第13話 公爵令嬢、領地ビジネスを拓く
公爵邸の図書室で、私は精緻な資産目録を閉じた。
我が公爵家は、建国以来の功臣であり、その財産は一代や二代の放蕩では揺るがないほどに潤沢だ。お父様も『金ならいくらでもある。気にするな』と笑ってくださった。
けれど、私のプライドがそれを許さない。
前世で学級担任をしていた頃、生徒が窓ガラスを割れば、その責任の所在を明確にし、解決へのプロセスを学ばせた。今の私は、加害者であると同時に、エスメラルダを導く教師でもある。
(親の金で解決して『はい、終わり』なんて、教育的じゃないわ。エスメラルダが払った賠償金は、エスメラルダの手で黄金に変えて、公爵家に返すべきよ)
幸い、この世界には私の前世の趣味――『温泉巡り』『食べ歩き』『料理』をビジネスに昇華させる余地がいくらでもあった。
私はまず、領地北部のモン・ルージュにある『不便な保養地』に目をつけた。そこには古くから微温湯が出る泉があったが、貴族たちの間では『ただのぬるい水が出る場所』として放置されていた。
だが、日本中の名湯を制覇した私の嗅覚は、それが単なる水ではないことを見抜いていた。
「お父様。モン・ルージュは宝の山ですわ。わたくしの小遣いの範囲で、この場所の独占開発権をくださいませ」
私は領地から屈強な男たちを雇い、前世の知識をもとに、地質に詳しい専門家と協力して有望な場所を絞り込んで掘削を命じた。
「いい? あと数メートル深く、あの岩盤の先を狙いなさい」
教師時代、理科の地学担当の同僚と仲が良かったのが、ここにきて幸いした。
◇
数日後、公爵領の北部モン・ルージュの岩肌から、湯気を立てた熱水が勢いよく噴き出したのだ。
激しい噴出が落ち着くと、私は新しくできた湯溜まりへとすかさず駆け寄った
立ち上る白い湯気を手で仰ぎ、その匂いを吸い込んだ。
「出た……! 間違いないわ、硫黄の香りがするわ! これなら、メタケイ酸を豊富に含んだ美肌の湯かもしれないわ! これよ、これこそが前世で私が愛してやまなかった『美肌の湯』の正体よ!」
(地学の山添先生。あなたが職員室で熱弁していた『温泉の湧出メカニズム』、異世界でバッチリ役に立ったわよ! この天然の源泉掛け流しがあれば、領地の財政を潤す一大スパリゾートが作れるわ。それに何より、このエスメラルダの美肌にさらに磨きがかかってしまうじゃないの。異世界の温泉王に私はなるわ!)
温泉だけでは人は集まらない。次に必要なのは、旅の醍醐味である『食』だ。
私は公爵邸の厨房を借り、前世で培った『料理』と『食べ歩き』の記憶を総動員した。
この世界の料理は、豪華な素材を煮込むだけの単調なものが多い。
そこに私は、日本独自の『旨味』と『地産地消』の概念を持ち込んだ。
「ねえ、ザック料理長、この領地で獲れる小ぶりな川魚。泥臭いと捨てられていたけれど、香草と一緒に低温のオイルでじっくり煮てごらんなさい。……そう、コンフィよ。これをカリカリのパンに乗せれば、最高の贅沢になるわ」
さらに、温泉の熱を利用した『低温調理』や『発酵食品』の開発にも着手した。温泉卵ならぬ『エスメラルダ・エッグ』。そして、領地の特産品である硬い根菜を、じっくりと糖度が増すまで加熱した『蜜ベジタブル』。
「よろしいかしら? 食べ歩きの基本は『ここでしか食べられない』という希少性よ。素材の良さを最大限に引き出す。それが、食材に対する『教育』というものよ」
開発したばかりの温泉地グルメを、侍女のマリアと共に『試食』しながら、私は熱弁を振るう。このナイスバディなら太る心配もないので、食べたいだけ食べられるのだ。
こうして名産品と、お土産品の開発が済んだら、次に待ち受ける最も重要な課題は、現地で働く『人材の確保と育成』だ。
どんなに施設や食べ物が充実していようとも、働くスタッフの接遇が悪ければ、お客様の満足度は絶対に低くなってしまう。
そこで私は、地元の若者たちを集め、接客業の基礎を叩き込むための特別講習を開くことにした。徹底的なサービス業の基礎教育である。
まずは『なぜ、この講習が必要なのか』という理由から解いていく。意識改革無くして、最高の成果は得られない――それは四十年の教師生活で、私が確信している真理だ。
「よろしいかしら? 貴方たちの笑顔、言葉遣い、その一挙手一投足のすべてが、この『ヴィラ・エスメラルダ』の価値を決めるのです。お客様に『また来たい』と思っていただくための魔法、それを今からここで、じっくり『教育』して差し上げますわ」
壇上で凛と微笑む私に、集まった領地の若者たちは、緊張でガチガチになりながらも目を輝かせてコクコクと頷いている。
すると、一人の純朴そうな少年が、恐る恐る手を挙げた。
「あの……エスメラルダ様。オレたち、今まで畑仕事や薪割りしかしたことがなくて……。そんな、王都から来るような偉い貴族様たちを相手に、本当に上手くおもてなし出来るでしょうか……?」
不安そうに視線を泳がせる少年。周囲の若い子たちも、一斉に不安げな表情になる。
私は、ふっとお馴染みの『教師の微笑み』を浮かべ、彼らに向けて人差し指を立てた。
