6-4
民として生きるセレスティーヌの一日は、王宮にいた頃の何倍も忙しかった。
昼前に出勤して、夜まで食堂で労働。
帰宅後は、お風呂に入って食事をすると、ベッドに倒れ込んで即就寝。
朝起きて少し遅めの朝食を取り、身支度を調えるともう家を出る時間。
そしてまた労働。
休みは週に一日あるが、疲れ切っているので何もする気が起きない。
「民の生活がこれほど大変だとは思いもしませんでした」
「そうですわね」
ため息をつくセレスティーヌをリーアが笑った。
民として暮らしているものの、セレスティーヌは自分がベルクール王国の王女であることを忘れたことはない。
王国は今どうなっているだろうか。
レナルドやオレリア、セドリックは無事なのだろうか。
気になることはたくさんあった。しかし、生活に追われているせいで、それらをゆっくり考えている時間がない。セレスティーヌは、時々このまま自分が民の中に埋もれていってしまうのではないかと恐れを抱くことがあった。
そんなある日。
「ベルクール王国の王子が死んだらしいぞ」
客の一言に、セレスティーヌが動きを止めた。
「少し前に王女も死んでなかったか?」
「第二王女だろ? わりと最近だったよな」
テーブルを拭く振りをしながら、セレスティーヌが会話に集中する。
「病気かなんかか?」
「さあな。でも、立て続けに二人だからな。貴族様お得意の、権力争いってやつなんじゃないか?」
「ほんと、貴族ってのはどうしようもないな」
セレスティーヌの額に青筋が浮かぶ。
それを深呼吸で鎮めたセレスティーヌは、平静を装ってその客のテーブルの横に立った。
「失礼ですが、今のお話、誰に聞いたのですか?」
セレスティーヌを見て、客がしまったという顔をした。
この食堂は、元貴族が働く店として話題になっている。
「えっと、その、すまない」
気まずそうな客に、セレスティーヌが無理矢理笑顔を作る。
「あなたを責めている訳ではないのです。元貴族として、そういうお話に興味があるというだけです」
「な、なるほどね」
セレスティーヌの顔は笑っているが、目が笑っていない。
鋭い視線から顔をそらして客が答えた。
「行商人から聞いたんだ。小麦の買い付けで王国に行った時、商会の連中が言ってたらしい」
すかさずセレスティーヌが確認する。
「あの国には王子が三人いたはずです。亡くなったのはどの王子でしょうか?」
「そこまでは分からないな」
「亡くなったのはいつ頃ですか?」
「俺が聞いたのは、王子が一人死んだってことだけだ。それ以上は知らないよ」
隣国の出来事など、民にとっては話のネタの一つに過ぎない。
これ以上詳しい話を聞くことはできそうもなかった。
「そうですか。ありがとうございました」
客に頭を下げてセレスティーヌはテーブルを離れた。
片付けものを再開しながら、セレスティーヌは考える。
第二王女、すなわちセレスティーヌが死んだと思われているのは、差し当たっていいことだ。
しかし、王子の死は、それが誰かが問題だ。
第一王子だった場合、次代の王は第二王子のユベールとなる。それが王国にとって良い事のはずがない。セレスティーヌにとっても最悪の事態だ。
第三王子のモーリスだった場合、今後セレスティーヌが取り得る選択肢が大きく制限されてしまう。軍も家臣も持たないセレスティーヌにとって、モーリスの存在はこの上なく大きいのだ。
王子の死が事実であるならば、それは第二王子であってほしい
そんな事を考えながらセレスティーヌはその日の仕事を終えた。
家に帰ると、上着を脱ぐ間もなく昼間の話をアルフォンスに伝える。
「ああ、それなら俺も聞いた」
「そうなのですか!?」
セレスティーヌが驚いた。
「亡くなったのはモーリスですか? それとも」
「まあ落ち着け」
セレスティーヌを無理矢理椅子に座らせると、自身も向かいに座る。
「俺が聞いた話も曖昧だった。そもそも、噂ってのは誇張されて伝わるものだ。王子の誰かが病気になっただけなのに、死んだことになっている可能性だってあるんだからな」
「それはそうかもしれませんが」
セレスティーヌが不満そうにアルフォンスを見た。
王国の情勢を見極めると決めたものの、隣国の情報などそうそう入ってくるものではない。たまに噂を聞いても、今日と同じく真偽不明なものばかり。
「やはり、王国に戻って情報を集めた方がよいのではありませんか?」
危機感をあらわにするセレスティーヌに、アルフォンスが言う。
「それは止めた方がいい。お前は目立ちすぎるからな。王国になんて戻ったら、あっという間に身元がバレて、すぐまた逃亡生活に逆戻りだ」
「そんなことはありません!」
セレスティーヌが目を吊り上げた。
顔を真っ赤にするセレスティーヌの前で、アルフォンスが真顔になる。
「焦る気持ちは分かるが、今は動く時じゃない。俺を信じて待っていろ」
言われて、セレスティーヌは反論をぐっと飲み込んだ。
反発ばかりしているが、結局の所、セレスティーヌはアルフォンスを信用しているのだ。
「分かりました」
渋々ながらもセレスティーヌが頷く。
「夕飯の準備はしておくから、早く風呂に入ってこい」
力なく頷いて、セレスティーヌは自分の部屋に着替えを取りに行った。
それから数日後。
「お前、明日は休みだよな」
「そうですが」
突然アルフォンスに言われてセレスティーヌが驚く。
「じゃあ出掛けるぞ」
「どこへ行くのですか?」
首を傾げるセレスティーヌに向かって、アルフォンスが平然と言った。
「デートだ」
「デート!?」
あまりに意表を突かれて、セレスティーヌの声がひっくり返った。
セレスティーヌも年頃の娘だ。恋愛に憧れたこともあれば、男性と歩く場面を想像したこともある。
だが、実際に男性とデートをしたことは、これまで一度もなかった。
わたくしが、アルフォンスとデート?
