第7話 負の遺産と、損害賠償
家庭内での私の立ち位置は、この一ヶ月で劇的に変化した。
父様や母様、あるいは使用人たちは、今の私を『奇跡の改心』を遂げた愛娘、あるいは『慈愛の主』として見るようになった。もはや『かつての彼女とは別人だ』と認識しているに等しい。
(……いや、待って。『慈愛の主』って何? 語感がもう聖人扱いじゃないの!)
使用人たちが私の言葉ひとつひとつに過剰に感動し、少しでも微笑めば『お嬢様が微笑まれた……!』と控え室で騒ぎになる始末だ。
「お嬢様、本日はお庭の花にお水を……!?」
「ええ、それは生き物だもの。当然でしょう? 庭師の邪魔だったかしら?」
「さすがです! 植物に『当然』とおっしゃる慈悲深さ……!」
(いや、ただの園芸よ? 常識よ? むしろ放置したら枯れるわよ?)
さらに困るのは、ちょっとした『うっかりミス』まで美談に変換されることだった。
例えば先日、紅茶に砂糖を入れすぎてしまった時。本来なら侍女が調整するはずなのに、なぜかその日は「自分でやりますわ」と言い出してしまい──結果、甘党の限界を超えた一杯が完成していた。
「今日は少し甘すぎたわね……」
「お嬢様は『甘やかす心』を紅茶で表現されたのですね!」
(違うわよ!? どんな意味よ! 普通に分量ミスよ!? 糖分制限のいらない十六歳の健康な身体に浮かれているだけよ!)
思わず内心で叫ぶが、周囲の評価は止まらない。
(……まずいわねこれ。このままだと、何をしても『深い意味がある行動』にされるわ。お願いだから、普通に怒って。普通に指摘してちょうだい。私まだこの世界の『常識的な失敗ライン』が掴めてないのよ……!)
だが、その中で一人、兄のリュカだけは、いまだに私へ疑いの目を向け続けていた。
(……まあ、当然よね。四十年も教師をやっていれば分かるわ。急に更生した生徒ほど、何か裏があるんじゃないかと疑われるものよ。前世でも、涙ながらに反省文を書いた翌週に、別件で呼び出された生徒が何人いたことか)
けれど、放置はできない。彼を味方につけることは、エスメラルダの更生をスムーズに印象付けるための重要事項だ。私は意を決して、兄の執務室の扉を叩いた。
「お兄様、少しご相談がありますの」
深刻そうな表情を浮かべ、かつての『我儘で高慢な癇癪持ちの妹』が部屋を訪れたことに、リュカは眉をひそめて羽根ペンを置いた。
「なんだ? また、何か不満か? ドレスの宝石が小さいだの、馬車のクッションが硬いだの……」
(……エスメラルダ、あなたそんな理由で人を振り回していたの? 教師人生四十年でも、ここまで分かりやすい癇癪理由はなかなか見ないわよ)
内心でそうツッコミながらも、表情には出さない。
「コホンッ……いいえ。そういったことではありませんわ」
私は彼の向かいに座り、真っ直ぐにその瞳を見つめた。
陽光を浴びてきらめく私の金髪が視界をよぎる。このどこまでも華やかな容姿のせいで、今までの我儘が余計に目立っていたのだろう。私は青い瞳に真摯な光を宿し、言葉を紡いだ。
「実は、わたくしが過去、短気ゆえに解雇させた使用人たちに謝罪したいのです。可能であれば、また、この家で働いてもらえたらと思っておりますの」
「は? ……お前、何を言って……」
リュカは羽根ペンを持ったまま、ぴたりと動きを止めた。目だけが数度瞬き、理解が追いつかない様子で沈黙している。
無理もないわ。過去の『不始末』を今さら謝罪しようなんて、彼からすれば太陽が西から昇るような異変でしょうから。
「公爵家に雇われていた者たちですもの、本来は皆、優秀だったはずでしょう? それを、わたくしの幼稚な我儘で解雇してしまい、今、彼らがどうしているのか気になって夜も眠れませんの。……金銭的な補償はもちろん、再雇用を希望する者には、本人の意に沿う形で復職の場を用意したいと考えています」
「……ふうん。父上には? 母上の了承は得たのか?」
鋭い観察眼を持つ兄は、私の顔を値踏みするように見つめている。彼は一度たりとも、私の変化を『確かなもの』として受け入れてはいないのだ。
「はい。お父様からは『君の誠意が伝わるようにしなさい』と許可をいただきましたわ」
リュカはしばし沈黙していたが、やがて小さく息を吐いた。
「……いいだろう。公爵家の名誉に関わることだ。名簿に沿って、彼らの消息を追ってみよう。ただし、二度と彼らを傷つけないと誓えるならな」
「ありがとうございます、お兄様。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたしますわ」
私は深々と一礼し、静かに部屋を去った。
後に残されたリュカは、妹が消えた扉を、射抜くように見つめていた。
「……アレは、本当にエスメラルダなのか?」
かつての妹なら、解雇した人間など『使い捨ての道具』としか思っていなかった。それが今や、自らの過ちを認め、実務的な補償まで提案してくる。言葉遣い、立ち居振る舞い、そして何より、あの『他人を教え導こうとするかのような』落ち着いた雰囲気。
「……信じられん。憑き物が落ちたというレベルじゃない。まるで、中身だけが《《別人》》になったかのようだ」
リュカは、棚の上段から『解雇者名簿』に手を伸ばす。
エスメラルダが本当に「責任」という概念を理解したのか、あるいはこれも壮大な悪巧みの一部なのか。
「面白い。……どこまで本気か、試させてもらおうじゃないか」
冷徹だった兄の瞳に、疑念とは別の、微かな「興味」が灯り始めていた。
(……ふぅ。お兄様、やっぱり手強いわね。でも、これでいいのよ)
廊下を歩きながら、私は小さくガッツポーズを隠した。
『不当解雇』の清算。これは教育現場でも最も重い課題の一つだわ。かつてのエスメラルダがやらかした『負の遺産』を片付けるのは容易ではないが、これを乗り越えれば、公爵家の信頼を取り戻すための大きな一歩になる。
(さあ、次は何をすべきかしら。新学期まで、時間は残り少ないんだから)
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