第6話 嵐の前の静けさと、「神」降臨
ミッテラン公爵邸の庭園では、夏の盛りの陽光が眩しく降り注いでいた。
私は、毎朝の日課のスクワットと、自己流のヨガのポーズをとりながら気持ちを整えていく。両腕を天へ突き上げてみたり、片足でふらつきながら謎の姿勢を保とうとしたり、時折「これは本当に合っているのかしら?』と自分でも首を傾げるような動きも交ざる。
だが重要なのは形ではない、心だわ。たぶん。……知らんけど。
庭の片隅では侍女たちが、その様子をじっと見守っていた。
「……お嬢様が、また『神秘的な舞踏』を舞っていらっしゃるわ」
「ええ、あれはきっと、噂に聞く『東方の叡智』に違いありませんわね」
「足をあんなふうに絡めるなんて……きっと、深い意味があるのよね」
(違うわよ! ただ体が硬くてバランスを崩してるだけよ! エスメラルダさん、あなた若いのに体ガチガチすぎるわ……!)
内心で叫びながらも、私は動きを止めない。止めた瞬間に負けな気がするからだ。
エスメラルダさんとしての生活にも慣れてきた今日この頃。
私は学園の二年生の夏休みのすべてを、『エスメラルダという人間を根本から叩き直すこと』に捧げていた。
鏡を見るたびに、私は思わずため息を漏らしてしまう。そこにいるのは、日に日に完成度を増していく美少女だった。
「すごいわね。美人って、こんなにも鏡を見るのことが楽しいものなのね……。寝起きから既に完成された美貌よ。欠伸したって可愛いなんて……。本当に、すごいわね。エスメラルダさん、あなた、変顔もできないじゃない。だって全部キメ顔なんですもの!」
前世では、鏡を見れば増えるシワやシミ、たるんできた頬や瞼を嘆く日常だった。それが今はどうだ。
陶器のような肌、長い睫毛に縁取られた瞳。化粧を施せば劇的に映え、どんなに奇抜なデザインのドレスも着こなせてしまう。
『化粧映え? 何それ』と思っていた私には信じられないことだ。まさに、生まれながらの勝ち組。神様がくれた『贈り物』は、あまりに豪華すぎる。
美人には、『容姿による評価の上乗せがある』と読んだことがあるが、果たしてエスメラルダにとって、それが事実なのかを身をもって体験する機会を得たのだ。
変化は、私自身の外見だけではなかった。
ここ最近、専属侍女のマリアをはじめ、侍女たちが私を見る目が『恐怖』から『羨望』へと変わっていた。彼女たちは今、私を美しく着飾ることに全力を傾けている。まるで、バービー人形になった気分だ。
「みんな、いつもありがとう。せめてものお礼よ。これ、使ってみて」
私はある日、自分用に購入した最高級のハンドクリームや化粧水を、侍女たち全員に買い与えた。
「えっ……お、お嬢様? これは……」
「みんなで美しくなりましょう。その方が、幸せな気分になるでしょう?」
私がにっこりと、前世で培った『ベテラン教師の慈愛に満ちた微笑み』を向けると、侍女たちは胸を押さえて言葉を失った。
これまでのエスメラルダなら、『侍女ごときが、気安く私に触れるなんて!』と罵倒していただろう。これまで、いったい何人の使用人を解雇したことか。
だが、今の私は知っている。
周囲の士気が上がれば、私自身の評価も待遇も上がるのだ。
「エスメラルダお嬢様、神……!」
「一生ついていきます、お嬢様!」
今や彼女たちの間では、私をいかに輝かせるかをめぐる競争が、日々繰り広げられている。おかげで私は、毎日、完璧な姿で過ごすことができていた。
正直、この素材なら放っておいても十分すぎるほど美しいのだけれど、侍女たちが磨き上げた今の私は、もはや手が付けられないほどの仕上がりだわ。
家庭教師のクロエ夫人との師弟関係も、すこぶる順調だ。
私は水を得た魚のように勉学に励んだ。
わからない点は質問し、予習復習も欠かさない。教師から見れば、まさに『生徒の鑑』だ。しかも、これまでの『傲慢な無能』という評価が嘘のように、私は驚異的な速さで教養を身につけていった。
「エスメラルダ様……。あなたは『能ある鷹は爪を隠す』という言葉を、地で行く方だったのですね」
夫人は感嘆の声を漏らすが、心の中で私は苦笑する。
(いえ、隠していたんじゃなくて、本物のエスメラルダさんには、そもそも見えていなかっただけなのですよ……)
夏休みが明ければ、いよいよ学園が再開する。私の本格的な『学園復帰』の日が、刻一刻と近づいていた。
◇
その頃、王宮の王太子の居室のサロンでは、この国の未来を担う若者たちが集い、優雅に、そしてどこか毒の混じる会話を楽しんでいた。
中心に座るのは、王太子にしてエスメラルダの婚約者、エドワード。
艶やかな金髪に、彫刻のような美貌を持つ彼だが、その澄んだ青い瞳の奥には、どこか虚無的な光が宿っていた。
強いられた意にそまぬ政略結婚への反発から複数の女性と浮名を流している彼は、婚約者であるエスメラルダを『人生最大の汚点』として忌み嫌っていた。
「おいエド。最近、あの『公爵家の問題児』はどうした? しばらく姿を見ていないが、静かすぎて、逆に不気味なんだが」
脚を組んで不敵に笑うのは、側近の一人、デビットソン公爵家嫡男のチャールズだ。
続いて、ジョルネ侯爵家嫡男のフレデリックが、手元の書類から顔を上げずに同調する。
「そう言えば、この夏休みは一度も登城していないようですね。いつもなら、エドワードを追い回して執務室の前で騒ぎを起こしているはずですが」
さらに、バーガンディ伯爵家嫡男のオリバーが、王室パティシエの作った最高級の菓子を口に放り込みながら肩をすくめた。
「へえ、珍しいな。あの暴君が大人しくしてるなんて。またどこかで、誰かを泣かせるような問題でも起こして謹慎中なんじゃないか? 彼女を排除する口実ができるなら、願ってもないことだけど」
エドワードは、冷めかけた紅茶を、忌々しげに飲み干した。
「……知らん。顔を見ないで済むなら、それに越したことはない。彼女が将来、私の隣で王妃として振る舞うと思うだけで、虫酸が走る」
彼ら側近三人には、それぞれ学園に通う婚約者がいる。
彼女たちは皆、エスメラルダの傍若無人な振る舞いを間近で見てきた『被害者』であり、彼女を冷徹に見限っている一派だ。
「困った未来の王太子妃だな。学園が始まれば、また学園の生徒たちが彼女の被害に遭う。全く、嫌気がさすよ」
チャールズが吐き捨てるように言うと、王太子エドワードと他の二人の側近もエスメラルダを思い浮かべ、一様に苦々しい表情を浮かべた。そんな三人を横目に、チャールズの口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
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