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第19話 いずれ好きになるかも

 練習室前の階段で、不意に出くわしたふたり――


 先日部活から出て行ってしまった里奈と、半ばその原因となった俺が、すれ違うような形で立ち止まっている。


・・・・・・


「すみません」

 相変わらず里奈はこちらを向かないまま、そう言って階段を降り始めた。


 まずい、ここで行かせたらもう――


「――待って! ここで帰したくない」

 俺がそう言うと里奈は立ち止まって、こちらを見上げた。

 痛いほどに疲れ果てた表情が、胸に刺さる。


「……先週の事を覚えているなら、先輩は分かっているはずですけど。私は歌が好きじゃないですから。今日ここに来てしまったのは……ただの気の迷い、です。歌が好きじゃない私が合唱部にいる資格は――」 


「違う、そういうのはいらない」


 強めに、出来るだけ気持ちに刺さるようそう言った。

 言葉を遮られた里奈は、口をつぐんだ。


 俺は里奈の所まで階段を降りながら、言葉をかける。


「歌が好きとか、そういうのはいらないから。それよりも合唱部が欲しいのは、さっき君が言った『気の迷い』のほうだ」


 里奈は「気の迷い」と聞いて眉を寄せた。


 俺は里奈と同じ段に立った。


「その辺、詳しい話をしたいんだけど、いい? もちろん、拒否してもいいけど……」


 さらに3段降りて、里奈を見上げる。


「ここで聞かずに別れたら、後悔するよ。『あと数メートル進んでいればいつもの合唱部に戻れた』って」


 ……ファイルを持つ里奈の手に、少し力が入った。


「こんな形で別れたら、これまで合唱部のみんなと過ごした時間――それ、全部苦い思い出に変わっちゃう。そうなったらもう一生戻せない」


 里奈は動かない。

 なら……


「……合唱部にいた時間全てが、君の人生の汚点(・・)になるから」


 それを聞くと、さすがに里奈は俺を見上げつつきつくにらんできた。


 それでいい。

 もう里奈に、話を聞く以外の選択肢はなくなったはずだ。


・・・・・・


「どう? 来る?」


 俺は里奈にそう聞いたが、返答はなかった。

 ただ、きつい顔のまま、わずかにうなづいた。


 よし、話せる。


 場所は――練習室と同じ階は避けたい。何かの拍子に他の部員と出くわす可能性がある。今回の話は、できれば1対1がいい。どちらかというと、里奈のために。


 場所は1階下にずらせば、どこでもいいだろう。


「それじゃあ3階へ降りて適当な部屋を探そうか。ま、力抜いてついてきて」


 余裕たっぷりにそう言って、俺はゆっくり階段を降り始めた。里奈の小さな足音も、後からついてくる。


 これから俺が話す内容には、絶対の確信がある。だから俺がうまく話せて、里奈がきちんと聞いてくれれば、里奈は絶対に部に戻ってくれる。一片の迷いも、悩みもなく。


 だが……里奈はともかく、俺がうまく話せなかったら――


 その時はもう、お終いだ。さっきの俺の言葉通り、里奈の合唱部の思いでは全て苦いものに変わり、一生それを直すことはできない。


 後ろに里奈の足音を聞きながら、俺は歯を噛みしめた。


 余裕なんか、あるもんか。


・・・・・・


 3階に降りてすぐ、小さな多目的室がちょうど空いているのを見つけた。俺は里奈を連れてそこへ入った。


 俺は適当な椅子に座って、里奈にも座るよう勧めたが、里奈は鞄も降ろさず立ったまま不愛想な顔をしていた。

 後輩を立たせて話すのは気分良くないが、俺が立ったら小柄な里奈をずっと見下ろす形になる。このまま座って見上げながら話そう。


 さて……大事な話の始まりだ。


「えーと、歌が好きなのがどうとか、そういう話だけど――」


 でも俺は話を始めるのが苦手だ……


 ひとつ息をついてから、きちんと言葉を探していく。


「君は、歌が好きな人ってどんなイメージ?」

「そのままの意味です」


「そっか……」


 頑張って選んだ言葉に、冷たく即答された。

 だいぶ嫌われてるな……


 でもいい。好かれるのが目的の話じゃない。続けよう。


「じゃあさ、カラオケ行ったりなんかする?」

「歌は好きじゃないので、付き合い以外は行きません」


 あくまで不愛想を貫く里奈。


 俺はここで話を変える。()()()()()


「じゃあさ、『小説』は読む?」

「基本読みません」

 また不愛想に答える里奈。


「何ですかこの話。必要ですか?」

 里奈はあからさまに不満な顔で言うが……


「うん、必要」


 俺はきっぱり断言した。

 そしてさっきとほぼ同じ質問をする。


「君にとって『小説』が好きな人って、どんなイメージ?」

「そのままの意味です」


 さっきと同じ答えが返ってくる。


 よし、これでいい。


 俺はあえて、ちょっとラフそうな雰囲気を出して言う。

「俺は()()()()()なんだよね。作者でいえば夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外――ああいう人たちが書く小説は素晴らしいよ」


