第五.五話 寝不足の時に書くもんじゃないね!
「…ただいま」
誰もいない薄暗い家の廊下に私の声が消えていく。
両親は外資系コンサルの仕事をしていて年中世界を飛び回っている、この家に帰ってくるのはお盆や年末などの年に数回だけだ。それでも一年前まではこの家にも私の帰宅を待っていてくれる人が居たのだが…いや、兄のことを思い出すのはもうやめよう。きっと、私と兄は生来相容れない存在だったのだ。兄は私を疎ましく思っているだろうし、私も兄を許すつもりはない。
私は階段をのぼって、自室のドアノブに手を掛ける。横目でチラリと今は誰もいない部屋のドアを見つめる。
「裏切者っ」
部屋に入ると、教科書の詰まった重たい通学カバンをベッドに立て掛け、しわにならないように制服をハンガーにかけてデスクトップの前に座る。
「行くわよ、paradox」
昨日はあと少しで何かを掴めそうだった、この進む先にきっと呪いを解くカギがあるはずだ。
降り立った先は夕日の差し込む商店街だ、呑み屋や服屋、武器屋などが混沌と入り乱れる無秩序地帯。OMDのプレイヤー達はここを夕焼街と呼ぶ。基本的にOMDはどこまでも続く白と灰のグリットの世界だが、各所に点々とこのような街が環境変数操作系のチート使用者によって作られている。
私は紺色のパーカーのフードを深く被って街中を歩き始める。
とは言っても私は別にOMDの食事に興味があるわけでもないしファッションも服であればなんでもいいと思っているので店に入ったりすることは滅多にない、たまに武器に興味をそそられることはあるが、他者のチートが介在したものに身を預けるのはよっぽどの初心者か武器に強い思い入れのあるプレイヤーだけなので私にはあまり関係はない。
ならばなぜこんな行動をしているのかというと――
「ヒャッハー!命が惜しくばポイントを置いていきな!」
こういうことがあるからだ、人が集まればポイントも集まる、街ほど美味い狩場はない。
にしてもこの人はかなり個性的な獲物だが、おそらくロールプレイという奴だろう。他のオンラインゲームならよくいる人種だが、現実の顔がそのままアバターになるこの世界この世界でロールプレイをするのは稀有な存在だ。
「いいですよ。やり方は通常のマッチですか?それともシステム干渉系のチーターの方ですか?」
「ヒャッハー!最近始めたばかりでよくわからないぜ。ヒャッハー!」
戦い方もロールプレイもスタイルがまだ確立していないようだ。
「ビギナーさんの相手としては私はあまり向いてませんよ。こう見えても強いので」
「ヒャッハー!それはやってみなきゃわからないぜ!!」
ふざけた言動とは裏腹に彼の瞳には強い意志が感じられた。
面白い、ただの能天気なだけの人ではなさそうだ。ならこちらも全力で相手をしなければ無作法というもの。
「いいでしょう。あなたが私の呪いを解くに足る器か証明してみなさい」
「うっひょーー!!」
どうやら私の言葉は彼の趣向の刺さったようだ。
『対戦を開始します』
開始の合図と同時に私は全方位防御のコードを描く。
千差万別のチートが乱立するこのOMDにおいて何よりも優先すべきなのは相手の攻撃を食らわない事。
防御を展開し終えた私は次に、近くにあった呑み屋の屋外席の椅子を世紀末男に投げつける。マッチが開始した瞬間からこの場には彼と私以外のプレイヤーは存在しない。周囲への被害を考える必要はない。
攻撃を食らわないことの次に大切なのは相手のチートを見破る事。まずは遠距離から様子見をする。
私の投げた椅子を彼は左手で払いのける。だが、左手に伝わる衝撃がOMDのシステムによってノイズとなり脳に小さなショックを与える。それによって彼は少しふらついた。
最近始めたというのは嘘ではない様だ。OMDに馴れたプレイヤーならこの程度で動揺することはない。
だがOMDの戦闘に対する馴れとチートコードの制作能力は決してイコールではない。
「ヒャッハー!今度は俺から行くぜぇ!」
男は道に置いてあった服屋の看板を盾にしてこちらに突っ込んでくる。
私も彼の方へ走り出す。狙うはカウンター、先ほど展開した全方位防御であれば大した攻撃力もない看板程度であれば弾き飛ばせる、こちらの防御も割れてしまうが相手の作戦を崩せるのであればお釣りがくる。
看板が私の障壁に衝突する、狙い通り看板は男の後方に飛んでいく。
「なにぃっ?!」
動揺してがら空きになった胴体に握りしめた拳を下から突き上げる。
ガリッ
だが、みぞおちを狙った私の拳は相手の体に当たる直前で動きを止めた。
(これは…障壁!?)
