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第36話 その答案は部分点

「『どう思ってる』、って――?」


 俺は聞き返す。

 その「どう」って、どういう意味だ……?


 陽和はそれには答えないで、さらに問いかけてきた。


「輝は里奈のこと、どう思ってる?」


 「どう」思ってるか、って――


「ええっと――」


 ……俺から見て里奈は、どんなふうに見えるのか。

 そうだ、それを言えば大丈夫。


「――いい後輩、かな。ちょっとにぎやかで、小動物っぽい」


 しかし――こちらを向いた陽和の表情は、どこか不満げ。

 期待しているのは、そういう話じゃない――そう言っているかのよう。


 それから、また。


「愛のことは? どう思ってるの?」


 そう聞いてきた。

 いま、陽和の期待している答えは――


「やっぱり、『いい後輩』かな。里奈とはまた、違うタイプの」

「……」


 陽和の不満げな表情は、変わらない。


 それから――


「琴音のことは――? どう思ってる?」


 そう聞かれた。

 陽和が期待している答えは――


「えっと……ちょっと堅い感じはあるけど、『いい仲間』になれそうだな、って」

「……」


 それから、少し間があって――


「……私の、ことは?」


 たぶん聞いてくるだろうなと思っていた。

 そしていちばん恐れていた、問い。


「輝は私のこと……どう、思ってる?」


 陽和がいま期待している答えは、たぶん分かってる。

 だから今まで、あえてそれを外してきた。


 でも、陽和には――期待から外した答えを返してしまっていいのか、分からない。


 期待通りの答えをすれば、たぶん陽和は喜ぶと思う。

 でも、俺が思っている「期待されている答え」が、正しいと言う確証はない。


 今ここで、期待通りの答えをするだけの勇気が、ない。


「……」


 言葉に、詰まって――


「仲間、って言うよりかは、ともだち――」

「言わないで」


 ――。


「言わないで――それを言ったら、夢が覚めちゃう。もう、分かったから……せめてあと少しだけ、かおる祭が終わるまで、このまま夢を見させておいて」


 夢――

 陽和が見ている、夢。


 それを覚ますような言葉……

 結局、俺はそういう答えを選んでしまった。


「……」


 これで、よかったのか……


 分からない。考える時間がほしい。

 でも今この場で、そんな時間はない。


 陽和に「言わないで」と止められたとき、感じたのは苦味。

 これじゃだめだったんだと、心が悔いる苦い思い。


 苦いのなら、その答えは自分にとって間違い。

 でも……たぶん分かっている「正解」を言う勇気が、ない。


「陽和、俺は――」

「……」


 陽和は下を向いて、ぎゅっと目をつむる。

 もう言わないで、と――


 声をかけた俺は、それでも分かっている「正解」を言えずに――


「……俺は陽和を、自分の言葉で笑わせたい。そう、思ってる」


 ――そう言った。


 それは俺自身、「正解」でも「不正解」でもないと思える言葉。

 そんなマルにもバツにもならない答案を、俺は一生懸命になって話す。


「こないだ、家に帰った後。スマホで話した時あったでしょ。あの時は陽和を思いっきり笑わせて――陽和の声、ちょっと、くすぐったかった」


 スマホ越しに、楽しく笑いあったあの時の話。

 その話を出して、なんとかいい着地点を探そうとする。


「でもあれは、俺が笑わせたんじゃなかった。岩村先生のネタ、食券のやつ。陽和はあれで笑ってた。俺の言葉じゃなかったんだ」


 一生懸命に、正解じゃない答えばかりが口から出ていく。

 多少格好をつけただけの、自分でも満足していない言葉が。


「俺は陽和を笑わせてみたい、あの時みたいに。いつかは自分の言葉で、陽和を笑わせたい。……陽和のこと、そう、思ってる」


 俺は、陽和への「答案」をそうしめくくった。

 微妙な苦味が、残り続けたままだった。


 夕闇に沈んでいく森の中、聞いていたかどうかも分からなかった陽和は――

 急に顔を上げて、ぎゅっと目をつむったまま叫んだ。


「50点――!」


