6-3
時々リーアを困らせながらも、とくに問題を起こすこともなくセレスティーヌは働いていた。自身も食堂の仕事が気に入ったようで、疲れたとか面倒だなどと言いながらも毎日ニコニコと出掛けていく。
一方、アルフォンスは製材所で働き始めていた。赤い瞳を見た所長が一瞬難しい顔をしたようだが、人手不足には勝てなかったらしく、その場で採用となった。仕事仲間ともすぐ打ち解けたというから、やはり悪魔の伝承の影響はベルクール王国より小さいのだろう。
二人の仕事が決まったことで、経済的な心配はなくなった。ただし、日々の生活に問題がなくなったかといえば、そうでもない。
「あの、アルフォンス」
「今度は何だ」
「お湯を沸かしたいのですが、薪に火が点かないのです」
「またか。理解力も記憶力も抜群のお前が、どうしてそんなことで苦労するんだ?」
呆れるアルフォンスに、セレスティーヌが真顔で答える。
「火打金に石を打ち付けると、火花が飛ぶでしょう?」
「まあ、そうだな」
「その火花で火傷をしたら大変ではありませんか」
「……」
「王女であるわたくしの手に、火傷の跡が残ることなどあってはならないのです」
当然のことだと言わんばかりのセレスティーヌの前で、アルフォンスが頭を抱えた。
アルフォンスも言ったように、セレスティーヌは物覚えが早かった。一度説明すれば、大抵のことはすぐ理解してしまう。
しかし、覚えた通りに実行できるかと言うと、それはまた違う問題なのだ。
井戸から水を汲んで水瓶に貯めるのに、人の三倍掛かる。
理由は簡単。桶に三分の一しか水をいれないからだ。
「だって重いではありませんか」
野菜を切るのに人の三倍掛かる。
理由は簡単。野菜を手で押さえずに切ろうとするからだ。
「だって危ないではありませんか」
堂々と手抜きをするセレスティーヌにアルフォンスが言う。
「そんなんじゃあ嫁に行けないぞ」
それに堂々とセレスティーヌが言い返す。
「わたくしの嫁ぎ先は、他国の王家か高位の貴族と決まっているのです。必要なのは教養と健康と美しい体であって、家事をする能力ではありません」
セレスティーヌがこんな調子なので、風呂の準備も料理も掃除も、結局アルフォンスがやっている。それでも大きな喧嘩にならないのは、微力とは言えセレスティーヌが手伝う姿勢を見せているからだろう。
いろいろあるものの、何だかんだと二人はうまくやっていた。
そんなある日のこと。
セレスティーヌは、リーアと一緒に午後の町を歩いていた。
忙しい昼の時間帯が終わると、店員たちは掃除や仕込みの手伝いをすることになる。セレスティーヌは、リーアと二人で買い物を頼まれることが多かった。
リーアの出身地は東の高地。馬の産地として有名な地の伯爵令嬢として生まれたらしい。
父である伯爵は善政を敷いていたようだが、王都に滞在中に革命が起きて、暴徒に殺された。その後、革命に便乗した過激派が領地の屋敷を襲撃、一家は離散したそうだ。
「ご家族の行方は分からないのですか?」
「分かりません。探す手段もありませんし」
寂しそうな笑みを見て、セレスティーヌは心を痛める。
「ですが、私は幸運でした。女将さんと出会って、住居も仕事も得ることが出来たのですから」
この町に流れ着いて、リーアが最初に扉を叩いたのが今の食堂だった。
情に厚い女将が、困り果てていたリーアの面倒を買って出たのだ。
「食堂の仕事は大変ですが、良いこともあります。旅人から町の外の話が聞けますので、いずれは家族の消息が分かるかもしれません」
これにはセレスティーヌも頷いた。
食堂では、様々な人が様々な話をしていく。国外や海の向こうの話も聞くことができて、時々仕事の手が止まってしまうほどだ。
とくに、夜の食堂で繰り広げられる光景は、セレスティーヌが持っていた民に対する認識を塗り替えた。
そこには、人々の本音や感情が溢れていたのだ。
昼に友人と楽しそうに話していた男が、夜にはその友人の悪口を言っていた。
女にフラれた男が、仲間に励まされながらやけ酒を飲んでいた。
仲睦まじい老夫婦が、食事を分け合って食べていた。
若い職人が、自分の店を出す計画を真剣に仲間に語っていた。