「あら、心配には及びませんわ。最初から完璧にできる人間などいません。貴方たちが覚えるまで、このわたくしが何度でも『居残り補習』に付き合って差し上げますから」
「い、居残り補習……!?」
「ええ。ですが、安心なさい? 居残りを頑張った良い子には、わたくしが直々に開発した『新作の特製お茶菓子』をご褒美として振る舞ってあげますわ。しっかり学び、しっかり働きなさい」
「ご褒美のお菓子……! はい! オレ、一生懸命頑張ります!」
現金なものだが、若者たちの瞳に一気にやる気の炎が灯った。
それにしても、未来ある若い子たちを導くのは、やはり実に気持ちがいいものだ。
彼ら、彼女らのひたむきな努力と初々しい笑顔には、周囲を爽やかな気持ちにさせる素晴らしい効果があるのだ。
そして、労働には対価が伴う。
この素晴らしい笑顔と労働に対して、私は最高の『アメ』を用意していた。
「――それから、もう一つ。貴方たちのこれからの給金ですが、この領地の平均ではなく、王都の平均賃金と同等、いえ、それ以上の額を支給することに決めましたわ」
「えっ……! お、王都と同じ、ですか!?」
若者たちの間に、今度こそ大激震が走った。
王都に比べれば現金収入の手段が限られるこの領地では、働き口の職種も少ない。特に若年層は、まともな仕事を求めて、泣く泣く故郷を離れて王都へと出稼ぎに向かう者が多かったのだ。
「故郷で家族と暮らしながら、王都に負けないお金が稼げる……。そんな夢みたいなことが……っ」
「うふふ、夢ではありませんわ。これだけ出すのですから、そのぶん死ぬ気で私の『授業』についてきてくださいね。さあ、やる気は出たかしら?」
「「「はい!!! 死ぬ気で頑張ります、エスメラルダ先生――じゃなくて、公爵令嬢様!!!」」」
地鳴りのような返事が講習所に響き渡る。
働き口ができることは領地の活性化には欠かせない。ここが潤えば、仕事を求めて王都へ出稼ぎに出たきり戻れない若者たちだって、またこの地元に帰って来ることができるはずだ。
何より、得られる給与が多ければ、働く意欲も自ずと、それこそ天を突くほどに上がるものなのだ。
こうして、すべての準備は整った。
王都で私が通っている美容サロンには、美意識の高い令嬢たちが集まっている。美容や流行の情報交換が盛んな場所でもあるのだ。
私はそこで顔馴染みになった令嬢たちを、『ヴィラ・エスメラルダ』へ招待することにした。
招待状には、わたくしエスメラルダが全面プロデュースした、極上の温泉宿『ヴィラ・エスメラルダ』の特別宿泊券を添えた。
◇
「皆様。わたくしが自ら厳選した、心と体を整えるための『究極の休日』をご提案いたしますわ」
王都から遠路はるばる訪れた令嬢たちは、当初、ちょっとした『田舎へのお忍び旅行』くらいに考えていたようだ。ところが、現地に到着した途端、度肝を抜かれることになった。
建物の意匠は、この世界の職人たちが手がけられる技術を基本に、私の前世の知識を取り入れて設計した。木の温もりを生かした和風の意匠に、西洋風の家具や調度品を組み合わせた、落ち着きのある空間だ。
日本式の『おもてなし』――到着時の冷たいおしぼり、部屋に用意されたこだわりの茶菓子、そして何より、肌が吸い付くような温泉。
湯上がりに提供される、私のレシピによる『滋養強壮の薬膳フルコース』を口にした彼女たちは、一様に感涙に咽んだ。
「エスメラルダ様、こんなに素晴らしい場所、王都にもございませんわ!」
「お肌が……一晩で真珠のように輝いていますわ!」
評判は瞬く間に広がり、宿泊予約は二年先まで埋まった。
私の手元には、かつてないスピードで莫大な個人資産が積み上がっていく。
私はその中から、一連の不当解雇や退学への賠償金、そして査問会議の運営にかかった全ての費用を算出し、一シリングの誤差もなく、小切手に金額を記した。
◇
「お父様、こちら。今回の件で公爵家におかけした費用の全額ですわ。どうぞお納めください」
執務室で差し出された小切手を見て、父は絶句した。
「……エスメラルダ? 君、これだけの金額を、たった一夏で稼ぎ出したのかい?」
「ええ。わたくしの不始末ですから。……それに、領民たちにも新しい雇用を作ることができました。これも、公爵令嬢として、いいえ、一人の自立した人間としての責任です」
私は不敵に微笑んだ。
もはや、以前のような『金に飽かせた傲慢』はどこにもない。
自らの力で価値を生み出し、責任を取る。その姿は、お父様や使用人たちの目には、神々しいまでの高潔な公爵令嬢として映っていた。
「さあ、これで身辺整理は完璧ね」
私は鏡の中の、輝くばかりの美貌を見つめ、うっとりと頬を撫でる。
賠償金完済。領地の産業振興。そして、揺るぎない経済的自立。
「学園という名の戦場へ、いよいよ出陣よ! おーっほっほっほ!!」
鏡の中の黄金比の美女は、自信に満ち溢れた『ベテラン学年主任』の顔で、楽しげに高笑いを上げた。
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