6-2
古着屋での失敗を教訓に、セレスティーヌは謙虚な姿勢で面接に臨むことを決めた。
だが、その後は”元貴族”を理由にすべて門前払いで、せっかくの教訓を生かす機会がなかった。
「一旦休憩にしよう」
お昼を少し過ぎた頃アルフォンスが言った。
「そうですわね」
すっかり自信をなくしたセレスティーヌが肩を落とした。
ちょうど目の前に食堂があったので、二人はその扉をくぐる。
通りに面したわりと大きな食堂で、中は客でいっぱいだった。どうやら人気店らしい。
それでも、タイミング良く席が空いたおかげで二人は壁際のテーブル席に座ることができた。
「いらっしゃいませ」
しばらくすると、ウェイトレスがやってきて丁寧に頭を下げる。
「こちらがメニューでございます。お決まりになりましたらお声をお掛けくださいませ」
ざわつく店内では少し聞き取りにくい、か細い声でそう言うと、もう一度頭を下げてウェイトレスは去って行った。
その背中を目で追いながらセレスティーヌが言う。
「あの方も、元貴族なのでしょうか」
ほかのウェイトレスと比べて、所作が格段に美しかった。
立つ姿勢も歩く姿も、お辞儀の仕方もとてもきれいで、話し方にも品がある。テーブルに置かれたメニューは、客に対してきちんと正面を向いていた。
メニューを広げながらアルフォンスが答える。
「向こうも、お前を見てそう思ったんじゃないか? ほかの客より気を遣っていたように見えたからな」
「そうなのですか?」
驚くセレスティーヌに、アルフォンスが呆れ顔を見せた。
「午前中に回った全ての店の主人が、一目見てお前を元貴族だと判断したんだぞ」
「あ……」
「今も何人かがお前をチラチラ見ている。つまりそういうことだ」
急に周りが気になりだして、セレスティーヌは肩を小さくすぼめた。
その時。
「お高く止まってんじゃねぇぞ!」
少し離れたテーブルで、男が大きな声を上げた。
「申し訳ございません」
深く頭を下げているのは、あのウェイトレスだ。
「てめぇらのせいで俺たちがどれだけ苦労してきたと思ってるんだ!」
食堂内が静まり返った。
そのおかげで、ウェイトレスの小さな声がここまで聞こえてくる。
「申し訳ございません。ですが、メニューをすべて読み上げていては、ほかのお客様をお待たせすることに」
「口答えするんじゃねぇ!」
バン!
男がテーブルを激しく叩いた。
「てめぇらだって、俺らに無理なことばっかりさせてきたじゃねぇか。それに比べりゃあ、メニューを読むくらい大した話じゃねぇだろうが!」
どうやら男はウェイトレスに無茶な要求をしているらしい。
よほど貴族が嫌いなのか、あるいはただの弱い者イジメか。いずれにしても、聞いていて気持ちの良いものではなかった。周りの客もほとんどが渋い顔をしている。
騒ぎを聞きつけて、店の奥から店主らしき人物が出てきた。恰幅のよい、いかにも肝の据わっていそうな女主人だ。
これで事態は収まるだろう。
皆がそう思って女主人を目で追っていたのだが。
「ちょっとよろしいかしら」
突然、反対方向から気高くも尖りまくった声が聞こえた。
「あぁ?」
振り向いた男が、間近で自分を見下ろす女を見て怯む。
「あなたは、この女給に何かひどいことをされたのですか?」
「じょ、じょきゅう?」
聞き慣れない言葉に男が目を丸くした
「あなたは、この人からひどい仕打ちを受けたのかと聞いているのです」
厳しい視線を向けたまま女が問い直した。
その視線を避けるように、男が顔をそらす。
「そ、そうじゃねぇが」
「では、なぜあなたは、この人にひどい仕打ちをしているのですか?」
途端、顔を真っ赤にして男が怒鳴った。
「こいつが元貴族だからに決まってんだろうが!」
唾を飛ばしながら男が言う。
「こいつらは何世代にも渡って甘い汁を吸ってきたんだぞ。俺も仲間も、馬鹿みたいな税金を払わされたり、無償で土木工事をさせられたりしたんだ。こんな奴ら、革命の時に全員殺しちまえばよかったんだよ!」
蓄積された怒りが爆発した。
この怒りが革命を引き起こし、民主主義という新しい体制を作り出したのだ。
強烈な反撃を食らった女は、しかし、それをものともせずに言った。
「あなたは、貴族であれば、女も子供も、あるいは善政を敷いていた者でさえも、全てが悪だと言うのですか?」
「それは」
冷静な指摘に男が勢いを失う。
それを見て、女も声のトーンを落とした。
「たとえば、一人の医者が、嘘の診断で法外な診療費を取っていて、あなたもその被害にあっていたとします」
