7-2
市場にやってきた二人は、あの古物商を探して歩いた。
「店主の顔は覚えているか?」
「もちろんです」
セレスティーヌの記憶力は抜群だ。一度でも会話を交わした相手なら大抵は覚えている。
左右を見ながら歩くセレスティーヌが、やがて古物商を見付けた。
突然やってきたセレスティーヌを、古物商は喜んで迎えた。
余程いい商売ができたのだろう。その顔はホクホクである。ティーセットの売主の滞在先もすんなり教えてくれた。
店主と別れて歩き出したアルフォンスがセレスティーヌに言う。
「お前、だいぶ世間慣れしてきたな」
「何のことですか」
「普通、商売人は顧客の情報を簡単に明かさないものだ。それをあんなにあっさり聞き出しやがった。恐れ入ったよ」
「何も特別なことをしたつもりはありません。掘り出し物を見付けたら、真っ先にあなたに声を掛けると言っただけです」
「それが凄いっていうのさ」
澄まし顔のセレスティーヌの隣でアルフォンスが笑った。
二人が向かったのは、町の中心地にある宿だった。その外観はなかなかに立派で、庶民が気軽に泊まれるような雰囲気ではない。レナルドたちがいた宿とは別格の佇まいだ。
部屋は分かっているので、フロントを通り過ぎて階段を上る。すれ違ったスタッフが二人の身なりを見て顔をしかめたが、無視して歩き続けた。
絨毯敷きの廊下を進んで目的の部屋の前に来ると、セレスティーヌは息を整え姿勢を正す。そして、静かにノックをした。
「どなたですか?」
聞き覚えのある男性の声だ。
「先日市場でお会いした、アンナと申します」
セレスティーヌが名乗るが、返事はない。
しばらく待っても扉が開く気配がないので、思い切ってセレスティーヌが言った。
「白く長い顎髭と、左手に傷を持つ、気品ある男性とお話がしたくて参りました」
すると。
ガチャ
静かに扉が開いた。
顔を見せた男性に、セレスティーヌが笑みを向ける。
「突然訪ねてしまって申し訳ありません。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「……どうぞ」
何かを察したのだろうか。
男性は諦めたように二人を迎え入れた。
男性がたどたどしい手付きでカップを置く。
「申し訳ございません、不慣れなもので」
左手の動きがぎこちないこともあって、見ているだけでハラハラした。
この人物が伯爵だとするなら、自分で茶を入れることなど滅多にないに違いない。食堂で鍛えられたセレスティーヌの方がよほどスマートにできそうな気がした。
テーブルの向かいに男性が座ると、セレスティーヌが話し始める。
「隣にいるのは、兄のアルフォンスと申します。一年前の革命で故郷を追われ、二人でこの地にやってまいりました」
この自己紹介もすっかり板についてきた。
アルフォンスが会釈をすると、男性も軽く頭を下げる。しかし、アルフォンスから目を離すことをしない。あからさまというほどではないが、アルフォンスを警戒しているように見えた。
それにセレスティーヌが気付かぬはずがない。
「兄の瞳の色が気になりますか?」
「そ、そういう訳ではありませんが」
どうやら図星だったらしい。
動揺する男性に、セレスティーヌが重ねて聞く。
「失礼ですが、あなたはここより北の出身なのですか?」
「なぜですか?」
「この国の人たちは、兄の瞳を見てもそれほど驚くことがありません。赤い瞳の悪魔の伝承は、北に行くほど根強く残っていると聞いたことがありますので」
「いや、その」
ますます慌てる男性に、セレスティーヌが落ち着いた声で言った。
「海の向こうに住む人々は、髪が赤かったり黒かったり、肌の色が黄色かったり黒かったりするそうです。瞳の色も、その人の特徴の一つでしかないとわたくしは思っております」
目を見開いた男性が、その顔に苦笑を浮かべた。
「子供の頃に聞いた話というのは、いつまでたっても記憶に残っているものです。しかし、時にそれが目を曇らせることがある。あなたのおっしゃる通り、瞳の色だけで人を判断するのは愚かなことです」
男性がアルフォンスに向き直って頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「気にしないでくれ。慣れっこだから大丈夫だ」
男性とアルフォンスが微笑みを交わした。
雰囲気が和んだところで、セレスティーヌが男性に聞く。
「先日のアルムセインは、満足できる価格で売ることができたのですか?」
「はい。納得できる額で買い取ってもらいました」
男性が破顔した。
「おかげさまで妻を病院に入れることができましたし、ここの宿泊代も払うことができました。すべてあなたのおかげです」
男性によると、この宿には奥方と二人で宿泊していたらしい。その奥方が体調を崩したのだが、手元のお金が底をついて医者に診せることもできない。そこで、泣く泣く家宝のティーセットを手放すことにしたのだという。