・・・・・・


 あっけにとられた俺を、陽和は怒ったような顔で見る。


「100点満点中、50点だよ、輝!」


 え――


 『それって、何の点数?』


 とは、聞けずに――


「……合格点は?」


 と、聞いた。


 陽和は少し口をとがらせて、視線を外して――

 そして、消えそうな声で言った。


「……50点」


「……」


 陽和的には、ギリギリ合格の判定になったらしい。

 俺的には、落第だろうと思ったけれど。


 俺がした解答はおそらく不十分で。

 陽和がした採点はたぶん甘めで、曖昧だった。


 これが、今の俺と陽和の関係なんだろう。


「50点、か……」

「うん」


「でも……ありがと。とりあえず今は、50点で満足」


 満足、とは言うけれど――

 50点しかくれなかったのは、満足できないでいるからだろう。


「でもいつかは、100点が欲しいな。……私も、輝と100点とれるように頑張るから」


 陽和はそう言って、背もたれに寄りかかって目を閉じた。


・・・・・・


 校庭の照明が消え、森の中は急に暗くなった。


 鞄から、この前使った懐中電灯を引っ張り出す。先端部をぐるぐる回して取り外すと、中で光っていた小さな電球が露わになった。


 右手に持った、小さな光の杖。少し陽和の方へ寄せる。

 すぐ隣から衣擦れの音がして、陽和が身体を寄せてきた。


 互いの制服が半分ずつ、淡い光に照らされる。


「はあ……」


 陽和が深くため息をつく。視線を向けたが、顔がよく見えない。


「どうした?」

「ううん、何でも」


 はぐらかす陽和だったが――


「あのね……」


 自分から、話し出した。


「輝とこうしていられるの、あと1ヵ月もないんだな、って思って……ちょっと寂しくなっちゃって」


 陽和が勢いよく背もたれに寄りかかって、ベンチがぎしっと音を立てる。


「あー、もう! かおる祭なんて、来なきゃいいのにっ!」


 真っ暗な森の中に、陽和の大きな声が吸い込まれていく。


「あと――せめてあと2ヵ月、こんな生活が欲しい……それまでの間だけ、かおる祭が来なければいいのに」


 ……。


 それは――俺が決めたことだ。


  『合唱部に籍は置かない。助っ人みたいな扱いで、出るのはかおる祭だけ』

  『こちらも事情はあるし、そちらの事情的にも、これで十分だろ?』


 合唱部としてかおる祭に出ると決めた時、そう言った。

 だから――陽和たち合唱部員の輪の中に、俺が混ざって過ごす日々は、かおる祭が来れば終わる。


 陽和は、せめてあと2ヵ月はその生活が欲しいと、そう言った。


 でも、俺がかおる祭以降も合唱部に残れば、かおる祭を過ぎてもそんな生活を続けられる。


 俺は初めは、参加するのに乗り気じゃなった。ただ合唱部の事情を知って、とりあえずかおる祭まで――と言ったんだった。

 あの時は、みんなの顔も声も知らなかったから。


 かおる祭が終わって、俺が役割を果たし合唱部を去ったら――みんなはどう思うんだろう。


 割とドライに「ありがとう、さようなら」で済ますんだろうか。

 それとも陽和みたいに、もっと一緒に居たいと言うんだろうか。


 絶対にかおる祭までしかやらないからな、と思っていたけど。


 みんなと会って、思いっきりぶつかって、言葉を交わし合って、笑顔を向け合って――そうしてせっかく繋いだ関係を、1ヵ月で放り出して、それでいいのか。


 でも――俺は小4から中3まで6年間、合唱ばかりやってきた。街中を友達と連れ立って歩いているような人たちとは、全くの別世界だった。

 だから俺は、合唱部を続けたくない。ここでの3年間の高校生活は、今までとは違う世界を知りたいから。


 ……でも。


 それを選ぶと、もう居場所ができ始めているここの合唱部には、いられなくなる。


 俺はかおる祭の舞台に、全力で臨むつもりだ。当然、合唱部の廃部を回避するための策も、全力でやる。

 それがきちんと目論見通りになったなら、合唱部は存続し――もし俺が、合唱部を続けるという選択をしたなら、この先3年間の学校生活は合唱で埋め尽くされてしまう。


「……」


 いっそ、そうしてしまおうか――


 里奈、愛、琴音、そして陽和。