セレスティーヌは、アルフォンスを恋愛対象として見たことがなかった。だからこそ一つ屋根の下で暮らしていけるのだが、客観的にみると、それは結構大胆な行動と言えた。
二人で家事を分担し、同じテーブルで食事をし、壁一枚隔てた部屋のベッドで眠る。
夫婦とは言わないまでも、かなり親密な関係と呼べるのではないだろうか。
一人の男と、これほど近い距離でこれほど長く一緒にいるのに、それが嫌だとは思わない。
わたくしは、アルフォンスのことをどう思っているの?
突如湧き上がった疑問にセレスティーヌは動揺する。
「あ、あなたは、わたくしの兄なのですよ?」
「何言ってんだ?」
呆れるアルフォンスの前で、セレスティーヌの頬が真っ赤に染まる。
「とにかく明日だ。朝食が済んだら出掛けるから、そのつもりでいろ」
平気な顔でそう言って、アルフォンスは自分の部屋に入っていった。
パタンと閉まった扉を見ながらセレスティーヌが呟く。
「デート? わたくしが、アルフォンスと?」
疲れているはずなのに、なぜか外に出て歩き回りたくなった。
その衝動を無理矢理抑えて、セレスティーヌも部屋へと向かう。
ベッドに潜って目を閉じたものの、心はそわそわと落ち着かないままだ。
その夜、セレスティーヌはあまり眠ることができなかった。
翌日。
ついて来いと言われたセレスティーヌは、黙ってアルフォンスの隣を歩いていた。
頭には、少し大きめのストローハット。家を出る時に渡されたそれを、顔を隠すように深く被っている。
隣のアルフォンスも、同じように帽子を深く被っていた。ふいに”お忍びデート”という言葉が浮かんできたが、それを頭を振って追い払う。
帽子を被っていることを除けば、アルフォンスの様子はいつもと変わらない。おそらく、本人はデートをしているつもりなどないのだろう。
昨夜のあの言葉は冗談だったのだ。
そう考えられる程度にはセレスティーヌも冷静さを取り戻していた。
それでも、セレスティーヌは意識してしまっている。
服は一番汚れていないものを選んできたし、髪もいつもより念入りにとかしてきた。
「まったく、腹立たしいことこの上ないですわ」
小さく文句を言いながら、セレスティーヌはアルフォンスについて歩いていった。
歩くことおよそ二十分。
辿り着いたのは、町の北にある小さな宿だった。その前に立った瞬間、セレスティーヌはまたも妙なことを考えてしまう。
まさか、ここで?
怯むセレスティーヌにかまうことなく、アルフォンスは中へと入っていく。
勇気を振り絞ってセレスティーヌもそれに続いた。
フロントの男性と短いやり取りをしたアルフォンスが、奥へ続く暗い廊下を指さす。
「こっちだ」
セレスティーヌの鼓動が早鐘を打ち出した。
アルフォンスを追いながら、落ち着けと自分に言い聞かせる。
廊下を進み、奥にあった階段を上って二階へ。
そこから折り返して、別の階段をさらに上へ。
いくつか扉を通り過ぎたところで、アルフォンスが止まった。
「もう帽子を取ってもいいぞ」
言われても、セレスティーヌはすぐに反応できない。
それを不思議そうに見ながらアルフォンスが言った。
「俺たちは潜伏中の身だ。目立つ行動は控えなければならない。それは分かっているな?」
「わ、分かっています」
いきなり言われてセレスティーヌが戸惑う。
「いいか、何があっても大きな声を上げるなよ」
「何をする気なのですか!?」
「だから大きな声を出すな」
動揺しまくりのセレスティーヌをアルフォンスが叱った。
慌てて口を押さえるセレスティーヌにもう一度念を押して、アルフォンスが目の前の扉をノックする。
「俺だ、入るぞ」
「どうぞ」
男の声が返ってきた。
やはり自分の勘違いだったらしい。急に恥ずかしくなって、セレスティーヌは一人で身悶えた。
そんなセレスティーヌに構うことなく、アルフォンスが扉を開ける。
中には三人の人影が見えた。父親と母親と男の子、のように見える。
部屋の中だというのに、三人とも深く帽子を被っていた。
その帽子を、三人が一斉に取った。
瞬間、セレスティーヌの息が止まる。
「ご無沙汰して申し訳ありませんでした」
父親の声を聞いて、セレスティーヌが強く両手を握った。
「少しお痩せになったでしょうか」
母親の声を聞いて、セレスティーヌが奥歯を噛みしめる。
アルフォンスに言われた通り、声を出すのは我慢した。
だが、感情を抑えることはやはり出来なかった。
「お元気そうで、何よりです」
男の子の声で、瞳から涙が溢れ出した。
帽子を取ったセレスティーヌが、それを胸の前で抱き締めて前へ進む。
後ろでアルフォンスが扉を閉めた。
それを待っていたように、セレスティーヌの口から想いが溢れた。
「あぁ、神様!」
滲む視界の中で、レナルドとオレリアとセドリックが嬉しそうに笑っていた。




