第27話 突風
「ねえ、ちょっと――」
のんきな明の声が、黙り込んだ俺たちの間に割り込んできた。
「みんな、周り見てみよう。合唱部員が4人いる」
……何言ってるんだ、こいつ。
「合唱部は人数が足らなくて廃部寸前……今の部員は、輝を抜くと何人になる?」
「7人です」
ツインテールの部員が、すぐに答えた。
「へえ」
明はにやつく。
「7人中、4人――つまり過半数の部員が、いま輝の所に来てるんだ」
明は俺の顔を見て、にやりと笑って言った。
「部員の過半数に取り囲まれる――これでもお前は自分が『部外者』だって思うのか?」
……俺は、正式な部員じゃない。
「籍がどうとか知らないけど、もういいんじゃないの? ひとりの合唱部員、ってことで」
「……」
――その時、天井のスピーカーが大きな音でチャイムを鳴らした。
始業10分前の合図だ。
・・・・・・
部長としての義務からか、陽和が押し掛けてきた3人を帰らせようと声をかける。
「みんな、教室戻って。早く。話はまた後にして」
そう言われた3人は立ち去りかけたが――ツインテールの部員が、振り返った。
手にはまだ俺のクリアファイルを持っている。
「輝さん、この楽譜はもう、捨てるんですか?」
「ああ」
使わない楽譜を持っている必要はない。
が――
「よし、ならこのまま私が持ち逃げします。返してほしかったら練習室まで来てください」
そう言ってくるりと背を向けると、ツインテールに結んだ髪を揺らしながらすたすたと歩き去った。
他の2人が、慌てて後を追っていった。
「……」
……盗られた。
・・・・・・
ぼんやりと午前を過ごした後の、昼休み――
こういう時は、だいたい明がなにか言ってくるはずだが、今日は珍しく何も言わない。
気まずく黙っている俺と、悠々と黙っている明。
「……何も言わないのかよ」
思わず俺はそう言った。
こっちを向いた明は、なんだか意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「何か言ってほしいのか?」
「……」
俺が黙ると、明はこちらを向いて座りなおし、机に肘をついた。
そして明にしては珍しい、真剣な表情で俺の顔を見た。
「今日行けよ、合唱部」
「……なんで?」
俺はできるだけ不満そうな声で答えた。
だが明はそれを意に介さない。
「楽譜を奪われたんだ、行かざるを得ないだろ」
「俺はあんなの、もういらない」
そう言っても、明は表情を変えない。
「違うよ、お前の気持ちはどうでもいい」
「……どういう意味だよ」
そう聞くと、明は少し首を振って答える。
「あの部員の気持ちの方を考えろ、ってことだよ」
「気持ちって……もう使わない楽譜を盗ってった気持ちをか? 取り返しに来るわけがない物を、わざわざ盗ってった気持ちって何だよ」
明は、今度ははっきりと首を振る。
「あの部員、返してほしければ練習室に来い、って言ってたろ。あれ、取り返されるのを期待して言ってるはずがないだろう」
「……じゃあ、何を期待してるんだ? こんな俺に」
明は苦笑いする。
「おい、そんな卑下すんな」
そう言って、明はまた真面目な表情に戻した。
「あいつは『練習室に来い』って言ってただろう。つまり練習室に――もっと言えば、合唱部に来いって事だ」
来い、って……
「『部外者』の俺にか」
「ふてくされるなよ。あいつは学年の違うお前の所まで来て、楽譜持ち逃げしてったんだ。お前が取り返しに来るのを期待して」
俺には勝手な事するなって言ったくせに、向こうは勝手に俺に期待するのか。
期待されたら無条件で応えなきゃいけないなんてルールはない。俺がそんな期待に応える義務はない。
そう考えている俺を前に、明は話を続ける。
「楽譜をエサにお前を練習室に来させようとする――少なくともあいつは、お前を合唱部のメンバーだと思ってるはずだぞ」
「……あいつの名前も知らないぞ、俺は」
俺はそう言ったが、明は聞かずに話を進める。
「他の部員も来てたな。だいぶお前に好意的なやつもいたけど……あれが『部外者』への態度か?」
……里奈、か。
「あとは、桜井……ずいぶん親しくなったじゃないか。こんな短期間で。この人たらしめ」
「人たらしじゃない。俺にはそんな器用な事できない」
俺の抗議に、明はまた苦笑いする。
「桜井は、初めはお前を合唱部に引き入れたいだけだったようだけど……その後の態度を見るに、もうそれだけじゃないだろ」
それだけじゃない……?
