第28話 歴史の歪曲と、消えない恋心の残滓
二学期初日の授業がすべて終わり、下校の時間。
私はヤスミンたちと「また明日ね」と約束を交わして別れ、控えの間で待機していたマリアと合流して馬車乗り場へと向かった。
馬車乗り場には、校門に近い場所から順に高位貴族の馬車が並んでいた。
校門から二番目の位置にミッテラン公爵家の紋章を見つけると、御者のベゼットが嬉しそうな笑顔で駆け寄ってきた。
「エスメラルダお嬢様、お疲れ様でございました! さあ、どうぞ」
ベゼットが恭しく、扉を開ける。
「お待たせ、ベゼット。待たせちゃったかしら? 何か問題はなかった?」
「はい、お嬢様。こうしてまたお嬢様をお送りできることが、私にとっては何よりの喜びですから」
にこやかに御者と会話を交わす私の姿を、周囲の学生たちは『ありえないもの』を見る目で注視し、よその家の御者や侍女たちは『なんて素敵な主従関係かしら』と羨望の眼差しを向けていた。
◇
帰宅した私は、着替えもそこそこに図書室へと向かった。
目的は、あの不愉快な授業の裏付けだ。本棚から『ジョージ・ドマイン著:白薔薇の乱の事実』を抜き出し、晩餐までの時間、改めて隅々まで目を通した。
(……やっぱり。資料の引用が恣意的だわ。自分の思想に都合のいい部分だけを繋ぎ合わせて、一つの『事実』を捏造している)
その夜の晩餐で、私は父ギルバート、母ベアトリス、そして兄リュカに、ある質問をしてみた。
「お父様、お母様。お二人の学生時代には、『白薔薇の乱』についてどのように教わりましたか?」
「ん? 『白薔薇の乱』かい。当時は、圧政に苦しんだ平民が自由を求めて立ち上がった、悲劇的な反乱だと教わったよ。王家にとっても教訓となる出来事で、民の声に耳を傾け、無用な血を流してはならない、とね。ベアトリスはどうだい?」
母も深く頷いた。
「ええ。貴族が領民を不当に虐げることは、絶対的な『悪』であると習いましたね」
「そうですか。……では、お兄様は? Sクラスでドマイン先生の授業を受けられたのでしょう。当時、先生はどんなことを?」
兄のリュカは、思い出すのも不快だというように眉をひそめた。
「ああ、ドマイン先生か。彼は『貴族は領民を導くために圧倒的な力を示すべきだ。力による統制こそが、結果として無駄な血を流さずに済む唯一の道である』……そんな論調だったかな。鼻持ちならない選民思想だが、まともに取り合っていたのはごく一部の連中だけだったよ」
リュカは、吐き捨てるように答えた。
(さすがはミッテラン公爵一家ね。美形な上に、倫理観も知性も一級品だわ。恐ろしいな、おい……!)
「それがどうしたんだい、エスメラルダ」
「はい。今日の授業でも、ドマイン先生はお兄様が仰ったような内容を説いておられました。気になって図書室の書籍を調べたのですが、近年の資料はどれもその論調に書き換えられているようです。どこかの時点で、この国の歴史教育は意図的に変えられてしまったのではないでしょうか」
父の目が、鋭い政治家のそれへと変わった。
「ふむ。世代によってそこまで解釈が乖離しているとは気づかなかったな。…… まずは王城で、関連する資料を調べてみよう。必要なら問題を提起することも考えなければならないな」
父はそう言って、難しい顔で考え込んだ。
◇
その夜。天蓋付きの寝台に横になった私は、眠りに落ちる寸前、不意にエドワード王太子の顔を思い出した。
今日、鼻を押さえて横を向いた彼の姿ではなく、もっと古い記憶――。それは、私の記憶ではなく、この体に刻まれた『本物のエスメラルダさん』の記憶だ。彼の一言に舞い上がり、彼に拒絶されては人知れず泣いていた、幼く、不器用な恋心。
前世でも、遠く忘れてしまった、誰かを盲目的に恋い慕う甘酸っぱい想い。それが今の私には、少しだけ羨ましく思えた。
(……エスメラルダさん。あなたは、本当に、彼のことが好きだったのね)
胸の奥にチリリと残る微かな痛みを抱えながら。
私は、自分の中にいたはずの『少女』を優しく労わるようにして、深い眠りへと落ちていった。
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