7-3
伯爵と一緒に作戦を練り上げた二人は、その足でレナルドたちの宿に戻った。三人に状況を伝え、作戦を確認し終えた頃にはすっかり日が暮れていた。
アパートに帰る途中でアルフォンスが言う。
「準備が整い次第この国を出る。明日、食堂の女将に退職の意思を伝えておけ」
「分かっています」
セレスティーヌが答えるが、その声には先ほどまでの覇気がない。
それにアルフォンスが気付いた。
「お前もさすがに疲れただろう。晩飯は俺が用意するから、帰ったらすぐ風呂に入れ」
「助かります」
アルフォンスが気遣うが、セレスティーヌは上の空だ。
道は示された。国のため、民のために今こそ行動を起こす時。
そう思って一歩踏み出そうとした途端、思わぬ心配事がセレスティーヌの心を重くした。
仕事を辞めなければならない。
リーアと別れなければならない。
それは、自分でも驚くほど些細なことだった。
自分の人生は国のためにある。そう思って生きてきたセレスティーヌにとって、個人的な感情に意味などない。父に甘えて先延ばしにしてきた結婚も、最終的には相手が誰であろうと受け入れるつもりでいた。
国の運命を決める一大事を前にした今、一時凌ぎで始めた職場を辞めることや、リーアと別れることなど取るに足りない小さなことだ。
そう思うのに、明日女将に退職の意思を伝えられるか、リーアに別れを告げられるか、セレスティーヌには自信がなかった。
「アルフォンス」
「なんだ?」
「……いえ、何でもありません」
明らかにセレスティーヌの様子はおかしい。
「何か心配事でもあるのか?」
「いえ、大丈夫です」
どう見ても大丈夫ではないのだが、セレスティーヌはそれ以上何も言わなかった。
アルフォンスが声を掛けようとするが、結局その口も開かない。
アルフォンスが、心なしか前に出た。
その顔は、少し怒っているようだった。
それにセレスティーヌは気付かない。
眉間にしわを寄せ、地面だけを見つめてセレスティーヌは歩いて行った。
翌日。
いつも通り出勤したセレスティーヌは、更衣室に入った途端、リーアに抱き締められた。
「アンナ!」
「な、なんですの!?」
セレスティーヌは本気で驚いた。
まさか自分がここを離れることを知っているのだろうか。
しかし、リーアの話はまったく別のことだった。
「家族の行方が分かったのです!」
リーアが歓喜の笑顔を見せる。
「そうなのですか? それはおめでとうございます」
「ありがとうございます!」
嬉し涙を交えながら、リーアが経緯を語った。
革命の煽りを受けて一家離散となった後、リーアは食堂で働きながら家族の無事を祈っていた。
その願いが通じたのか、昨日長兄から手紙が届いたのだ。
長兄は、元の領地で議員になっていた。
伯爵家が善政を敷いていたこともあって、領地に戻った長兄は民に歓迎された。ちょうどその時欠員補充のための選挙があったので、立候補して見事当選したそうだ。
母や兄弟を探して呼び戻す中、行商人からコントロの町に妹に似た女性がいると聞いて、早速手紙を書いた。それが届いたのだ。
「アンナに一番にお知らせしたかったのです!」
リーアがまた涙を流す。
セレスティーヌの胸がチクリと痛んだ。
涙を拭いたリーアにセレスティーヌが聞く。
「リーアは、お兄様の元に戻るのですか?」
当然”そうです”と答えると思ったのだが、リーアは予想外のことを言った。
「まだ迷っていますが、もしかすると、ここに留まるかもしれません」
「留まる? どうして?」
不思議そうなセレスティーヌの前で、リーアがなぜか頬を染める。
「それは、その」
うつむいたリーアが、小さな声で言った。
「アンナと離ればなれになることが、寂しいと思ったからです」
セレスティーヌが目を丸くした。
リーアが恥ずかしそうに横を向く。
「私にとって、アンナは掛け替えのない友人です。初めて心を許すことのできた、本当の友人なのです。だから」
消え入りそうな声は、しかし最後まで聞くことができなかった。
「いつまで着替えてるんだい!」
扉の向こうから女将の大声がした。
「申し訳ありません!」
リーアも大きく返事をする。
「変なことを言ってごめんなさい。今日も頑張りましょう」
照れ笑いを浮かべてリーアが更衣室を出て行った。
残されたセレスティーヌは、泣きそうになりながら着替えを始めた。
結局この日、セレスティーヌは女将にもリーアにも伝えることができなかった。
アパートに帰ってきたセレスティーヌの顔を見て、アルフォンスが言う。
「お前、やっぱりどこか悪いんじゃないのか?」
「問題ありません」
素っ気ない返事にアルフォンスが眉根を寄せる。
「明日、レナルドがビゼー伯爵の檄文を持って王国南部に向かう。二週間もすれば、諸侯の返事を持って戻ってくるだろう。それを確認して俺たちはここを出る。何か問題があるならその前に」
「分かっています!」
不機嫌な声に、不機嫌な声が答えた。
「体調が悪いなら医者に行け。心配事があるならすぐに言え。黙っていたら何も分からないだろうが」
これまでアルフォンスは、言葉は乱暴でも心は冷静だった。
しかし、今は明らかに苛立っている。
「お前は王族なんだぞ。責務を果たすつもりがあるなら、不安要素は事前に潰して」
「だから問題ないと言っているでしょう!」
セレスティーヌが叫んだ。
「わたくしは子供ではないのです! 自分のことは自分で何とかできます!」
持っていた鞄を床に叩き付け、セレスティーヌはアルフォンスを強く睨みつける。
「わたくしを見下すのもいい加減にしなさい! 一体何様のつもりですか!」
感情を爆発させたセレスティーヌは、そのまま自分の部屋の扉を開けて、バタンと激しくそれを閉じた。
暗い部屋の中で、セレスティーヌが虚空を睨む。
その顔は、今にも泣き出しそうだった。




