6-5
「声は抑えて話すんだ」
アルフォンスに頷いて、セレスティーヌが椅子を落とす。
全員が座ったことを確認すると、アルフォンスが話し出した。
「昨日の夕方、職場の近くで、俺はレナルドに待ち伏せされた」
「人聞きが悪いぞ」
不機嫌な声をアルフォンスが笑った。
「似たようなものさ。赤い瞳の男の噂を聞いて、製材所を見張っていたんだろう?」
レナルドが不満そうにアルフォンスを睨んだ。
「で、その場で話すのは目立つということで、ここで待ち合わせにした。だから、俺もまだ何も聞いていない」
「そうだったのですね」
それならそうと言ってくれればいいのに。
文句が出そうになったが、セレスティーヌはそれを飲み込んだ。
「じゃあレナルド。お前が姫様と別れた後の話を頼む」
「分かった」
軽く咳払いをしてからレナルドが話し出した。
「殿下と別れた私とオレリアは、蹄の音のする方向へと馬を走らせました」
セレスティーヌの服を着たオレリアを乗せて、レナルドは真っ白な靄の中に飛び込んでいった。そして二人は、ユベールの親衛隊の真正面に出る。
驚く一団の真横を、一直線にレナルドは駆け抜けた。
慌てて二人を追い掛け始めた一団を引き連れてレナルドは走り続ける。しかし、人を二人乗せた馬がそう長くもつはずもない。古い社の前で二人は追い付かれた。
少しでも時間を稼ぐため、顔を見られないようオレリアが社の中でうずくまった。
社を背にして、レナルドが剣を抜いた。
親衛隊の数はおよそ二十。絶望的な戦力差だが、レナルドはそれを一人で迎え撃った。
激戦の末、追っ手は一人残らず倒された。だが、引き換えにレナルドも重傷を負ってしまう。
馬に乗ることすらできないレナルドは、オレリアの肩を借りて必死に歩いた。その足が動かなくなり、オレリアの気力も尽き掛けようとした時、二人は恩人に出会う。
「あの人に出会えたことは、本当に幸運でした」
林の中で、二人は薬草を採りに来ていた医者に出会ったのだった。
医者が営む診療所で治療を受けたレナルドは、傷が癒えるまでの間オレリアとそこに滞在することになった。
二人の事情を知っても、医者は告発することをしなかった。むしろ、積極的に情報を集めてきては二人にそれを話してくれた。
医者がもたらす情報は、二人にとって悪いことばかりだった。
セレスティーヌが死んだこと。
第二王子がこの地を直轄地にすることを宣言し、代官を置いて王都に戻ったこと。
その代官が横暴の限りを尽くしていること。
「殿下が亡くなったと聞いた時、私は後を追って死ぬことを考えました。ですが、それをオレリアに止められたのです」
「そうなのですか?」
「はい。”殿下のご遺志を継がないでどうするのか!”と、それはもう凄い剣幕で叱られまして」
恥ずかしそうなレナルドの横で、オレリアも恥ずかしそうにうつむいた。
「やがて傷も癒えたので、真実を伝えるため王都に戻ろうとしていた時、セドリックが尋ねてきたのです」
「セドリックが?」
驚くセレスティーヌに頷いて、レナルドがセドリックを見る。
「ここから先は、セドリックの話をお聞き下さい」
「分かりました。では」
セドリックが、背筋を伸ばして話し出した。
「殿下に神のご加護のあらんことを!」
そう叫んで馬に鞭を入れたセドリックは、後ろを確認しながら馬車を走らせた。まだ馬影は見えないが、追い付かれるのは時間の問題だ。
何か策はないかと周囲を見渡したその目が、細い運河にある船着き場を見付けた。
迷っている時間はなかった。船着き場に馬車を止めると、荷台の荷物を小舟に放り込み、上からむしろを掛けて人が隠れているように見せ掛け、小舟の縄を解いてそれを蹴って押し出す。
小舟が流れに乗ったのを見届けたセドリックは、船と反対方向に走って草むらに身を隠した。
やがて。
「馬車があったぞ!」
「くそっ、船で逃げやがった!」
