振り返してくれた。
「はい、また!」
俺を引き止めずに、すんなり帰っていく里奈。
妙にあっさりと別れた里奈にわずかな違和感を抱きながら、俺も帰路についた。




