第9話 元使用人たちへの謝罪と、再起の提案
「……十二名。これが私の我儘で人生を狂わされた人たちの総数ね」
兄リュカが用意した名簿を前に、私は小さく息を吐いた。
内訳は、侍従が一名、料理人が一名、庭師が一名、そして御者が一名。侍女は八名で、そのうち四名は既に家庭に入り、三名が復職を希望している。そして残る一名――カレンだけが、別件として個別に対応する対象だった。
教師時代、問題を抱えた生徒の自宅を訪問したことはあるけれど、まさか異世界で『不当解雇した元使用人』の自宅を一軒ずつ訪ねることになるとは思わなかったわ。
「お兄様、ありがとうございます。……準備が整い次第、私が直接彼らを訪ねますわ」
「は? ……直接? 公爵令嬢のお前が? 本気なのか。……護衛はつけるが、罵倒される覚悟はしておけよ」
「ええ。それも『加害者』としての責任ですから」
私は馬車を走らせ、数日をかけて全員の消息を追った。
すでに結婚して家庭に入っていた四名の侍女たちに対しては、無理な復職は求めなかった。代わりに、私は彼女たちの家を訪ね、公爵令嬢という立場に頼ることなく、深く頭を下げた。
「あの時のわたくしは、あまりに未熟でした。あなたの人生に傷をつけたこと、心からお詫びします。これは……せめてもの、わたくしの罪滅ぼしです」
手渡したのは、彼女たちが失った給金と、これまでの苦労に報いるための十分すぎる補償金だった。だが、金銭だけで解決したと思うほど、私は世間知らずではない。
「……エスメラルダ様が、頭を下げるなんて」
震える彼女たちの目に、もはや憎しみはなかった。
だが、私は彼女たちの家族にも、真剣な眼差しを向けた。
「皆様。ここにおられる彼女は、何ら落ち度のない、極めて有能な女性です。かつてのわたくしの傲慢がゆえに、不当な解雇を突きつけたに過ぎません」
私は婚家の当主夫妻や夫を前に、言葉を尽くして説明した。
ミッテラン公爵家が『彼女たちに非はない』と公式に認めること。それは、この階級社会において何より強力な後ろ盾になる。
「今後、もし彼女たちが過去の解雇を理由に、婚家で肩身の狭い思いをするようなことがあれば、ミッテラン公爵家が黙っておりません。彼女たちは今や、我が公爵家の『名誉』に関わる大切な友人なのですから」
それは、優しくも峻烈な『身元保証』の宣言だった。
「何か困ったことがあれば、いつでもミッテラン公爵家を頼りなさい。わたくしが、あなたの背後についていることを忘れないで」
かつての主ではなく、今は頼れる『後見人』のような顔をして微笑む私に、彼女たちは涙をこぼして何度も頷いた。
お金で生活を潤し、言葉で尊厳を守る。これでようやく、彼女たちの『失われた時間』に本当の終止符を打つことができたのだ。
◇
その次の日、私はヤーレン男爵家の古びた、けれど手入れの行き届いた応接室に座っていた。
目の前には、かつて私が――正確にはエスメラルダが、あまりにも理不尽な理由で頬を打ち、そのまま叩き出した元侍女、カレンが座っている。彼女の両親と兄は、まるで処刑を待つ罪人のように青ざめた顔で、固唾を呑んで成り行きを見守っていた。
カレンの件は、単なる不当解雇ではなかった。
エスメラルダは彼女に暴力を振るい、尊厳まで傷つけていた。今回の訪問は、私にとっても特別な覚悟を必要とするものだった。
「カレン。今日、ここへ来たのは、あなたに謝罪をするためです」
私は静かに立ち上がり、ドレスの裾を払って、深く、深く頭を下げた。
淑女教育で身につけた渾身のカーテシーである。
深く頭を下げながら、私はふと思った。……我ながら、こんなときまで美しいのね。
「二年前、あなたがわたくしの髪をブラッシングしていた際、髪が引っかかったという些細なことに腹を立て、あなたの頬を打ち、一方的に解雇したこと。本当に申し訳なかったわ。あなたの誇りを傷つけたことを、心からお詫びします。すみませんでした」
公爵令嬢であるエスメラルダが、あえて自らの地位に頼ることなく、深く頭を下げた。
しんと静まり返った部屋で、カレンの家族は息を呑んでいた。
「お顔をお上げください! エスメラルダ様……っ」
震えるカレンの声に、私はゆっくりと顔を上げた。
「カレン。あなたは今の生活に満足できているかしら? もし望むなら、もう一度、わたくしのもとで働いてみる気はないかしら」
