第17話 王宮のお茶会と、噂話
「おい、エドワード。ミッテラン公爵領の噂、聞いたか?」
真っ先に口を開いたのは、騎士団長子息のオリバーだ。
「噂? ああ、あの『ヴィラ・エスメラルダ』のことか?」
エドワードは、ティーカップを傾けながら気だるげに答える。
「そう、そう。なんでも、すごい人気だそうだぞ。王都の貴族たちがこぞって予約を入れているらしい」
「予約が二年先まで埋まっているという話もある。宿だけでなく、街そのものの評判もいいようだ」
チャールズは手元の資料に目を落としながら、淡々と続けた。
「視察に行った者の報告によれば、街道の整備から公衆衛生まで、驚くほど合理的に設計されているという。単なる保養地の開発にとどまらず、街全体の暮らしやすさまで考えられているらしい」
「へえ。それは、参考にしたいな」
フレデリックが興味深そうに身を乗り出した。
「実際、平民の間では『最も住みたい街』として評判らしいぞ。学校や診療所まで整備されているらしいぞ。領民からの評判も上々だとか」
「ふん。どうせ、金に物を言わせて、誰かに丸投げしたんだろう? エスメラルダにそんな計画性があるとは思えん」
エドワードは鼻で笑った。
彼にとってエスメラルダは、自分の自由を縛る『無能な婚約者』でしかない。領地でどれほど評判を上げようと、それが彼女自身の功績だとは認めたくなかった。
そこへ、少し遅れて側近たちの婚約者三人がお茶会に加わった。話題は自然と、『モン・ルージュ』の具体的な魅力へと移っていく。
「皆様、お聞きになりまして? モン・ルージュの薬膳料理や温泉……。あちらから戻られた方の肌が見違えるほど艶やかで、羨ましい限りですわ」
「名産品のジャムやスイーツも、王都では手に入らないものばかりだとか。なんでも、エスメラルダ様がお考えになったと伺いましたけれど……」
その言葉に、キャサリンが目を細めた。
「まあ、それは本当ですの? にわかには信じ難いですわね……」
鈴を転がすような声で、純真な驚きを演出したのは、チャールズの婚約者、キャサリン・フォード公爵令嬢だ。
「だって、あのエスメラルダ様ですもの。きっと、優秀な代官の方に恵まれたのでしょうね。わたくし、エスメラルダ様が、数字や経営といった『地道な努力』をなさる姿、一度も拝見したことがございませんの」
遠回しに、エスメラルダは無能な飾りに過ぎないと断じるキャサリン。
彼女の瞳の奥には、王太子妃の座を狙う野心が燃えていた。
チャールズは、手元の資料を閉じた。
「だが、報告を見る限り、領地経営はかなり計画的に進められているようだ。代官だけの手腕で、あれほど街全体を変えられるものだろうか」
淡々とした指摘に、キャサリンの笑みが一瞬だけ強張った。
「まあ、チャールズ様。領地経営の実務は、領主がすべて手がけるものではございませんでしょう?」
「それはそうだ。だが、誰が計画を立て、誰が実行したのかは、分けて考える必要がある」
チャールズはそれ以上、追及しなかった。
「もういい。エスメラルダの話は聞き飽きた」
エドワードが不機嫌そうに口を挟んだ。
「どうせ、公爵家の名を使って有能な者を動かしているだけだろう。あの女に、こんな街を作る知恵があるものか」
エスメラルダは最近、王宮に一切姿を現さず、王太子妃教育にも通っていない。
「あの方、最近はお城にもいらっしゃいませんし……きっと、自分の領地で好き勝手になさるのが、よほど心地よいのでしょうね。王家への義務より、遊びを優先なさるなんて、羨ましいほど自由だわ」
キャサリンが再び言葉を添えると、エドワードの不快感は頂点に達した。
自分を追いかけ回していたはずの女が、突然興味を失ったかのように姿を消し、あろうことか『理想郷』などという浮ついた噂の主役になっている。
王宮の和やかなお茶会は、いつしか『不在の悪役令嬢』を巡る、猜疑心と見下しに満ちた場へと変貌していた。
◇
王宮で繰り広げられている陰湿な憶測など知る由もない私は、自室で次なる「福利厚生計画」の書類に目を通していた。その時、鼻の奥がむず痒くなり、思わず声が漏れた。
「っ、クシュンッ!」
「お嬢様、大丈夫でございますか? 風邪でも召されたのでは……」
マリアが心配そうに駆け寄ってくる。私は鼻を軽く押さえ、苦笑いした。
「ん、大丈夫よ。なんだか、急に寒気がしただけ。誰かに噂でもされてるのかしら。『美しいって罪ね』……なんて、一度言ってみたかったのよね! 美人最高!」
鏡に映る自分に向かって、私は上機嫌で指を鳴らした。
前世の教師だった時代には、一生かかっても口にできなかった台詞だ。
この圧倒的なビジュアルがあれば、どんなナルシストな発言も『高貴な令嬢の戯れ』として成立してしまう。これぞ転生の醍醐味、ボーナスステージの恩恵というものだ。
「お嬢様、噂話は容姿だけではございませんよ。お嬢様の辣腕は、平民の間では神だ、女神だと広まっております。何しろ、利益をこれほど領民に還元する領主は少のうございますからね。皆、感謝しておりますよ」
マリアの言葉に、私は少しだけ真面目な顔をして頷いた。
「まあ、喜んでもらえたら一番よね。教育や医療が整い、みんなが幸せなら、生活への不満からくる不必要な諍いや、治安の問題も起きないでしょうからね」
これは慈善事業ではない。領民が安心して暮らせるようになれば、仕事にも意欲的に取り組めるし、無用な争いも減る。そうなれば、領地全体が豊かになり、安定した経営につながる。
いわば、ミッテラン公爵領という巨大な『教室』で問題が起きないよう、あらかじめ対策を講じているのだ。四十年間、教師を務めてきた私にとっては、ごく当たり前の危機管理である。
「はい。本当に、うちのお嬢様は女神様ですわ!」
心酔しきったマリアの瞳に見守られながら、私は再びペンを走らせた。
王太子エドワードやキャサリンが、私の『不在』を嘲笑っているうちに、外堀はすでに埋まりつつある。
領地で『神』とまで称えられるようになった私が、学園に戻ったら、彼らはどんな顔をするのだろう。
私の活躍を知らない彼らは、きっと今までどおり、私を見下して『がっかりだ』と言うに違いない。
その時の彼らの顔を想像すると、食後のハーブティーが一段と美味しく感じられた。
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