第21話 発火
「里奈、行こう」
「はい」
里奈は素直に答えてくれた。
俺が先に立って、部屋を出る。練習室はひとつ上の階。西階段を上ればすぐだ。
後ろから、とことこと足音がついてくる。離れないように、そっと歩みを緩めてその足音に耳を澄ます。
・・・・・・
4階、西の端。
灰色のドア、大きなレバー。「多目的室401」のプレート。
今の里奈には開けられない重いドア。
だから誰かが、前に立って開けてあげなければならない。
時間的には、俺たちはもうだいぶ遅刻している。
おそらく体操と発声練習は終わっているだろう。とすれば今、中では歌の練習をしているはず。
歌っているところを途中で切りたくない。歌が止まったタイミングで入りたい。
そう思って、ドアに耳を寄せしばらく聴いてみたが――
……なんだ? 何も聞こえない。
中学の時の練習室は、防音ではあったがさすがに合唱の歌声は防ぎきれていなかった。ドアに耳を寄せれば、かすかに歌が聞こえたが……
後ろに立つ里奈を振り返って、聞いてみる。
「ねえ、ここって中で歌ってても外には聞こえないの? 何も聞こえないんだけど」
里奈は怪訝そうな顔をした。
「いえ、少しだけ聞こえるはずです」
そしてドアに近寄った里奈は、眉を寄せる。
「……歌ってませんね」
歌ってない? 練習が急に中止になったのか?
「誰もいないのかな?」
俺のその問いに、里奈は首を振った。
里奈はドアに付いた細長い窓を指差す。幅が細く、ガラスもかなり暗めの色で中はよく見えないが……
「電気はついてるみたいです。人はいると思います」
普段から見ている里奈がそう言うなら、そうなのだろう。
――なんだか、嫌な予感がするな。
練習時間中に、歌声が聞こえない。しかし解散して帰ったわけでもなく、明かりをつけたまま中にいる。
じゃあ、中でいったい何をしている――?
「……」
ちょっと入っていきたくない状況だが……
里奈はともかく、俺は今日ここに来ることになっている。入らないわけにはいかない。
俺はドアのレバーをぐっと握った。
「行くよ、後ろから来て」
「……はい」
里奈はさすがに怖気づいたか、急に表情を硬くした。
大丈夫だ、そんな怖いことは起こらないよ。どうせ入ったらすぐ、笑顔になれる。
俺は腕に力を込めて、レバーを上げた。
――ガシャッ
音を立てて、レバーが上がる。重い灰色のドアを、身体で押す。
「失礼します」
・・・・・・
ドアをぐっと押し開くと、その向こうには……
並んだままの机、その最前列に並んで座る5人の部員たち――
その全員の視線が、刺さるように俺に集中した。
……。
やっぱり、良くない空気だ。
ひとまず室内へ踏み入ると、後ろから里奈もついてきた。
「失礼します……」
小さい声でそう言った里奈――俺に集まっていた視線は、今度は全て里奈に向けられた。誰も、何も言わず。
「……」
……おい、それはないだろう。
出て行って、それから勇気を出して戻ってきた部員がそんな目を向けたら――
この小柄な下級生に、そんな無遠慮にに視線を向けるのはやめてくれ。
とりあえず里奈を部屋に入れて、ドアを閉めさせる。表情は硬い。
さっきふたりで話した時、ようやく見せてくれた笑顔は、もうない。
ひとまず里奈に集中した視線を遮ろうと、左半身で里奈を隠した。
「……」
本当に誰も一言も言わない。状況の説明くらい、あってもいいだろうに。
仕方ない。本来は向こうが何か言うべきだが、俺の方から聞いて――
「あー」
……しかしその前に、あまり緊張感のない声が室内に響いた。よく響く声。
見ると、部員たちと向き合う形で、教卓側に出された椅子に岩村先生が座っていた。
先生は背もたれに寄りかかりながら、冴えない顔で言う。
「えーと、里奈……それと輝くん。ずいぶん遅れたね。何かあった?」
先生、今「それと」って付け足したな。俺はついで扱いか。
