第26話 学生食堂の秩序と「日替わり定食」
本校舎の一階にある学生食堂に足を踏み入れた私は、学園の『学食事情』に興味津々だった。
ところが、華やかな学園の雰囲気とは裏腹に、食堂の中には身分による厳しい格差があった。
窓際の良い席には、美しい中庭と噴水を眺めながら食事を楽しむ高位貴族たちが座っている。一方、低位貴族たちは学生食堂の端に固まり、平民の特待生たちは、金銭的な事情からか姿すら見えない。
身分の高い者が良い席を占め、低い者は隅に追いやられる。そんな暗黙のルールが、この学園には根付いていた。
私が食堂の様子を観察していると、ある光景が目に留まった。
後から現れた高位貴族の男子生徒たちが、食堂の中央にあるテーブルで食事をしていた低位貴族の男子生徒たちを、いかにも当然という顔で追い払ったのだ。
長年、学校という現場で『いじめ』や『理不尽な上下関係』を正し続けてきた教師としての正義感が、エスメラルダの体を自然に動かしていた。
「ねえ、あなた。そこをどいてくださる? わたくし、今すぐ《《ここで》》食事が取りたいの」
私が冷ややかに声をかけると、ふんぞり返っていた男子生徒が眉を吊り上げた。
「はあ? なんだお前。ここは今から俺たちが……」
言いかけて、彼は言葉を失った。
私の鋭い視線に射抜かれた男子生徒は、まるで蛇に睨まれた蛙のように、身動きひとつできなくなった。
「おい、まずいぞ! 相手はミッテラン公爵令嬢だ! 報復されたら家が潰れるぞ!」
「なっ……し、失礼いたしました! す、すぐにどきます!」
さっきまでの威勢はどこへやら、彼らは蜘蛛の子を散らすようにコソコソと席を移動していった。
私はくるりと振り返り、呆然と立ち尽くしていた低位貴族の男子生徒たちに向き直った。
「さあ、どうぞ。ここはあなたたちが最初に座っていた場所でしょう? 奪われたものは取り返して差し上げましたわ。ゆっくり食事を楽しみなさいな」
慈愛の微笑みを浮かべ、毅然と『正しい行い』を示す高潔な公爵令嬢。
その神々しいまでの美しさと気高さは、その場にいた生徒たちの目に焼きついた。彼女に対する恐怖や嫌悪は、少しずつ『憧れ』や『尊敬』へと変わり始めていた。
「さて、私たちも食事にしましょう! お腹が空いたわ。ねえ、マリア、学食は何が食べられるのかしら?」
私がいつもの調子で尋ねると、マリアは事も無げに応じた。
「お嬢様。毎日、三種類の日替わり定食が提供されております。本日のA定食は『白身魚のムニエル・焦がしバターソース』でございますね」
「まあ、素敵ね! ヤスミン、みんなは何にするの?」
聞けば、三人とも毎日『日替わり』を楽しみにしているらしい。
「じゃあ、わたくしも『それ』にするわ。マリア、お願いね。注文のついでに、あなたの分も選んできてちょうだい。一緒に食べましょう」
「かしこまりました。お嬢様の偏食を直す絶好の機会ですわね」
「あなた、一言多いわよ……」
周囲の生徒たちは、エスメラルダと侍女の驚くほど気の置けないやり取りを、固唾を呑んで見守っていた。
主人と使用人という枠を超えた、深い信頼関係。
『悪役令嬢』という悪い評判を、実力と日々の行動で少しずつ覆していく。
エスメラルダが口にした学食の定食は、夜会の晩餐よりもずっと、達成感に満ちた味がした。
◇
学園には王族専用のサロンがあり、一般の生徒は立ち入ることすら許されていない。まさに特別な場所だった。
そこには、王宮から派遣された料理人が腕を振るい、毒見役が安全を確かめた豪華な昼食が並んでいた。
これまでは、エスメラルダも当然のようにその輪の中にいた。
常に王太子の隣の席を陣取り、時には側近三人の婚約者たちを威圧しながら、この特権を誰よりも満喫していたはずなのだが……。
今、その席だけがぽっかりと空いていた。
「……なんだ。案外、静かなものだな」
チャールズは、ふとエスメラルダが座っていた席に目を向けて呟いた。
だが、王太子エドワードは無言でフォークを動かしていた。話題はすぐに、国政に関わる重要な外交案件へと移っていく。
「なあ、来週の夜会。隣国のルミナリアから第二王子マクシミリアン殿下が来訪される予定だよな」
オリバーが口を開くと、チャールズが真剣な表情で頷いた。
「ああ。曲者と噂の第二王子だ。通商交渉の代表として、非常に手強い相手だと聞いている。王宮でも外務大臣をはじめ、補佐官たちがピリピリしているそうだ」
「今回の交渉で重要なのは、蜜蝋の輸入枠を確保することだ。輸入が滞れば、街灯にも獣脂を使わざるを得なくなる。あんな臭くて煤の出る代物、公務でも私生活でも使いたくない」
フレデリックは顔をしかめた。
蜜蝋で作られた高級キャンドルは、貴族にとって欠かせない贅沢品だった。
「こちらも小麦の輸出を増やしたい。互いの利益が一致すれば話はまとまるだろうが……。マクシミリアン殿下は大陸共通語に堪能で、会話の中に巧妙な駆け引きを仕掛けてくると聞く。交渉の場では、一瞬たりとも気を抜けないな」
「ああ。なんとか上手くいってもらいたいものだ」
エドワードは、重々しく頷いた。
しかし、彼らの認識は、輸入枠や輸出量といった条件の調整にとどまっていた。相手国の思惑や、その背後にある国際情勢にまで考えが及んでいなかったのだ。
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