第3話 眩しすぎます!我が家族
(……眩しいわ。これは、何かのご褒美かしら)
公爵家の豪奢な食堂で、食卓についた私は一人、内心で悶絶していた。
目の前に並ぶのは、最高級の銀食器に盛りつけられた豪華な朝食だけではない。それ以上に破壊力が凄まじいのは、テーブルを囲む家族三人が、そろいもそろって超絶美形だという事実だった。
侍女長からの情報では、三十九歳の父ギルバートは、朝の光を受けて、その泣きぼくろさえも芸術品のように輝かせている。
母のベアトリスなんて、父と同い年のはずなのにどう見ても二十代にしか見えない。白い肌に緑の瞳を輝かせた彼女は、まさに『美の女神』。……ちょっと、この世界のアンチエイジングはどうなってるの?
(……四十を過ぎてから、若い子の顔なんてみんな同じに見えるようになっていたけれど、それでもはっきり『別格』とわかるタイプの美形だわ)
二歳年上の兄のリュカが、金髪を揺らし、切れ長の瞳を伏せるその姿は、どの角度から見ても非の打ち所がない。
(直視できない。直視したら、私の網膜が焼き切れるわ……!)
内心では『目が潰れる!』と叫びながらも、私は必死にエスメラルダさんとしての仮面を被り、背筋を伸ばした。
四十年の教員生活で培った、どんな場面でも動じない『ポーカーフェイス』である。
私は静かにナプキンをテーブルに置くと、まずは一番の難関――この家族との『信頼関係の再構築』に着手することにした。
「お父様、……お母様。そして、お兄……様?」
私の凛とした声に、食堂の空気が一瞬で凍りついた。
給仕をしていた使用人たちの手が止まり、父のギルバートはグラスを持ったまま静止している。
私は椅子から立ち上がると、迷うことなくその場で深く頭を下げた。かつて学校の不始末で保護者に頭を下げた時よりも、さらに誠意を込めて。
エスメラルダさんの体に刻まれた淑女の作法を再現しようとしたが、どうやらこの体は、見かけ倒しで体幹が驚くほど弱いようだ。ぐらりと揺れる体を、足を踏ん張って耐え、私はなんとか頭を下げきった。
「今まで、わたくしの我儘で多大なるご迷惑をおかけしました。これまでの己の振る舞いを、深く反省しております。本当に申し訳ございませんでした」
……食堂が静まり返った。
誰も、すぐには言葉を発しなかった。
最初に口を開いたのは、食卓の向かいに座る兄のリュカだった。
「……何の真似だ? 謝罪のふりをして、後で何を要求するつもりだ?」
(……これは、嫌われている、というよりは、完全に恐れられているようね)
以前のエスメラルダさんなら、ここで豪華な食器を投げつけるか、癇癪を起こして大声をあげていたことだろう。
だからこそ、今のエスメラルダの変化が、彼らには『悪巧み』に見えているのかもしれない。
……けれど。
彼女を動かしているのは、六十二歳の私の魂なのだ。
私はゆっくりと顔を上げ、慈愛に満ちた微笑みを浮かべてみせた。
「いいえ。要求などございませんわ。ただ、目が覚めたのです。自分がどれほど恵まれ、どれほど周囲に甘えていたのかということに」
実際、前世の私の家族は平凡中の平凡な容姿だった。なんだったら、中の下かもしれない。両親は福々しい善人そうな顔立ちではあるが、美形というわけではなかった。たった一人の弟も『いい人そう』とは言われるが、決して男前とは言われない。
そしてもちろん、私自身も美人だなんて言われたことは一度もない。
『良さそうな先生ね』と評される外見は、おそらく『真面目そう』とか『優しそう』という意味だろう。
(いや、今思うとあれは完全に『教師らしい』ってことだったのでは……?)