「追え!」
一団が小舟を追い掛け始めたことを確認して、セドリックはその場を離れた。
物陰から物陰へと移動を続け、どうにか追っ手から逃れたセドリックは、夜になるのを待って街道に出た。
目指すはエリスの村。セレスティーヌが無事ならそこで落ち合えるはずだ。
エリスに着いたのは翌日の昼過ぎだった。だが、残念ながらそこの教会にセレスティーヌはいなかった。かわりにセドリックは、神父から予想外の伝言を受け取った。
「それを聞いた僕は、しばらくそこに滞在することにしたのです」
伝言の主は、アルフォンスだった。
それまで黙って聞いていたセレスティーヌが、隣のアルフォンスを見る。
「だからエリスに立ち寄ったのですね」
「セドリックが生きていれば、そこに来ると思ったからな」
途端、セレスティーヌが不機嫌になった。
「だったら、それをわたくしに話してくれてもよかったのではなくて? 食料を調達するなどと嘘をつく必要がどこにあったのですか」
あの日、セレスティーヌたちがエリスに着いたのは午前中の早い時刻だった。開いたばかりの市場で食料を買い込み、すぐに町を離れている。その時、たしかにアルフォンスは教会に寄っていたのだ。
まなじりを上げるセレスティーヌに、アルフォンスが平然と答えた。
「あそこで、”セドリックは生きているかもしれない”なんて言ったら、お前はセドリックを待つと駄々をこねただろう?」
「それは」
「優先すべきはお前の安全だった。生死不明のセドリックを待って、時間を無駄にするのは愚の骨頂だ」
「ですが」
セレスティーヌが反論しかけるが、その後は続かなかった。
アルフォンスの判断はおそらく正しかった。セドリックの生存に希望を抱いてしまったら、エリスの町を離れることも、王国を出ることも躊躇したに違いないからだ。
大きく息を吐き出して感情を鎮めると、セレスティーヌはセドリックを見た。
「それで、伝言とは何だったのですか?」
「はい。”この教会に、俺を探してある男がやって来る。その男の指示に従え”です」
セレスティーヌがまた隣を見た。
「ある男とは誰ですか?」
「いつか説明するよ。今はセドリックの話を聞いておけ」
素っ気ない答えに、仕方なくセレスティーヌは前を向く。
セドリックが話を続けた。
「エリスの町に着いて三日後くらいだったと思いますが、伝言通り、男の人が教会にやって来ました。その人は、”あるお方の指示でやってきた”と言っていました」
話がこんがらがってきた。
謎は増えるばかりだが、セレスティーヌは口を挟まず続きを待つ。
「その人は、神父様から一通の手紙を受け取りました。それを読むと、僕に一緒に来いと言って教会を出ました。その日から、僕はその人と行動を共にすることになったのです」
アルフォンスといいその男といい、一体何だというのだ。
疑問と不満が募っていくが、セレスティーヌはそれを堪える。
「自分のことは詮索するなと言われたので、僕は最後までその人の名前を知らないままでした。ですが、その人はとても親切にしてくれました。その上いろいろなことを教えてくれたので、僕にとっては幸運な出会いだったと思います」
セドリックが嬉しそうに笑った。
その男は、諜報活動のプロだった。
いくつもの職業や出身地を使い分けて、次々情報を仕入れていく。それらの真偽を確かめるために、さらに情報を集める。
エリスの町を拠点に、男とセドリックは王国南部の状況を調べていった。その過程でレナルドとオレリアの居場所も掴んだのだが、会いに行くことは後回しにした。
そして二人は、いくつかの結論を導き出す。
今回の反乱は、西と同様仕組まれたものであること。
この地の領主だったビゼー伯爵は、中央からの無謀な指示に抗っていたこと。
暴徒に殺されたとされるビゼー伯爵は、生きている可能性があること。