 嘘だ。興味はない。ただ思い浮かんだ名前を並べただけ。


「そうですか。いい趣味だと思います」


 そしてまた不愛想に答える里奈。

 俺もラフな雰囲気で話を続ける。


「でもさ、最近流行ってるやつ……ラノベ? あれば読まないなあ」


 嘘。読んでる。


「別にいいと思います」


 相変わらず不愛想な里奈。

 それを無視して、俺は問いかける。


「でも……ラノベって『ライトノベル』の略でしょ。『ノベル』とは『小説』という意味のはず。俺はさっき()()()()()と言ったけど、『ライトノベル』を読んでない。これはどうなる? 小説が好きなのか、そうでないのか」


 それを聞いても、まだ里奈は不愛想な顔のまま答える。


「前提がおかしいです。()()()()()()()()()()()は全く違うものですから。『小説』と言うから同じものだ、というのは間違ってます」


 ……。


 よし、ちゃんと分かってるじゃん。


「そう、その通り。説明、いらなかったね」


 ……前座はここまで。一気に本題に入ろう。


・・・・・・


 怪訝そうな表情をみせる里奈に、俺は続きを話していく。


「俺が好きって言った小説とラノベは、どちらも『小説』だけどまあ別物だろう。そして、俺とは逆で『ラノベが好き』って人はたくさんいると思うけど……どっちが()()()()()な人になる?」


 意図を図りかねたか即答できないでいる里奈に、さらに問いかける。


「もしラノベだけ好きな人が、ちょっと興味持って夏目漱石とかにチャレンジして……そうだな、例えば『吾輩は猫である』を読み始めた時、その瞬間、その人は()()()()()()が好きになってると思う?」


「……」


 里奈は困ったような表情をみせた。


「それは……まだ好きにはなっていないと思います。いずれ好きになるかも、というだけで」


 里奈は本来、とても素直なんだろう。今は俺の問いにちゃんと答えようとしていて、もう不愛想な声を出せていない。


 それから――もう里奈は、答えにたどりついた。自覚していないだけで。後はそれを教えるだけでいい。


「その通り。要は言葉のせいだ。どちらも『小説』というけど違うもの。そして……これが『歌』になると、みんな違いが分からなくなる」


 里奈は困り顔のまま、聞いてきた。


「『歌』に、なにか違いがあるんですか?」

「うん」


 すぐに答える。


「歌を歌った経験はある? 合唱部以外で」

「はい」


 里奈もすぐに答えてくれた。


「そうだよね。カラオケもそうだし、口ずさんだことだってあるだろう。アニメのOP(オープニング)ED(エンディング)も『歌』だよね。それで――」


 少し身を乗り出して、立ったままこちらを見つめる里奈。

 俺は座ったままそれを見上げ、一番大きな問いを投げる。


()()はどう?」


()()――?」


「そう。何回歌った? 何回聞いた? 合唱部に入る前に」


「……」


 里奈は真剣に考えて、真剣に困って、それから小さな声で言った。


「……分かりません。でも、ほとんどないです」


 ほとんど……か。

 本当に、そうなのか?


「コンクールで歌うような曲はどう? 無伴奏で、声だけでやるやつ。それを歌ったことはあった? 聞いたことはあった?」


 言っている途中で里奈が下を向いてしまったので、俺はちょっと慌てて語尾を柔らかめにした。


「……」


 里奈は下を向いたまま黙っていたが、やがてかすかな声で言った。


「ありません……」


 ……そうだろう。俺だってそんなもんだった。


「うん、そうだよね。合唱なんて普通はやらないし聞かないよ」


 6年間合唱を続け、これからもう一度舞台に立とうという人間がこれである。だからそんなに下を向かなくていい。


・・・・・・


 話は一番大切なところへ――できればこれが、里奈にとってひと筋の光になってくれれば……


「……それでね、『歌』っていっても『小説』と同じで、違うものがひとくくりにされて、同じ言葉(ラベル)を貼られているんだ」


 中身が違うのに同じラベル……里奈の思い違いはそのせいだ。


「みんなが好きな『歌』と、合唱部がやる『歌』はほぼ別物。ラノベと夏目漱石の関係と同じ。みんなが好きな方の歌は、ラノベみたいな感じで普段からよく聞く。でも合唱はそんなに触れる機会がない。夏目漱石の作品みたいに」


 別に夏目漱石でなくてもいいのだが、適当な言葉が見つからない。

 でもいい、とりあえず里奈に意味が伝われば。


 下を向いたままの里奈に、なるべく優しく話していく。


「合唱を始めるということは、さっきの例でいえばラノベ好きが『吾輩は猫である』を手にした瞬間と同じ。その時点では好きじゃないんだ。読んだこともなかったんだから」


「……」


「合唱も同じだよ。歌ったことも聞いたことも大してないのに、初めから好きだったなんてあり得ない。合唱を始める時、大抵の人は合唱が好きじゃない」


「……!」


 里奈は驚いたように顔を上げた。

 ただ驚いたのではないだろう。()()()()()()()()()()()に、驚いたんだ。



「――君はさっき言ったよ。『いずれ好きになるかも』って。歌も、それでいい」

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