「……お言葉ですが、エスメラルダ様。私は、今の生活に満足しております。公爵家を己の不手際で退職したという『傷』を持つ身では、まともな縁談も望めません。ですが……今の私は、再び公爵家で……エスメラルダ様にお仕えする自信がございません」
その言葉に、かつて私が彼女に植え付けた恐怖の深さを思い知らされた。
私は、教師時代に道を見失いかけた生徒に向ける、最も穏やかな微笑みを浮かべた。
「そうよね。無理に戻ってきてほしいわけではないの。あなたが今後どう生きたいのか、それを聞かせてほしいわ」
カレンは戸惑ったように私を見つめた。
「もちろん、復職を断っても構わないわ。あなたが別の職場で働きたいのなら、私が責任を持って推薦状を用意することもできる。あなたがこれからどう生きるかは、あなた自身が決めることですもの」
「エスメラルダ様……」
「それでも、もしもう一度働いてみたいと思うのなら、私に機会をくれないかしら」
私はカレンの目をまっすぐに見つめた。
「今度は、あなたの人生を修復するための期間として。今のわたくしを信じられないのは承知の上よ。だからこそ、わたくしという立場を、あなたの未来のために利用してほしいのです」
「利用、ですか……?」
「ええ。復職するなら、これからの給金はもちろん保証するわ。それとは別に、二年前の不当解雇についても、きちんと賠償させてちょうだい。復職するかどうかにかかわらず、あなたが受けた不利益を補償したいの」
カレンは戸惑い、組んだ手に力を込めた。
「ですが……私に、そんな資格があるのでしょうか」
「資格なら、十分にあるわ。あなたは何も悪いことをしていないのだから」
私は、はっきりと告げた。
「もし復職してみて、今のわたくしが気に入らなければ、その時は辞めて構わないわ。ミッテラン公爵家が責任を持って正式な推薦状を用意するし、退職にあたって不利益を被ることがないよう、十分な退職金も支給する。あなたが次に働く場所でも、結婚を考えるときでも、公爵家があなたの働きぶりを保証するわ」
それは、単なる謝罪ではない。
彼女が失った尊厳と、これから歩む人生を取り戻すための『再出発』の提案だった。
◇
その夜、ヤーレン男爵家の食卓。
エスメラルダが去った後、家族四人の間には長い沈黙が続いていた。最初に口を開いたのは、嫡男であるカレンの兄だった。
「……信じられん。あの我儘で傲慢だったミッテラン公爵令嬢が、あんなにも落ち着いた様子で、真剣に謝罪するなんて。カレン、お前はどう思う?」
カレンは、エスメラルダが置いていった高級菓子と、その横に添えられた手紙を見つめていた。王都でも滅多に手に入らない品だった。
手紙には、改めて謝罪の言葉と、カレンのこれからの人生を案じる言葉が丁寧に綴られていた。
「驚きました。以前のエスメラルダ様なら、謝罪どころか私たちの顔さえ見なかったでしょう。しかも、私の名前を口にされるなんて……。今日のお嬢様は、まるで……年配の方に諭されているような、不思議な安心感がありました」
「もし彼女の言うことが本物なら、これはお前にとって千載一遇のチャンスだ」
男爵が真剣な面持ちで続けた。
「公爵家が、お前の退職を『不当な解雇』ではなく『円満な退職』として正式に認めてくれれば、お前の婚姻も、我が家の未来も大きく変わる。カレン、もう一度だけ、エスメラルダ様を信じてみてはどうだろうか。もし彼女が口先だけで、以前のような振る舞いに戻るようなら、その時は我ら家族が総出でお前を連れ戻しに行こう」
「……はい、お父様。私、もう一度だけ、エスメラルダ様にお仕えしてみようと思います」
カレンの瞳に、怯えではない、小さな決意の灯が宿った。
かつて一人の少女の未来を奪った『悪役令嬢』は、こうして『教育者』としての経験を活かし、彼女の未来を取り戻すための一歩を踏み出した。
そして、残ったのは復職を希望した三名の元侍女と、侍従、料理人、御者、庭師だった。
彼らは再び公爵邸の門をくぐった。
だが、その表情にあるのは希望ではない。『またあの地獄が始まるのか』という不安と警戒心だけだった。
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