「医者からは、もう少し来るのが遅かったら助からなかっただろうと言われました。妻を失っていたかもしれないと思うと、今でも恐ろしさで身が縮む思いです」
「そうだったのですね」
ホッと息をつく男性を見て、セレスティーヌが微笑んだ。
その微笑みのまま、セレスティーヌが切り込んでいく。
「ところで、あなたはどうして宿に滞在しているのですか? ご自身の家はどうされたのでしょうか」
途端に男性の表情が険しくなった。優しい愛妻家の顔は影を潜め、鋭い視線をセレスティーヌに向ける。
その視線を、セレスティーヌは怯むことなく受け止めた。
無言のまま二人が見つめ合う。
奇妙な睨み合いが続く。
その均衡を破ったのは、男性だった。
「衣装や宝石のためなら湯水の如く金を使い、機嫌が悪ければ周囲の人間を怒鳴りつける。世間知らずで我が儘で、人の言うことには一切耳を貸さない。王国の第二王女は、史上最悪の姫である」
予想外の攻撃を受けて、さすがのセレスティーヌも目を丸くした。
「その姫が反乱の最中に殺されたと聞いた時は、因果応報だと思ったものでした」
アルフォンスでさえ顔に驚きを浮かべる。
「しかし、どうやら事実は違ったようだ」
男性がゆっくり立ち上がった。
そしてセレスティーヌの横に歩み寄ると、背筋を伸ばす。
「第二王女がまだ幼かった頃、一度だけお会いしたことがございます。その面影が、今もお顔に残っていらっしゃる」
男性が、片膝をついて頭を垂れた。
「ベルクール王国で伯爵を拝命しておりました、ビゼーと申します。セレスティーヌ王女殿下、お会いできて光栄です」
唐突な挨拶を、だがセレスティーヌは当然のように受け入れた。
「わたくしも、あなたにお会いできて光栄ですわ」
悠然と構えるセレスティーヌを、アルフォンスが感心したように見ていた。
「まずは、なぜ私がこの地にいるのかをご説明いたします」
向かいに座り直したビゼー伯爵が話し始めた。
数年前から王国南部でも税率が上がっていた。当然それは中央の指示で、財務省の役人が正式な書類を持ってやって来たそうだ。
役人たちは一様に横柄で、しかも暗に賄賂を要求してくる者までいた。それを断り続けていたある貴族の領地で、ある日突然、民が反乱を起こした。
だが、その反乱はあっという間に鎮圧された。図ったように中央から軍がやってきたからだ。
反乱後、その地の税率は五割に引き上げられた。貴族の元には役人が派遣され、以後様々な”助言”を行うようになったという。
これと同じことが別の貴族の領地でも起きた。それを見たビゼー伯爵は、反乱が仕組まれたものであることを確信する。
伯爵も役人の要求を拒否し続けていた。次は自分の番かもしれないと考えた伯爵は、信頼できる腹心に、中央の役人と接触して裏から情報を得るよう指示をする。
命を受けた腹心は、事あるごとに伯爵と対立し、伯爵とそりが合わないよう見せ掛けた上で、役人に賄賂を渡しながらわざと不満をこぼした。
すると、役人はこう持ち掛けてきた。
「民を煽って反乱を起こさせましょう。その混乱の最中に、伯爵を殺してしまえばよいのです。その後のことは、すべてこちらにお任せください」
動揺を隠して腹心は演技を続けた。
役人から具体的な計画を聞き出し、互いに握手を交わしてその場を離れると、一目散に伯爵の元へと向かう。
「中央の腐敗は止められません。伯爵は、民にとって必要なお方。一時身を隠して再起を図るべきです」
伯爵は大いに迷ったが、最後は腹心に頷いた。
反乱の日が近付くと、密かに家族を逃がし、反乱勃発と同時に自分も死を偽装して屋敷を出た。そのまま一気に国境を越えて、クラルモ共和国の宿に潜伏する。そこで腹心と連絡を取りながら情勢を見極めるつもりだった。
しかし、腹心は第二王子によって屋敷ごと焼かれてしまった。再起の道を閉ざされた伯爵は、故郷から遠く離れた南の地で、絶望に打ちひしがれながら日々を過ごしていたのだった。
「万が一に備えて、妻以外の家族はさらに南の町に逃がしました。私と連絡が取れなくなった時は、この国の民として生きていくよう伝えてあります」
話を終えた伯爵が、寂しそうに笑ってお茶を飲む。
カップを置いた伯爵に、セレスティーヌが聞いた。
「なぜあなたは南に行かなかったのですか?」
「機会があれば、領地に戻って再起を図りたい。それが部下や民に報いる唯一の方法だと思うからです」
強くセレスティーヌを見つめた伯爵は、しかし、すぐまた寂しそうな顔に戻る。
「もっとも、腐敗しきったあの国に、希望を抱くことは難しいのかもしれませんが」
セレスティーヌが目の前にいるというのに、伯爵は王国への失望を隠さなかった。
それを咎めることが、セレスティーヌにはできなかった。
セレスティーヌが悔しそうに唇を噛む。