子供の成長を喜ぶ者、子供の反抗期を嘆く者。
騙されたと叫ぶ者、騙してやったとほくそ笑む者。
失意に沈む者、再起を決意する者。
喧嘩をする者、仲直りする者。
喜びや悲しみ。
愚痴や恨み。
夢と失望。
涙と笑顔。
民の幸せとは、家があって仕事があって、食事の心配をせずに暮らしていけること。これまでセレスティーヌはそう思っていた。
しかし、今はまったく違う視点で考えるようになっている。
そもそも民とは誰を指すのか。
そもそも幸せとは何なのか。
この世界は、一律に定義できない、恐ろしく複雑な事情が絡み合ってできている。
そんな世界を一体どうやって統治していけばよいのだろう。
仕事の合間や休日の昼下がりに、セレスティーヌはそんなことを考えるようになっていた。
「ところで、アンナ様。あれからお肌の調子はいかがですか?」
隣を歩くリーアがふいに聞いてきた。
考え事をしていたセレスティーヌは、一瞬ポカンとした後、眉をひそめてリーアを睨む。
「アンナ様はやめてくださいと、再三申し上げたではありませんか」
「あ、申し訳ありません」
リーアが慌てた。
「意識していないと、つい」
貴族出身のリーアにとって、セレスティーヌは自然と頭を垂れてしまう存在だった。
何を言われてもブレない意思と、どんな場面でも毅然と立つその姿。
セレスティーヌが自身の出自を語ることはなかったが、どう考えても高位の貴族、あるいは王族に繋がる血筋の持ち主だ。
「では、アンナ」
リーアが言い直す。
「先日、洗濯で手が荒れてしまうと言っていましたが、その後どうですか?」
今度は笑顔を浮かべてセレスティーヌが答えた。
「教えて頂いたクリームのおかげで、今ではこの通り」
セレスティーヌが嬉しそうにリーアに両手を向ける。
家事のほとんどをアルフォンスに頼ってはいるが、洗濯だけはセレスティーヌも自分でしていた。食堂でも掃除や皿洗いをするので、水仕事による肌荒れに悩んでいたのだ。
「それは良かったです。ほかにも何かあったら聞いて下さいね」
「リーアには感謝しかありませんわ」
セレスティーヌにとって、リーアは生まれて初めての友人と呼べる存在だ。
「リーアも、困ったことがあったら遠慮なく相談してください」
「ありがとうございます」
互いに笑みを交わして二人は前を向く。
リーアにとっても、セレスティーヌは大切な友人となっていた。
そんな二人が市場の中を歩いていると、露店の前で、店主と客が揉めている場面に出くわした。
「これは代々受け継がれてきたティーセットなんだ。間違いなく貴重な品だ。そんな値段では」
「だから言ってるだろう? アルムセインの作品に、動物を描いたものなんてないんだよ。銘が似ているだけで、偽物だ」
「違う、よく見てくれ! これは本物のアルムセインなんだ」
売主が必死に食い下がるが、店主はまるで相手にしない。
売主は初老の男性だった。顎に長い白鬚を蓄えた品のいい顔立ちをしている。着ている服は庶民のそれだが、それがどうにも似合っていない。この男性も元貴族なのだろうか。
カップを掲げる左手の甲には、一目で分かる大きな傷跡があった。余程大きなケガだったのだろう。左手の動きが少しぎこちない。
何気なく立ち止まったセレスティーヌの隣で、リーアが小さく呟く。
「アルムセインと言えば、ベルクール王国の著名な陶芸家ですわね」
軽く頷いて、セレスティーヌは売主が持つカップをじっと見つめた。
アルムセインは、ベルクール王国の建国前後に活躍した陶芸家だ。非常に繊細な絵柄で知られていて、草花をモチーフにした作品を得意としていた。
戦乱期に多くの作品が失われたこともあって、残っている作品には法外な値段がつくことも多い。そのうちの一つは王国の迎賓館にも飾られていて、セレスティーヌも何度か目にしていた。
粘る男性に向かって、店主が馬鹿にしたように言う。
「大体、ティーセットは六客で一セットが常識だ。四客でフルセットだって言うこと自体に無理があるんだよ」
虫を追い払うように店主が手をヒラヒラさせた。
その時。
「戦乱で家も工房も焼かれ、身一つで逃れた先で、アルムセインはその地を治める領主に保護されました」
突然澄んだ声が割り込んでくる。