そこまで調査を終えた時、男が言った。
「俺は一度この地を離れる。お前は、レナルドたちと合流して、クラルモ共和国の北にあるコントロの町に行け」
そう言うと、男はセドリックに路銀を渡して去って行った。
男に言われた通り、セドリックはレナルドたちと合流してこの町にやってきた。
「僕の話はこれで終わりですが、最後に一つ、残念なお知らせがあります」
セドリックが、レナルドとオレリアを見る。
二人が頷いたのを見て、セドリックが言った。
「ちょうどレナルドさんたちと合流した時に、中央からお触れがありました」
「お触れ?」
「第一王子、オクタヴィアン殿下がご逝去された。すべての国民は、三十日の間、喪に服すように」
大きな衝撃を受けて、セレスティーヌが目を見開いた。
第一王子オクタヴィアンは、第二王子のユベールと違って温厚な人物だった。ただ、温厚すぎて覇気が足りないところがあり、高官たちの評判はあまり良くなかった。
それでも、ユベールが王になるよりはずっとマシだった。宰相のカリエール卿が補佐すれば、国家の運営には問題なかったはずなのだ。
レナルドたちとの再会の喜びは、まさに束の間の出来事だった。
青ざめたまま虚空を見つめるセレスティーヌに、アルフォンスが聞いた。
「さて姫様、どうする?」
セレスティーヌは答えられない。頭が真っ白になって、思考を巡らすことすらできなかった。
そこに厳しい言葉が飛んでくる。
「お前は王国の王女だ。呆けている場合じゃないんだぞ」
この一言で、セレスティーヌは表情を引き締めた。
しかし、だからと言って、すぐに方針が浮かんでくるはずもない。
「やはり、わたくしが王都に戻って父に話を」
「だから、それは無理だと言っただろう?」
苦し紛れの言葉をアルフォンスが一蹴する。
「ですが、今ならわたくし以外にも証人がいます」
「全部お前の身内だがな」
冷静に指摘されて、セレスティーヌは黙ってしまった。
視線を落とすセレスティーヌに、アルフォンスが言う。
「状況は、お前が襲われた時から変わっていない。その上、第一王子が死んだことで悪化すらしている。王に会ったところで、すべてを無かったことにされる可能性は消えていないんだ」
その通りだ。
完全にうつむいてしまったセレスティーヌに、アルフォンスが容赦ない言葉を浴びせる。
「上に立つ者は、どれだけ未来を予測できるかが勝負だ。こうなったらこうするっていうシナリオをいくつも考えておいて、実際に事が起きた時に即断できるよう備えておく必要がある」
何を偉そうに!
心の中では思ったが、口に出すことはできなかった。
実際、セレスティーヌは具体的な打開策など考えていないのだから。
セレスティーヌが拳を握る。
それを見ていたアルフォンスが、セドリックに視線を向けた。
「王子の死因は分かっているのか?」
「分かりません」
「そうか」
今度はセレスティーヌに聞く。
「第一王子は病弱だったのか?」
顔を上げてセレスティーヌが答える。
「いいえ。持病もなく、大きな病気もしたことがないと思います」
「そうか」
アルフォンスが難しい顔をした。
それを見て、レナルドが小さく呟く。
「まさか、ユベール殿下が」
その先はなかったが、レナルドが何を言いたいのか全員が分かった。
重い沈黙が訪れる。
どうしようもない無力感に襲われて、誰も何も言わなかった。
その沈黙を、低く腹の据わった声が破った。
「もう選択肢はないな」
声の主は、アルフォンス。
全員の注目を受けながら、アルフォンスが言った。
「姫様。お前、兵を挙げろ」
「……はい?」
ポカンと口を開くセレスティーヌに向かって、アルフォンスがもう一度言った。
「兵を挙げるんだ。王国を救うために、お前が戦うんだよ」
「……はい!?」
静かなホテルの部屋に、セレスティーヌの大きな声が響き渡った。
第六章 了