陽和の顔が、苦々しく浮かぶ。
『メンバーにするふりをして、俺を誘い込んだ方が悪い』
そういう事だったんだろうに。
あいつは――
『輝、無理してない? 私、輝までダメにしちゃったら――』
『私の見てない所で泣いちゃだめ。輝が泣く時は、私も一緒に……』
「……」
あいつは……。
明が、考える俺の表情をじっと見ながら言う。
「今朝お前は、合唱部員の過半数に囲まれてたんだ。下を向いちまったお前の顔を上げさせるために」
別に囲んでたわけじゃないだろう。
「真ん中にいたお前は分からなかっただろうけど、お前はあの時、合唱部員の輪の中にいたんだぞ」
……輪の中?
「今日お前が合唱部に行って、他の部員から糾弾されたとしても、あいつらはお前の味方をするはずだ。だから今日、合唱部に行ってもお前がひとりきりになることはない」
そう言ってから、明は少しだけ視線を外した。
「こういうのは俺のガラじゃないんだけど……」
……なんだ?
「あいつらは言うぞ、『輝はひとりじゃない』って」
「……」
言うかな、そんな事。
『輝さんはひとりきりじゃありません。私がいますから』
……。
そういえば里奈は今朝、言ってた――
明はまっすぐ俺の顔を見据えた。
「行けよ、今日。これは義務だぞ、あいつらに対しての」
明は念を押すように俺の目を見て、それから前を向いて座りなおし、それきり何も言わなかった。
・・・・・・
ひとりじゃない――
何言ってんだか。
『君はひとりじゃない』
『その人は、君を守ろうとして動いた』
……ほんと、何言ってんだか。
この前里奈に、そんな事言ってたんだ、俺。
『君が思ってるよりずっと、君の事が好きだと思うよ』
俺は頭を振って、その言葉をかき消した。
・・・・・・
放課後――
俺は席に座ったまま、何もせず頬杖をついていた。明は何も言わず、早々と出て行った。
俺は陽和がそっと教室から出て行くのを横目で追って……そして目をそらした。
風が、がたがたと窓を鳴らす。開いた窓から吹き込んだ風が、教卓の上にあった何かの紙を数枚、宙に舞わせた。
・・・・・・
西階段、3階。
上へと続く階段を見上げ、立ち止まる。
身を包んでいるのは、鞄に入っていたジャージ――手に楽譜がないのが妙な不安感を掻き立てる。
他の生徒たちが、立ったままの俺の横を通り抜けていく。
階段に、足をかけた。
・・・・・・
4階西の端、閉ざされた大きな灰色のドア。
歩み寄って耳を近付けると、歌声がかすかに漏れて聞こえる。
暗い数センチ幅の窓に目を近付け、じっと見る。
よく目を凝らすと、ピアノがある部屋の奥を向いて、立っている誰かの背中が見えた。
「……」
何やってんだ、俺は。
今さら合わせる顔なんてないだろう。何を期待して、こんな格好でこんな所まで来てんだ。
やめよう。引き返そう。
――ガタガタッ!
その時、突風が隣の教室の窓を乱暴に鳴らした。
――ギギギギ
灰色のドアが、嫌な音を立てて内側へ動く。
廊下を抜けようとした風が、強くドアを押している――
驚いて数歩下がったその時――
――ガシャッ
レバーが、上がった。