「何を急に」
「その医者が、捕まって死刑になりました。それを見たあなたは、ほかの医者も殺すべきだと主張するのでしょうか」
「そんなことは」
「その医者の奥方も、子息子女も、親戚一同すべてが悪だと言って回り、一族を見付けては怒鳴りつけたり嫌がらせをしたりするのでしょうか」
男が口を閉ざした。
黙り込んだ男を女が見つめた。
緊迫した空気の中、女が静かに言った。
「あなたがどれほどつらい目に遭ってきたのか、わたくしは存じ上げません。それなのに、あなたを責めるようなことを言ってしまいました。それについてはお詫びいたします」
「いや」
突然の謝罪に男が戸惑う。
「ですが、あなたの先ほどの行いは、民主主義国家樹立という偉業を成し遂げた国民として、ふさわしくないと思ったのです」
男が大きく目を開いた。
「多くの貴族が民を虐げてきたのは事実なのでしょう。だからと言って、民が元貴族を虐げたのでは、弱者を苦しめるという点において同類ということになるのではありませんか」
「同類だと? この俺が? そんなこと」
反論しようとした男は、しかし途中で言葉を止めた。
そして、女から目をそらす。
「革命から一年が経った今、国民が成すべきことは、元貴族をいじめることではないはずです。民による、民のための国家を作ること。そこにあなたも尽力するべきだと思いますが、いかがでしょうか」
返事はなかった。
しかし、男の顔に怒りはない。
「出過ぎたことを申しました。お詫びいたします」
頭を下げると、くるりと向きを変えて女は自分のテーブルへと戻っていった。
食堂内にざわめきが戻った。
男がおとなしくメニューを開いた。
あのウェイトレスが、女に向かって深く頭を下げた。
事態を見守っていた女主人が、面白いものを見たというように笑っていた。
席に戻ったセレスティーヌを、アルフォンスが呆れ顔で見る。
「お前、お節介にもほどがあるぞ」
椅子に腰掛けたセレスティーヌが、真顔で言った。
「わたくしは、元貴族だからとか、瞳の色が赤いからとか、それだけで虐げられることが許せないのです」
予想外の答えにアルフォンスが目を丸くする。
その顔が、ふいに笑った。
それは、少し嬉しそうな笑顔だった。
「何ですか、気持ちが悪い」
セレスティーヌに言われて、アルフォンスが慌てて笑顔を引っ込める。
そして、ちょっと取り繕うように言った。
「いや、お前もちゃんと成長してるんだなと思ってな」
「何のことですか?」
怪訝な顔のセレスティーヌに、アルフォンスが答える。
「相手を追い詰めることをしなかった。少し前のお前なら、あの男を徹底的に叩きのめして、無用な恨みを買っていただろう?」
「……」
西の遠征の時の苦い経験を思い出して、セレスティーヌの顔が歪む。
「いいことじゃないか。その調子で今後も」
「ちょいと失礼するよ」
突然真横から声がした。
二人が驚いてその方向を見る。
「私はこの店の女将だ。さっきはこの子を助けてくれてありがとね」
恰幅のよい女が、隣に立つウェイトレスの肩に手を置いて笑っていた。
「リーアと申します。先ほどは本当にありがとうございました」
リーアと名乗ったウェイトレスが、相変わらずのきれいな姿勢で頭を下げた。
咄嗟に返事のできないセレスティーヌに変わって、アルフォンスが答える。
「忙しいのにわざわざすまない。さっきのは、こいつのお節介だから気にしないでくれ」
途端、セレスティーヌが不満一杯の顔で抗議した。
「それは、何もしていないあなたが言うことではないでしょう?」
「お節介は事実だろう? それとも、何か見返りを期待してやったことなのか?」
「そうではありません。わたくしが言いたいのは」
口喧嘩を始めた二人を見て、女将が笑った。
「元貴族のお嬢様と従者かと思ったけど、違うみたいだね」
笑う女将の隣では、リーアが驚きで口を半開きにしている。
「まあ、とにかく礼だけはさせておくれ。食べ物でも飲み物でも、好きなやつを好きなだけ頼んでくれていいから」
「それはありがたい。じゃあ遠慮なく」
アルフォンスがメニューを見始めた。
ところが。
「いえ、結構ですわ」
セレスティーヌが硬い声で辞退した。
アルフォンスがため息をつく。
「お前なぁ、こういうのはありがたく受け取っておくものなんだよ」
呆れ顔のアルフォンスを、だがセレスティーヌは見なかった。
やけに真面目な顔で、体を女将に向ける。
「お礼がしたいとおっしゃるのなら、こちらから一つお願いがあるのです」