……でもこれは先生の配慮だろう。里奈を先に呼んでついでに流れ弾のように俺を下げ――遠回しに里奈の気持ちを和らげようと手を打ったんだと思う。
「ほら里奈、鞄下ろして。重いでしょ」
俺も鞄背負ってるんだけど。里奈、君だけ下ろしていいってさ。
「あー、それでね」
岩村先生が間の抜けた声で言う。
「今の状況、俺から軽く説明するよ」
先生はちらっと座っている部員たちを見てから、こちらに視線を戻した。
「ほら、こないだ色々なことがあったじゃん? だから、今後どうしようか――って、部員みんなで話し合ってるんだ」
……あまり説明になっていない。
「はあ、そうですか……」
だから俺の返事は中途半端になった。
それから先生は付け加えた。
「俺は座ってるだけだよ。こないだも言った通り、『部活動指導員』だからね。教員じゃない。部の方針には口を挟めないよ」
すると、今しているのは部の方針に関わる話し合いか。
もう少し説明してくれるのを期待して、俺は先生に聞いた。
「それで、今どうなってるんですか? その話し合いは」
「……」
答えがなかった。
しばらくの沈黙の後、先生は少し冷たさを含んだ声で言った。
「……それは、部員が説明するんじゃない?」
言外に、誰も発言しない部員たちをとがめているようだ。
とりあえず、俺は並んで座っている部員たちの方を向く。説明するのはそちら側だ。
ややあってから、竹内が片手を挙げた。
「出て行ってしまったふたりを、どうやって呼び戻そうかと話し合っていました」
その言葉は俺に向けてのものか、それとも岩村先生に向けてのものか。ちょっと判別がつかない。
俺はとりあえず、話の続きをうながした。
「それで今、どういう話になってる?」
竹内は少し黙ってから、言った。
「ほぼ、進展なし」
……。
進展なし、って――いま何時だ? 部活が始まる時間から、もうだいぶ経ったはずだけど、一体どれくらい話し合ってたんだ?
竹内は俺にきつい視線を向けた。
「海野さん、里奈、連れてきたの?」
「……ああ」
事情がよく分からないが……なぜそんなふうに俺を見るんだ?
竹内は眉を寄せて言う。
「どうやって? まさか、無理に引っ張ってきたんじゃないでしょうね?」
……ああ、そう見られているのか。
「いや、そこでたまたま会っただけだよ」
そう言うしかなかった。そもそも、俺は里奈のクラスを知らない。この広い校内で、どうやって見つけて引っ張って来れると思うのか。
竹内は視線を外さずに言う。
「……本当?」
だいぶ深い疑念の声。
「私たちは今、どうやってうまくふたりを連れ戻すか、みんなで慎重に考えていたのだけれど……どうして、海野さんが里奈を?」
……。
あちらでは、俺が里奈を無理に連れてきたということになっているらしい。
でもちょっと待ってくれ、そもそもこの話し合い自体がおかしいだろう。
出て行った部員を連れ戻す? 無理に引っ張って来ずに?
それは無理だ。本人が自分で歩いて戻ってくるのを待つしかない。だって――
自分で戻ろうとしない部員を連れ戻すのは、無理に引っ張ってくるということに他ならないのだから。
そんなものを話し合って、進展があるわけがない。
竹内が俺にじっと強い視線を送って来た。
「海野さん、答えてくれない?」
……。
うーん、と……
俺自身、間違うことは人一倍多いけど……今日里奈をここまで連れてきたのは間違いじゃないだろう。
どうして俺がこんな扱いになってるんだ。
「……」
全体を見渡す。
相変わらず座ったままの部員たち。歌の指導に来たのに、ただ待たされているだけの先生。そして見なくても分かる、俺の後ろには、せっかく来てくれた里奈が立っている。
そうしている俺に、また声がかけられる。
「海野さん、何か言ってほしいな」
それなら……
はっきり、言うべきことを言おうか。
「あのさ、言い方悪いけど――」
――どうにでもなれ。
「ちょっと――頭悪いんじゃないの?」




