第19話 女神は要注意教師に備える
自室に戻った私は、羊皮紙に『要注意教師リスト』を書きながら、不敵にほくそ笑んでいた。
(よしよし。これで学園に乗り込む際の後方支援も万全だわ)
「権力を笠に着た成績操作、生徒への圧迫面談……。いいわ、まとめて『再教育』してあげる」
私は、侍女たちからの情報をもとに、学園の腐敗の根源である教師たちのリストを羊皮紙に書き出していった。
【要注意教師リスト:対象者】
社会科担当の『ジョージ・ドマイン』、子爵家三男で三十八歳。
特徴は、茶色の髪に茶色の瞳、神経質そうな痩せ型。
問題点は、選民意識の塊。『自分は家柄さえ良ければ王宮次官になっていた』という被害妄想が、低位貴族や平民への強烈な差別意識に化けている。
「自分のキャリアの不遇を生徒への攻撃で発散するタイプね。教育者として一番やってはいけないことだわ。まずはその歪んだプライドを、徹底的な『現実』で叩き潰してあげる必要があるわね」
次に、外国語・大陸共通語担当の『ネヴィル・イニミニ』、伯爵家次男で四十歳。
特徴は、薄い栗毛、単眼鏡をかけ、スカーフを巻いた気取り屋。
問題点は、『先進国のカルリスタ王国では~』が口癖の知識人気取りの男。気に入らない生徒には大陸共通語で一方的に罵倒を浴びせ、相手が理解できないのをいいことに嘲笑する。
「言葉は人と人を繋ぐためではなく、人を傷つけるための武器にするなんて。スノッブなモノクルさん、あなたのその薄っぺらな優越感がいつまで持つか見ものだわ」
最後は、国語担当の『ジェシカ・クレマン』、子爵家長女で三十五歳。
特徴は、ふくよかで地味な容姿。ボソボソ話すのに、急にヒステリックになる。
問題点は、『自国の言葉もわからないなんて嘆かわしい』と言いながら、生徒を教え導くのではなく、突き放すスタイル。
「ボソボソ話すのは自信のなさの裏返し。でも、生徒はあなたの感情のゴミ捨て場じゃない。国語教師なら、もっと言葉を大切に扱いなさいな」
リストを書き終えた私は、ふと机に置かれた一冊の古びた本を手に取った。
それは、エスメラルダがかつて『見栄を張るためだけ』に飾っていた、大陸共通語の古典文学だった。
(……あら? これ、装飾本だと思っていたけれど、なんだか普通に読めそうだわ。というか、内容が支離滅裂じゃない? 誤字脱字だらけだわ……)
今の私は、まだ気づいていない。
エスメラルダが学んできた知識と、前世で培った知識。そして転生に伴う『言語の加護』が融合し、私はあらゆる言語を自在に理解できるようになっていた。
しかも、その精度は専門家さえ驚くほど。本人だけが、それを単なる知識の整理だと思い込んでいた。
(……なんだか、この本もあの資料も、普通に日本語を読んでいるのと同じ感覚だわ。というか、この翻訳、一昔前の直訳みたいでまどろっこしいわね)
「マリア、この本、あとで図書室に戻しておいて。注釈が間違っていてイライラするから」
「お嬢様、その本は確か……最高難易度の大陸共通語で書かれた古典ですが。……注釈が間違い?」
「ええ。訳が酷いわ。誰が書いたのかしら、こんなもの」
マリアが『その注釈を書いたのは学園のネヴィル先生です』と言いかけるのを遮り、私は冷めた紅茶を一口啜った。
羊皮紙に書き込んだ『要注意教師リスト』をマリアに預け、私はふと、窓の外で馬車の手入れをしている御者の姿に目を留めた。
「ねえ、マリア。御者のベゼット、腰が痛そうなんだけど、何か知っている?」
「あ、はい。なんでも先週、馬車から小麦の袋を持ち上げた際に痛めたようですよ」
「まあ、それは大変ね。休暇は取れないのかしら。うちはそれほど人材に余裕がないの?」
私の問いに、マリアは少し困ったように眉を下げた。
「いいえ。ただ、本人が休むことを良しとしないようです。あの世代の方は我慢強いですし、何より『休めばその分、給金が減り、居場所がなくなる』という不安があるのでしょう」
「そう……。それは困ったわね」
私はしばらく、紅茶を飲みながら窓の外を眺めていた。
(教育現場でも同じだわ。無理をして出勤し、結局こじらせて長期離脱してしまう。本人のためにも、組織のためにも、安心して休める環境が必要なのよね)
「マリア、お父様はご在宅かしら? 面会の伺いをお願い」
◇
まもなく父からの許可を得て、私は執務室の重厚な扉を叩いた。
「お父様、失礼いたします」
「ああ。どうしたんだい、エスメラルダ」
父ギルバートは、書類から顔を上げて私を迎え入れた。その瞳には、近頃の私の変化に対する戸惑いと、隠しきれない期待が混ざっている。
「はい。実は、使用人たちの待遇に、一つ加えていただきたい条項があるのです」
「ほう。それはどういったことかな?」
「『休業補償』です。出産、労働中の怪我、長期療養を要する病気の治療、家族の世話など、正当な理由で休暇が必要な場合に限り、休暇中も給与の半額を支給し、問題が解決した際の復職を保障するという条件ですわ」
父のペンが止まった。
「……それは初耳だね。働いていない間も給与を支払うというのかい?」
「はい。お父様、良い人材は『宝』ですわ。目先の給与を惜しんで熟練の奉公人を失うより、恩義を感じてもらい、万全の状態で戻ってきてもらう方が、長期的には公爵家の利益につながります。信頼関係こそが、ミッテラン公爵家の真の財産ではございませんか?」
私はベテラン教師だった頃、何度も保護者や同僚に説いてきた『心の安全圏』の重要性を、公爵令嬢としての気品を添えて語った。
「……。一考の価値はあるな。……前向きに、考えておこう」
「ありがとうございます。それと、決定前に申し訳ないのですが、御者のベゼットを腰痛治療のために休ませてあげてくださいませ。給与補償もお忘れなく。早めにお願いいたしますわね」
私は見本のような美しいカーテシーを捧げ、部屋を後にした。
一人残された父は、娘が去った扉をいつまでも見つめていた。
(あれは、誰だ……? 本当に、最近のエスメラルダには驚かされることばかりだ。だが……なんと誇らしく、素晴らしい娘だろうか)
父の胸に宿ったのは、かつての『問題児』への懸念ではなく、一人の優秀な統治者に対する敬意だった。
一方、廊下を歩く私は、『よし、まずはベゼットの代わりをどう手配するかね……』と、すでに現場の勤務表を頭の中で組み立て始めていたのである。
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