ふいにセレスティーヌが立ち上がった。
「何だい?」
驚きながら女将が聞く。
一歩前に進み出て女将の正面に立ったセレスティーヌが、真剣な顔で言った。
「わたくしを、この食堂で雇っていただけないでしょうか」
女将とリーアが目を丸くした。
「わたくしは、一生懸命働きます。あなたやリーアを尊敬し、謙虚な姿勢で仕事に臨むことを誓います」
「おいおい、そういうのは口にするもんじゃあ」
アルフォンスの横やりにもセレスティーヌは反応しない。
「どうか、お願いいたします」
セレスティーヌが深く頭を下げた。
その姿をじっと見ていた女将が、明るく言う。
「いいよ」
「本当ですか!?」
セレスティーヌが勢いよく顔を上げた。
「ただし、うちは忙しいからね、優しく教えてる暇はない。見て覚えてもらうことも多いけど、それでもいいなら頑張りな」
「問題ありません。必ずお役に立ってみせますわ!」
自信満々のセレスティーヌを見て、アルフォンスは苦笑い。
「リーアさん、よろしくお願いいたしますね」
「こ、こちらこそ」
戸惑うリーアの手を握ると、セレスティーヌは満面の笑みを浮かべた。
まさに瓢箪から駒。
世間知らずの我が儘姫は、こうして働き口を見付けたのだった。
次の日からセレスティーヌは食堂で働き始めた。
生まれて初めての労働である。当然すぐにはうまくいかないだろうと思われたのだが、意外なことに、セレスティーヌは三日もすると立派な戦力になっていた。
「キャンティ(ワイン)四つ、トマトパスタ一つ、ミートパイ一つ、生ハムのカルパッチョ一つ、本日のピッツァ二つ、フォカッチャ二つ、コーヒー四つ、以上でよろしいかしら?」
「そうだ。コーヒーは食後がいい」
「かしこまりましたわ」
スカートの裾をつまみ、優雅にお辞儀をしてセレスティーヌが踵を返す。
その背中に客の男が聞いた。
「あんた、伝票に何も書いてなかったけど、ほんとに大丈夫なのか?」
聞かれたセレスティーヌが、くるりと向きを変えて答える。
「伝票を手に持って書くと、美しい文字にならないのです。ですから、注文をシェフに伝える時に、カウンターの上で書くようにしておりますの」
「???」
予想外の答えに客が面食らう。
「では失礼いたします」
もう一度お辞儀をして、セレスティーヌはテーブルを離れていった。
指導に当たっているリーアも、そして女将も、セレスティーヌの物覚えの早さには舌を巻いていた。
メニューはすぐに覚えてしまったし、注文を間違えることもない。読み書きが怪しい同僚もいる中で、セレスティーヌの書く伝票は、まるでお手本のように読みやすくてきれいだった。心配されていた接客も驚くほどそつなくこなしている。
それだけではない。セレスティーヌを雇ったことで、店には思わぬ副次効果がもたらされていた。
「あの元貴族、すげぇ美人じゃねぇか」
「女将のやつ、どこであんなのを見付けてきたんだ?」
一見客も常連たちも、セレスティーヌの美しさに目を奪われた。もともと客は男が多いこともあって、今や町ではちょっとした噂になっている。最近ではセレスティーヌを目当てにやってくる客も増えていた。
「あの子を雇って正解だったね」
客の視線を集めるセレスティーヌを見ながら女将が笑う。
だが、リーアは素直に頷けなかった。教育係として困っていることがあるのだ。
「アンナさん」
「……」
「アンナさん!」
「あ、お呼びになりました?」
すぐ近くで声を掛けても全然反応しないことがある。
さらに。
「アンナさん、もう少し急いでいただけないでしょうか」
「善処いたしますわ」
丁寧に答えるが、セレスティーヌは急がない。
その歩き方は常にゆっくりで、しかも、一度に運ぶ料理は両手に一皿ずつが精一杯。それ以上の料理をセレスティーヌは運ぶことができなかった。
「このお店、どうしてワゴンを使わないのかしら」
庶民の店でワゴンを使うことなどないし、町の調理器具店でもワゴンは売っていない。
不満顔のセレスティーヌを諭すように、リーアが言う。
「ここはお屋敷ではないのです。それに、床も石畳ですし、ワゴンは使えないと思います」
「そこなのです。床が平らでないから、歩きにくくて仕方ありません」
「それはそうですが」
「ここの女将は善良な人物ですが、効率向上には無頓着な気がします。もう少し設備に投資をするべきですわ」
「……」
大人しい性質のリーアは、セレスティーヌの文句をただ黙って聞いているほかなかった。




