表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
45/48

5-8

 首に赤い布を巻いた兵士。

 そこにいたのは、騎兵ではなく、チェインメイルとフルヘルムを装備した重装歩兵だった。

 手に握るのは、大きな戦斧。その分厚い刃を見た瞬間、セレスティーヌの脳裏におぞましい映像が甦ってきた。


 地面に倒れ伏す農民の死体。

 その背中に刻まれた、背骨を断ち切るほど深くて大きな傷。


 フルヘルムの奥の顔を見ることはできない。しかし、そこに残忍な笑みが浮かんでいるように思えて、セレスティーヌは全身を硬直させた。


 殺されるのか、それとも連行されるのか。

 いずれにしても、自分の運命は極まったのだ。


 殺すなら、いっそひと思いに済ませてほしい。

 連行するなら、自分の足で歩くから縄は掛けないでほしい。


 そんなことを考えたセレスティーヌは、しかし、突然自分の膝を拳で強く打った。


 レナルドが、オレリアが、セドリックが、騎士団の皆がつないでくれた命なのだ。

 それを簡単に諦めるなど、絶対にしてはならない!


 セレスティーヌがゆっくり立ち上がった。

 服の埃をサッと払い、背筋を伸ばして顔を上げる。

 そしてスカーフを脱ぎ捨てると、フルヘルムの奥に向かって重々しく言葉を発した。


「王族に対して敬意を示さぬその態度、無礼であろう」


 その声は微塵も震えていない。


「所属を告げ、名を名乗りなさい。そして、即座にその場に膝を突きなさい」


 威厳ある声が命じた。


「わたくしは、ベルクール王国第二王女、セレスティーヌ・ド・ベルクール。そなたに見下ろされる理由など一つもありません」


 セレスティーヌは折れなかった。

 強気な心はここでも健在だった。


 思い掛けない反撃を受けて、無言のまま兵士が立ち尽くす。

 何も言わない兵士の前に、セレスティーヌが悠然と立つ。


 兵士とセレスティーヌの睨み合いが続いた。

 やがて、フルヘルムの奥から声が聞こえてくる。


「それでこそ、セレスティーヌ・ド・ベルクールだ」


 驚くセレスティーヌの前で、兵士がヘルムを脱いだ。


 露わになった顔を見て、セレスティーヌの目が大きく広がる。

 拳を握り締め、それを震わせながら、セレスティーヌが前に出た。

 そしてセレスティーヌは……。


「今まで何をしていたのですか!」


 とんでもなく大きな声を上げた。


「おい、静かに」

「お黙りなさい、この役立たず!」


 握った拳で兵士の胸を叩く。


「あなたのせいで、たくさんの人が死んだのです! あなたのせいで、国が危機に瀕しているのです! あなたのせいで、わたくしの周りの人たちが……」


 そこまで言って、セレスティーヌは兵士の胸に額を押し当てた。

 さすがに滅茶苦茶なことを言っている自覚はあったが、溢れる思いは止まらない。


「あなたがいてくれたら……あなたさえいてくれたら、こんなことには」


 最後の言葉は掠れていた。

 地面にボトボトと涙が落ちる。


 黙って聞いていた兵士が、短くなったセレスティーヌの髪を撫でて言った。


「いろいろあったんだな。すまなかった」


 優しい声に、セレスティーヌの緊張が解けていく。


「いろいろあったのです。本当にいろいろなことが」


 それ以上は続かなかった。

 胸に額を押し付けたまま泣き続けるセレスティーヌを、深紅の瞳が優しく見つめる。

 そっと髪を撫でながら、セレスティーヌが泣き止むのをアルフォンスはいつまでも待っていた。




 落ち着いたセレスティーヌが、涙を拭いてアルフォンスから一歩離れる。だが、その顔は思い切り下を向いていた。

 アルフォンスの顔を見た途端、感情が制御できなくなってしまった。

 何という醜態だろう。恥ずかしくて顔を上げることができない。

 そんなセレスティーヌの頭をポンと叩くと、アルフォンスが笑って言った。


「短い髪も悪くないと、俺は思うぞ」

「な、何を」


 赤い顔がさらに赤くなる。

 それを知ってか知らずか、いつもの声に戻ってアルフォンスが聞いた。


「いろいろあると思うが、とりあえず確認だ。お前は今、第二王子に追われている。それでいいんだな」

「そうです」


 セレスティーヌが小さく答える。


「ここで誰かを待っているのか?」


 そっと深呼吸をしてから、セレスティーヌが顔を上げた。


「いいえ。セドリックからは、夜を待ってエリスの町に向かうよう言われています。そこに行けば、誰かが迎えに来てくれるかもしれないと」

「なるほど」


 アルフォンスが頷いた。

 セレスティーヌは次の質問を待ったが、アルフォンスは何も言わない。虚空を見つめたままじっと何かを考えている。

 その時、林の外から蹄の音がした。折り重なるように響くその様子から、間違いなく十騎以上はいると思われる。

