第30話 悪役令嬢の交渉術
放課後。学園の応接室には、重苦しい沈黙が流れ、私以外は誰もが緊張した面持ちで座っていた。
私の正面に座っているのは、学園運営を取り仕切る事務局長のボールドウィンと、学食へ食材を納入している国内最大手の食品卸売業者『ビスト商会』の副会頭だ。
二人の顔には、『わがままなミッテラン公爵令嬢は、今度は何を言い出すのか』という困惑が浮かんでいた。さらに、『たかが学生食堂のことで呼び出すとは』と、私を軽く見ている様子も隠しきれていない。
「……それで、エスメラルダ様。学食のメニューについてご不満があるとか。ミッテラン公爵家の名で私どもを呼び出すほどの大事ですかな?」
事務局長のボールドウィンが、眼鏡を押し上げながら、丁寧な口調の裏に侮蔑を滲ませて切り出した。
「ええ、大事ですわ、事務局長。わたくし、昨日の昼食に、あちらのカウンターで提供されている『普及食』をいただきましたの」
その瞬間、ビスト商会の副会頭が鼻で笑った。
「エスメラルダ様、それはそれは。冗談がお好きなようですな。あのようなものは、学費も満足に払えない平民が飢えを凌ぐための泥水のようなものです。公爵令嬢が口にするなど、もってのほか。不快な思いをされたのでしたら、あちらのエリアに仕切りでも設けましょうか?」
「いいえ。問題なのは、あのようなものを生徒に提供していることです。そして、それを改善しようともしないあなた方の怠慢ですわ」
私が冷ややかに言い放つと、二人の表情が凍りついた。私は手元の扇を机に置き、マリアが持参した数枚の書類を突きつける。
「こちらが、現在提供されている普及食の栄養価と、食材の仕入れ原価をまとめた資料ですわ。マリア、読み上げてちょうだい」
「はい。普及食のスープは、その九割以上が水と塩で、残りもわずかな野菜くずだけです。パンには数日前の売れ残りが使われ、防腐剤の代わりに大量の石灰が混ぜられている疑いもあります。一方、ビスト商会が学園に請求している金額は、新鮮な食材を使った食事と変わりません」
マリアの淡々とした指摘に、副会頭の顔からみるみる血の気が引いていった。
「つまり、食材に使われるはずのお金が、どこかへ消えているということですわね」
私は副会頭をまっすぐ見据えた。
「な、何を根拠に! これは商売の正当な利益で……!」
「『利益』? 子供たちの健やかな成長を妨げ、不当な中抜きをすることが商売だとおっしゃるの? ……事務局長、あなたもよ。仕入れ帳簿と会計記録を照合した結果、ビスト商会からあなたへの不審な金銭の流れが確認されていますわ。劣悪な食環境を黙認する見返りに、金銭を受け取っていたのでしょう?」
私は、前世で問題を起こした生徒たちと向き合ってきた頃の感覚を思い出していた。腐敗した大人を動かすには、情に訴えるよりも『逃げ場を塞ぐ』のが一番だ。
「わたくしの父、ミッテラン公爵にこの事実が伝われば、学園の運営予算は見直されるでしょう。もちろん、不正に関わった者たちには、相応の責任を取っていただきますわ」
「そ、そんな……エスメラルダ様、どうか! お待ちください!」
ボールドウィンが慌てて椅子から身を乗り出した。私は追い打ちをかけるように、新しい書類を机の上に広げた。
「そこで、提案ですわ。本日をもってビスト商会との契約を打ち切り、代わりに、わたくしが指定する『ガルシア商会』に学食の食材納入を一任すること。そして、今後三年間、ミッテラン公爵家が学食の運営資金として多額の寄付を行います。これを受け入れるのであれば、過去の不正については不問といたしますわ」
信じられないといった顔をする二人に、私は微笑んだ。
「いいえ。平民のためだけではありません。この学園に通う『すべての生徒』のためです。わたくしが目指すのは、銅貨五枚で食べられる『学園標準定食』。肉、野菜、穀物をバランスよく取り入れた栄養満点の食事を、身分に関係なく提供することですわ」
私は前世の給食献立を思い出しながら、具体的な献立の案を提示した。
旬の安い野菜を取り入れ、食材をまとめて仕入れることで支出を抑える。調理法を工夫すれば、素材の味を活かしたおいしい食事が作れる。それは、身分に関係なく、すべての生徒が健やかに成長するための『基盤』なのだ。
「条件はもう一つありますわ。この『標準定食』の調理や配膳を手伝う補助員として、平民の特待生を雇用すること。働いた分の賃金を支払い、食事も無償で提供する。そうして、彼らの生活も支援するのです。これが、ミッテラン公爵家の考える『新しい学園の在り方』ですわ」
事務局長と副会頭は、何も言い返せなかった。
圧倒的な資金力に、不正の証拠まで握られている。しかも、提案されたのは学園にとっても断る理由のない『教育への投資』だった。
「……わ、分かりました。すぐに理事会に諮り、承認を得るようにいたします」
ボールドウィンが力なく頷く。
私は満足げに立ち上がり、出口へと向かった。
「期待しているわ、事務局長。もし、提供される食事に少しでも不備があれば……その時は、あなた方の立場が危うくなると覚えておきなさい」
応接室を出ると、背後から二人が椅子に崩れ落ちる音が聞こえた。
「お嬢様、実に見事な恐喝……いえ、交渉術でした」
「あら、マリア。わたくしは、公爵令嬢として学園の問題を正しただけよ」
私は廊下を歩きながら、胸の内で小さくガッツポーズを作った。
(よし! これで土台は整った。次はメニューの試作ね。前世の知識を活かして、学生たちの胃袋を掴んでやるわ!)
私の改革は、まだ始まったばかりだ。
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