店主と男性が驚いて顔を向けた。
「すべてを失って嘆き悲しむアルムセインを憐れに思った領主は、アルムセインが使っていたものと同じ窯を作ってそれを与えたそうです」
目を見張る二人の前で、セレスティーヌの語りは続く。
「歓喜したアルムセインは、領主の願いに応えてティーセットを作りました。その数、四客。領主と妻、息子と娘。領主の家族のためのカップとソーサー、そしてティーポットです」
じっと話を聞いていた店主が、突然慌てだした。
後ろを向いて、そこにあった行李のフタを開ける。
「アルムセインは草花を描くことを信条としていましたが、領主の願いは、カップに犬を描くことでした。領主の妻が、飼っていた犬をとても愛していたからです」
店主が行李の中から一冊の書を取り出した。
古ぼけたその書を、破かないよう慎重にめくっていく。
「領主のカップには眠る犬を、妻のカップには行儀良く座る犬を、息子には走り回る犬で、娘のものには嬉しそうに尻尾を振る犬。ソーサーとティーポットには、アルムセインが得意とする草花を描きました。そこに描いたのは、カスミソウ」
書をめくっていた店主の手がピタリと止まる。
その口から漏れた言葉と、セレスティーヌの言葉がきれいに重なった。
「花言葉は、感謝」
店主が顔を上げた。
セレスティーヌが微笑んだ。
「アルムセインは、ティーセットを完成させた直後に病気で亡くなりました。つまり、そのティーセットがアルムセインの遺作ということになります」
店主に向かってセレスティーヌが言った。
「これは、あなたのような一介の商人ではとても買い取ることのできない、それこそ王宮に飾られてもおかしくないほど貴重な品です。ここは諦めて」
「待ってくれ!」
店主が大声を上げた。
「すまないが、もう一度それを見せてくれ」
男性から慎重にカップを受け取ると、真剣な顔で、書に描かれた絵とそれを見比べた。
続けてほかのカップとソーサー、ティーポットを確認し終えた店主が、強張った顔で男性に言った。
「わしが間違っていた。これは、正しく本物のアルムセインだ」
ホッとする男性に、今度は店主が切羽詰まったように交渉を始める。
「是非わしに買い取らせてくれ。だが、このお嬢さんの言う通り、今は払えるだけの手持ちがない。だから、前金としてこれだけ渡しておく」
店主が腰の革袋を外して中身を見せた。
セレスティーヌからは見えなかったが、男性が目を丸くしたので、結構な金額が入っていたのだろう。
「かわりに、カップとソーサーを一組だけわしに預けてほしい。買い手と話が付き次第、残りのセットと残金を交換ということではどうだろうか」
急展開に男性が困惑する。
そこに、またもセレスティーヌが割って入った。
「買い手の目星はついているのですか?」
店主が力強く頷く。
「アルムセインに目がない客を知っている。あの人なら、間違いなく言い値で買い取ってくれるだろう」
店主をじっと見つめていたセレスティーヌが、男性に顔を向けた。
「この者は信用できると思います。あとはあなた次第ですわ」
男性が、少し考えてから言った。
「お願いしたいと思います」
セレスティーヌの前で、店主と男性が握手を交わした。
その後、男性の滞在先を聞いた店主は、急いで店じまいをすると、凄い勢いでどこかへと走っていった。
それを見送った男性が、セレスティーヌに礼を言う。
「本当に助かりました。ありがとうございました」
セレスティーヌがにこりと笑った。
「アルムセインの最期の地は不明とされていましたが、それは国境を越えたこの地だったのですね」
そう言うと、セレスティーヌが頭を下げた。
「あなたと、あなたの一族に感謝を申し上げます」
男性が目を見開いた。
その目が、さらに大きく開いていく。
「あなたは」
驚く男性の顔を見て、セレスティーヌは自分が余計なことを言ったことに気が付いた。
「わたくし、美術史に少々興味がありまして」
よく分からない事を言って、セレスティーヌが向きを変える。
「行きましょう、リーア」
「あ、お待ちください、アンナ様」
リーアがまた”様”呼びをしていたが、それを訂正する余裕もなく、逃げるようにセレスティーヌはその場を離れていった。




