第23話 教室の静寂と、周囲の驚き
Sクラスの教室に到着すると、自分の席が思い出せない私は、ヤスミンに尋ねた。
「わたくしの席はどこだったかしら?」
ヤスミンは少し怪訝そうな顔をしながらも、窓際の最後列を指差した。
「あら、あそこがわたくしの席なのね。窓際だなんて、日差しが入るのに。以前のわたくしなら選びそうにない席だわ」
「……お言葉ですがエスメラルダ。あなたは以前、『授業は退屈だ』とおっしゃって、授業中は外の景色を眺めてお過ごしでしたから」
「まあ。それでよく教師陣から注意されなかったわね」
「……いえ。注意は受けておられましたが、エスメラルダが一切気にせず、注意した教師を睨みつけて黙らせていただけでは?」
「あら、そうなのね。過去のわたくし、なかなかのわがままっぷりだわね」
そんなふうに、ヤスミンたちと気さくにお喋りしながら登場した私の姿に、最初は誰も関心を寄せていなかった。皆、夏休み明けの再会に夢中だったからだ。
だが、私が指定の席に腰を下ろした瞬間、教室内の空気が一変した。
潮が引くように会話が止まり、静寂が広がる。
クラスメイトたちの信じられないものを見るような視線が、一斉に私に突き刺さった。
そんな刺すような視線などどこ吹く風で、私は前の席のヤスミンに声をかける。
「あら、ヤスミン。あなた、前の席だったのね。近くて嬉しいわ」
「は、はい。私もエスメラルダが後ろで嬉しいです」
「あなた、いい加減にもっと砕けた話し方をしなさいな。わたくしたち、《《お友達》》でしょう?」
その瞬間、教室のあちこちで「ヒッ」と息を呑む気配がした。
あのミッテラン公爵令嬢が、子爵令嬢に話しかけただけでも驚きだが、その名を親しげに呼び、あまつさえ『お友達』だと公言したのだ。
彼らにとって、それは天地がひっくり返るほどの衝撃だったに違いない。
「随分と静かじゃない? いつもこんな感じだったかしら?」
「……たぶん、エスメラルダが私のような者と親しく話しているのが、クラスの皆様には信じられないのだと思うわ」
「あら、まあ。それは困ったものね。わたくしが選んだ、とびきり素敵な友人なのに」
私がクスリと笑っていると、教室の入り口から、威圧感をまとった四人の令息と、三人の高位貴族らしい令嬢たちが姿を現した。
教室内の空気が、先ほどとは違う種類の緊張に包まれる。
女子生徒たちは頬を染めて視線を送り、男子生徒たちは憧れと畏怖が混ざった面持ちで彼らを見守る。
学園の権力構造を具現化したような集団だ。
その集団の先頭を歩いていたのは、私と同じ輝く金髪に冷徹な青い瞳を持ち、王太子らしい威厳を漂わせる男子生徒だった。
そして、窓際の最後列に座る私に気づかず、一度視線を通り過ぎさせた――その直後。
ギュルンッ!
……という凄まじい効果音が聞こえてきそうな勢いで、彼の視線が恐ろしい速さで私へと引き戻された。
(あら。今、首の筋を違えたんじゃないかしら? あの人、大丈夫かしら。後で湿布でも差し入れましょうか)
そんな呑気なことを考えている私の耳元で、ヤスミンが震える声で囁いた。
「エスメラルダ、いらっしゃったわ……。王太子エドワード殿下と側近の皆様。それに、婚約者様たちです」
王太子殿下は目を見開いたまま、制服を着こなし、優雅に微笑む私を凝視している。
◇
エドワードの視界に入ったのは、いつも通りの『はず』の光景――窓際の席に座る、問題の婚約者。
だが――。
(……は?)
少し遅れて、思考が止まる。
次の瞬間、脳内で何かが『バキッ』と音を立てて折れた。
(今のあいつ……誰だ?)
エドワードの首が反射的に動いた。
ギュルンッ!!
物理的に『振り返った』のではない。『視線が通過してから、急加速で戻った』のである。
周囲から見れば、ほぼ首を一回転させたような勢いだった。
(いや待て。今のは見間違いだ……。制服? 制服を着ている? エスメラルダが? 自発的に?)
脳が処理を拒否する。
エドワードの中で『エスメラルダ』とは、派手なドレスを着た香水の暴力であり、視線で人を圧殺する我儘で構成された害悪そのものだった。
それが今。
(……清楚?)
その単語が出た瞬間、エドワードは自分の思考を即座に否定した。
あり得ない。
絶対にあり得ない。
(偽者だ。いや待て、影武者? それともこれは何かの政治的な思惑が?)
一瞬で陰謀論に到達するあたり、王太子としての思考速度は無駄に速い。
しかし――視界の中のエスメラルダは、普通に微笑んでいる。
普通に、楽しそうに、友人と話している。
(……は?)
もう一度、思考が止まる。
ギュルンッ!!
再確認。
(やっぱりいる。いや、いるな。なんでいるんだ?)
ここでようやく、エドワードは気づく。
――自分は今、『理解できないもの』を見ているのだと。
そして人間は理解できないものを見たとき、本能的にもう一度見直す。
それが『ギュルンッ』の正体だった。
(さあ、二学期最初の授業が始まるわね……。楽しませていただくわね)
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