「おらぁ!!」
男は右足の膝で私の顔面を蹴る。私は少しでもダメージを抑えようと首を反らすが直撃は免れず、衝撃で回転しながら屋外席のテーブルまで飛ばされた。
OMDのシステムによって、体と思考が分離する不快な感覚を味わいながら私は考えを巡らせる。
ダメージはそこまで深刻ではない、問題なのは世紀末男が障壁を展開する素振りを見せていなかったことだ。なのに、現に彼の体には障壁が展開されていた。
チートを使ったわね
あれはチートでなければ説明がつかない。けど、いったいどんな?
常時障壁を展開するチート?それとも無動作でコード展開するチート?
前者は考えずらい、常に障壁を展開しているなら最初の椅子をはじく必要はなかったからだ。さらに言えば、いかにチートと言えどそんな無法は許されない、OMDのチートはメリットとデメリットのギブアンドテイク、限られたリソースを自分好みに特化させることしか大抵できない。その枠を超えるのは上位プレイヤーの中でもほんの一握りだ。なら後者?コードの使用回数制限などのデメリットの代わりに無動作でコードを展開する?
おそらく後者、なら対処法も心得ている。
私は素早くコードを描く。遠距離攻撃プログラム、それを描き終わったそばから描きなおす。
光るブーメラン状の飛翔物が男に向かって無数に飛び出す。
男はそれを避けようと私から見て扇状に走り出す。
だが、私の展開したコードは速度が低い代わりに対象に追尾する。
男が数歩走ったところで最初の飛翔物が男の真後ろまで迫った。
「ヒャッハー!面白れぇ!」
私は今度ははっきりと見た、世紀末男が何もしていないにも関わらず周囲に大量のコードが展開され、私と同じブーメラン状の飛翔物が発射され攻撃を相殺していく。
やはり無動作でコードを展開するチート。ならこの攻防はずっとは続かない、私がチートを使用せずにプログラムを組んでいる以上ジリ貧になるのはあちらだ。仮に相手がチートに頼らずに自力でコードを描いても私の速度には届かない。
…
……
………なかなか終わらないわね
もうかなりの数のコードを展開しているが相手の弾数が減る気配がない。ずっとあの独特な掛け声を叫びながら私の攻撃を落とし続けている。
掛け声…?
そうだ、あの掛け声。劣勢になってもロールプレイを続けるなんて殊勝な人だと思っていたけど。考えてみたら不自然だ。
「…ひゃっはー」
私は男の掛け声を真似してみた。
すると、何もしていないのに無数のコードが周囲に展開された。
そういうことね
彼のチートは特定の単語を発することで対戦相手の展開しているコードを複製するものなんだ。
「ヒャッハー!気づかれちまったか!」
種が割れたのならもう敵ではない。純粋な格闘戦に持ち込めば彼のチートは無効化できる…
「ヒャッハー!あんたほどのプレイヤーに負けるなら悔いはねぇぜ!」
…勝つのは簡単だ。でも、この純真で熱烈なプレイヤーにOMDの歴という無粋な手段で勝つのは無礼…!!
「ひゃっはー!」
私は彼の掛け声をもう一度真似る。
彼は一瞬驚いたように目を丸くしてニヤッと笑った。
「ヒャッハー!あんた最高だぜっ!!」
「ひゃっはー!」
「ヒャッハー!」
「ヒャっはー!」
「ヒャッハー!!」
「ヒャッハー!!!」
展開を省略したプログラムは掛け声が響くごとにその数を増していった。
いつしか、2人の視界のすべてが光で埋め尽くされた――
『勝者:paradox』
『80ポイントが付与されます』