 名前を知っているだけでもこれだけの、気を許せる仲間たちと、この先も一緒にいられる。


 今ここで、「やっぱり合唱部続けるよ、最後まで」と言えば、そういう学校生活が手に入る。


 すぐそばで静かに息をしている陽和と、同じ部活の仲間として、やっていける。


 そうだ、その言葉さえ言えば――


「……」


 ――それさえ言えば、いいのに。


 普通の学校生活への憧れ――4月に、俺に合唱部入部をやめさせたほどの憧れが、心にまとわりついて離れない。


「……」


 そして――


「陽和――」

「ん?」


「だめかな? かおる祭が終わった後も、そのまま仲良くしているのって」


 それは、「両方」満たせるいい選択肢。

 陽和だけじゃない、他のみんなとも――そう、この前、里奈に言ったように。


  『この学校にいる限り、また会えないなんてことはないよ』


 かおる祭が終われば今生の別れ、というわけじゃない。会おうと思えば、いつだって会える。


「俺はかおる祭が終わっても、合唱部に行かなくなるだけ。同じ学校、同じクラスだ。普通に会えるし、話せる」


 それから俺は思いついた言葉を、次々と口に出していく。


「昼休みは一緒に弁当食べて、一緒にここに散歩しに来てもいい。放課後は俺が合唱部の練習が終わるまで待つよ。そうすれば、こうしてここで過ごすことだってできるよ」


 陽和と仲良くなって、そうやって過ごす日々――いいじゃないか。


 そう思いながら少し陽和の方を見ると、懐中電灯の光に照らされたスカートの上で、その手がきゅっと握られた。


「……うん、そうだね」


 その手の力が、少し緩んで――


「そっか……かおる祭の先も、か」


 そう、まだ先はある。

 だから、大丈夫。


 そう思っているのに――


 ……なんだか、満足した気になれない。

 どこか、虚しい気分が残っているよう。心がどこかで、それでいいのかと言っている気がする。


 それでも、合唱部にはいられないのだ。

 合唱部にでき始めた、放課後の心地よい居場所はどうなる――?


 どうなる――?


 ……。


・・・・・・


 暗闇に包まれて、どれくらい経ったか。

 さすがに帰るのが遅くなってしまう。今日はこの辺りでお開きにしよう。


 せっかく陽和とふたりきりだったのに、どこか物足りない気がするけれど。


「陽和、そろそろ行こう」

「え……もうちょっとだけ」


 陽和は少し嫌がった。

 そんな陽和を、俺がなだめる。


「時間はこの先いくらでもあるから。またこうやって会いたかったら、気軽に言ってよ」

「うーん……」


 なんだか不満げな声だったが――


「……わかった」


 渋々といった雰囲気で、受け入れてくれた。


・・・・・・


 森から校外へ出る「脱出口」へ向かって、ふたりでゆっくり歩いていく。足元をよく照らして、つまづかないように。

 肩が触れるくらいに近寄った陽和のスカートが、さらさらと手に触れていた。


 一度使った「脱出口」は、今度はすぐに見つかった。木々の先、学校の敷地を囲う鉄柵にある、わずかな隙間。

 まず俺が、次に陽和がすり抜けて、最後の難関の前に並んで立つ。

 見下ろすと少し怖い、高低差。校外の道路へ、飛び降りる場所。陽和は前回、ここで立ちすくんでしまった。


「陽和、持ってて」


 そう言って懐中電灯を渡す。少し触れた指が、ひんやりと冷たかった。


 この間と同じように、鞄を置いて飛び降りてから、その鞄を引きずり降ろして地面に置く。それから陽和の鞄を受け取って、地面に置かず俺が背負った。


「陽和、いけるよ。大丈夫」


 そう声をかけたが、陽和は飛び降りない。


 仕方ないので、この前と同じように、陽和に向かって両手を広げた。


 陽和はそれを見て、ぱっと飛び降りて――

 とん、と着地してから、4歩よろけて――そのまま広げた腕の中に入ってきた。


 この前より、少し距離をとったはずだったが、飛び込んできたものは仕方がない。受け止めるように、両腕を閉じた。


 ふわりと陽和の髪のにおいが漂って、鼻をくすぐった。

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