それをじっと見ていた伯爵が、やがて聞いた。
「殿下も、死を偽装してこの町に逃れてきたのですか?」
「そうです」
顔を上げて、セレスティーヌがこれまでの出来事を語った。
「殿下もご苦労をされたのですね」
話を聞き終えた伯爵が労るように言った。
同情を湛えるその目に向かって、セレスティーヌがきっぱりと答える。
「いいえ。わたくしの苦労など、民が受けた苦しみに比べたら大したことはありません」
伯爵が目を見開いた。
「王族は、幾千幾万の民の人生と命を背負っているのです。人の命に軽重はありませんが、覚悟の重さだけは民に負けてはならないとわたくしは思っております」
さらに大きく目を開いた伯爵が、表情を引き締める。
背筋を伸ばし、顔を真っ直ぐセレスティーヌに向けて、伯爵が聞いた。
「ベルクール王国において、王女には王位継承権もなければ政治的権限もありません。政権は腐敗し、次の王には短慮で横暴な第二王子がなると決まっている。それらがすべて”企む者”の仕業だとするならば、現状はまさに”企む者”の思い通りと言っていい。その状況で、殿下に何ができるとおっしゃるのでしょうか」
不敬な問いと言えなくもないが、伯爵の目は真剣だ。
世間知らずの我が儘姫が、ただ理想を口にしているだけなのか、それとも……。
セレスティーヌはすぐに答えなかった。
落ち着いてお茶を飲むふりをしながら、ちらりと隣を見る。
セレスティーヌは、この先のシナリオについてアルフォンスから詳しく聞いていない。だからといって、今ここでアルフォンスの意見を聞くことは、セレスティーヌのプライドが許さなかった。
ここに来るまでに、セレスティーヌは自分なりの結論を出してきている。
己の考えを、己の言葉で
セレスティーヌがカップを置いた。
隣のアルフォンスを、今度ははっきりと見た。
アルフォンスが何も言わないことを確認したセレスティーヌが、前を向いた。
「わたくしは、兵を挙げたいと思っています」
「兵を挙げる!?」
伯爵が驚きの声を上げた。
「まさか、政権を奪うおつもりか?」
「いいえ、それは現実的ではありません」
冷静にセレスティーヌが答えた。
「第二王子の暴挙と、裏で糸を引く”企む者”の存在を公にし、王国を正常な状態に戻すことを目的とする。それを大義名分に第二王女が挙兵したとなれば、事態が落ち着くまで王位継承は棚上げになるでしょう」
「それは、そうでしょうな」
「混乱の隙を突いて、わたくしが王と宰相に接触し、真実を伝えます。王が第二王子の廃嫡を決定すれば、たとえ”企む者”を捕らえることができなくても、状況は大きく改善するに違いありません」
淀みない説明を聞いて、だが伯爵の疑念はまだ消えない。
「そんなことをしたら、王家の恥を晒すことになりますぞ」
「民の苦しむ姿を見るよりずっとマシです」
躊躇いなくセレスティーヌが答える。
一瞬目を見開いた伯爵が、続けて聞いた。
「仮に、殿下が陛下や宰相と接触できたとして、どうやってお二人を説得するおつもりですか?」
「わたくしの全身全霊をもってお話致します」
セレスティーヌが強い意思を示す。
「それでも説得できなかったら?」
探るように伯爵が聞いた。
セレスティーヌが、腹の据わった声で答えた。
「その時は、ベルクール王国が滅びるまでです」
伯爵が目を丸くした。
「滅びたあとは、”企む者”が新たな国を建てるのかもしれません、ですが、わたくしは、”企む者”のやり方が非常に気に入りません。民を苦しめて不満を煽り、国を衰退させてそれを乗っ取る。そのようなことを考える者に、国を率いる資格はないとわたくしは考えます」
驚く伯爵を、セレスティーヌが真っ直ぐ見つめる。
「この作戦に絶対の自信があるかと問われれば、残念ながら”ない”と答えます。ですが、何もせずに国が滅ぶのを見ているのかと問われれば、それに”はい”と答えることなどあり得ません」
力強い言葉に、伯爵が思わず背筋を伸ばした。
「わたくしは、ベルクール王国第二王女、セレスティーヌ・ド・ベルクール。わたくしには、国を救い、民を導く責任があるのです」
そういうと、セレスティーヌがゆっくり立ち上がった。
「わたくしは一人でも行くつもりです。ですが、思いを共有できる仲間がいれば、とても心強いと思います」
セレスティーヌが、静かに手を差し伸べた。
「ビゼー伯爵。わたくしと一緒に戦ってくださいませんか」
伯爵がその手をじっと見つめた。
やがて、伯爵もゆっくりと立ち上がる。そしてセレスティーヌの前に立つと、その膝を折り、手を取って、深く頭を垂れた。
「セレスティーヌ殿下の仰せのままに」
セレスティーヌが微笑んだ。
「ありがとう」
顔を上げて、ビゼー伯爵も微笑んだ。
やり取りを見ていたアルフォンスが、感心したようにセレスティーヌを見つめていた。