たまに卒業アルバムを見返しては、『うん、これなら担任として問題ないわね』と謎の基準で安心していたあの頃の私に、今すぐ会いに行って説教してやりたい。
――美佳、世の中には『最上級の顔面偏差値が存在する世界線』があるのよ、と。
(ルッキズムに厳しい令和の時代、外見に関する発言には最大限の配慮が必要だった。人を見た目で判断しないこと。それが常識であり、教育現場でも繰り返し指導してきたことだ)
だが。ちらりと、銀食器に映る自分を見る。……歪んでいても、美しい。
(……エスメラルダさんには、その配慮、無用ね)
誰がどう見たって、超一級の美人。
(むしろこれで『お綺麗ですね』と言われて『いえいえ、そんなことありませんわ』と返す方が、嫌味だわ)
前世の教師としての私の感覚では、それは『過剰な謙遜』で逆に空気を悪くする。
つまり、この世界において正しい反応はこうだ。
『あら、当然でしょう?』
言う! 絶対にいつか言うわ。いや、どうか言わせてください!
思考の中から現実に意識を戻した私はそのまま着席し、運ばれてきたスープを一口運んだ。
(美味しい! 何これ、前世で奮発した高級ホテルのビュッフェより美味しいわ!)
以前のエスメラルダさんは野菜を嫌って避けていたようだが、私からすれば、この新鮮な素材を無駄にするなんて『もったいないお化けが出る』。
私は給仕された料理を、好き嫌いなく、感謝を込めて口に運んでいく。最近は歯茎の調子が悪くて敬遠していた、分厚いステーキもパクリだ!
(本当に美味しいわ。前世のホテルビュッフェが霞むレベルだわ。何より、自分の歯で肉を噛み締められるこの幸せ……! 歯槽膿漏や知覚過敏、差し歯の心配ともおさらばできる日が来るなんて。今の私ならシュラスコだって余裕よ。『赤色のカード』なんていらないわ! 何でも噛める、いくらでも入る! ……あぁ、若さって最強。なんだか、別の意味で涙が止まらないわ)
「マリア、お肉料理を運んできてくれたのは、料理長のハンスかしら?」
後ろに控えていた侍女のマリアに、穏やかに問いかける。
「は、はい……そうでございますが……なにか問題でも?」
「そう。お伝えしてちょうだい。このソースの深み、ハンスの並々ならぬ努力が伝わってくるようです。素晴らしいお料理をありがとう、と」
マリアが「ひっ」と短い悲鳴を上げた。
見れば、周囲の使用人たちも、信じられないものを見るような顔で私を見つめている。
だが、私は構わず続けた。
「それから、給仕をしてくれている皆も。わたくしの振る舞いが至らず、いつも辛い思いをさせていたわね。これからは、皆の仕事に敬意を払うつもりよ。いつもありがとう」
……カラン、と銀食器の乾いた音が響いた。
父の手からフォークが滑り落ち、まるで見知らぬ人間を見るような目で私を見つめた。
「エスメラルダ……。君は本当に、エスメラルダなのかい?」
「ええ、お父様。実は、わたくし……夢の中で神様にこっぴどく叱られましたの。目が覚めたら、今までの自分がどれほど間違っていたのか、ようやく気づきましたの」
「神様に、叱られた……?」
呆然と繰り返す父。
うん、嘘は言っていないわ。
あの真っ暗な空間でエスメラルダさんに『後始末』を頼まれたときの感覚は、私にとっては神の啓示に近いものだった。だから、あの出来事を便宜上『神様』と呼んでいるだけだ。
私はナプキンでそっと口元を拭い、優雅に微笑んだ。
正直に言えば、この完璧な美形家族と、この超絶美女な自分という環境に、今すぐ叫び出したいほど興奮している。
けれど、そんな浮かれた気持ちは、この『冷え切った食卓』を立て直すという責任感の前に、スッと影を潜めた。
教育現場の立て直しは、まず足元から。
家族にさえ怯えられているようでは、王太子妃どころか、まともな人間関係など築けるはずもない。
唖然とする家族と、震えながらも感激の涙、あるいは恐怖の涙を浮かべ始めた使用人たち。
いいわ、いいわよ。
この『最悪の評判』という名の、荒れに荒れた人間関係を完璧に立て直してあげようじゃないの。
ここからが本番ね。反省の言葉だけで人は変わらない。大切なのは、日々の行動と継続的な努力。さあ、『新生エスメラルダ』の更生指導計画、実践開始よ!
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