 咄嗟にセレスティーヌは身構えたが、馬群はそのまま去っていった。

 セレスティーヌが胸を撫で下ろす。

 そのセレスティーヌに、アルフォンスがとんでもないことを言った。


「やっぱり、お前にはここで死んでもらうことにしよう」

「はいっ!?」


 セレスティーヌが頓狂な声を上げた。


「死ぬ前に、俺に指輪をよこせ」

「指輪?」

「王家の紋章が刻まれた指輪だよ。今も持ってるんだろ?」


 肌身離さず付けていた王家の指輪。

 王都でアルフォンスに会いに行った時、変装をしているのにその指輪だけはそのままにしていて、アルフォンスに馬鹿にされたことがあった。


「な、なぜ指輪を?」


 混乱を極めるセレスティーヌをアルフォンスが急かす。


「早くしろ、時間がないんだ」


 思わずセレスティーヌが胸を押さえた。


「そこに隠してあるのか?」

「ち、違います!」


 後ずさるセレスティーヌにアルフォンスが迫る。


「これも国のためだ。覚悟を決めろ」

「いやよ」

「いやじゃない。いいから早くよこせ」

「いや……いやぁ!」




 力尽くで指輪を持って行かれたセレスティーヌが、情けない顔をして木の根元で膝を抱えていた。

 アルフォンスは、ここで待っていろと言ってどこかに行ってしまった。


 アルフォンスが去ってしばらくすると、大勢の足音や蹄の音が林の近くを駆け抜けた。その度にビクビクしながら、セレスティーヌはアルフォンスの帰りを待ち続けた。

 やがて日が傾き、林の中が暗くなり始めた頃。


「待たせたな」


 ようやくアルフォンスが戻ってきた。

 その顔を見て不覚にも泣きそうになったが、それをぐっと堪えると、かなり頑張ってセレスティーヌは立ち上がった。


「遅すぎです! 一体何をしていたのですか」


 いきなりの詰問にアルフォンスは苦笑い。

 その姿は、重装歩兵から農民のものへと変わっている。


「説明するから、とりえあず座れ」


 セレスティーヌは、木の根元ではなく倒木に腰掛けた。アルフォンスに見下ろされるのが癪だったからだ。

 かわりにアルフォンスが木の根元に座って説明を始める。


「昼間言った通り、お前には近くの村で死んでもらった」


 アルフォンスによると、この先の集落にあった物置小屋に火を放ち、中にセレスティーヌがいると大声を上げて兵士を呼び集めたという。

 小屋の中には、セレスティーヌと同じくらいの背格好をした女性の死体。その指に王家の指輪をはめると、枝切りばさみを胸に突き刺して両手で握らせ、下に干し草と薪を敷き詰めて火の回りを早くした。


「村の女性を手に掛けたのですか!?」

「そんなわけあるか。この辺りには死体がゴロゴロ転がってるんだ。その中の一つを運んだだけだ」


 それを聞いてセレスティーヌは安心するが、それでも村人を利用したことに変わりはない。

 うつむくセレスティーヌに、アルフォンスが強く言う。


「死者を敬う気持ちは尊いが、それが生者の不幸を招くことになるなら本末転倒だ。お前が成すべきことは何なのか、それを常に頭に置いておけ」


 堅い表情でセレスティーヌが地面を見る。

 その顔が自分に向くのを待って、アルフォンスが説明を続けた。


「計算通り、小屋は完全に燃え落ちた。ちょうどそこに第二王子が到着して、中にあった死体を確かめていた。その顔が笑っていたから、王子はお前が死んだと思ったはずだ」


 おぞましい笑みを思い出して、セレスティーヌは体を震わせる。


「すでに王子も兵士も引き上げて、周囲に追っ手はいない。もう大丈夫だ」


 セレスティーヌが大きく息を吐き出した。緊張が解けて、全身から力が抜けていく。

 その体を元に戻してセレスティーヌが聞いた。


「ところで、どうしてあなたはここが分かったのですか?」


 西のロベール領で別れて以来、アルフォンスとは連絡が取れていなかった。

 不思議がるセレスティーヌに、アルフォンスが思い掛けないことを言う。


「セドリックのおかげだよ」

「セドリックの?」

「王都で俺が使っていた宿屋に手紙を預けてくれてたんだ。そこに、お前が南のビゼー伯爵領に向かうと書いてあった」

「そうなのですか!?」


 セレスティーヌが驚いた。


「で、とりあえずビゼー伯爵の屋敷を目指して来てみたら、そこらじゅうに死体が転がっていた。中に騎士の死体もあった。これはお前に何か起きたんだと思って、一番近い教会を訪ねてみたんだ」

「なぜ教会を?」

「俺がセドリックに教えたからだよ。”町や村が戦場になっても、教会と病院だけは戦火を免れることが多い”ってな。だから、セドリックならそこに手掛かりを残すと思ったのさ」


 セドリックが教会に寄った意味がこれで分かった。


「運良く最初の教会でセドリックの伝言を聞くことができて、お前たちがエリスの町を目指していることを知った。抜け目なく寄付をしておいてくれたおかげで、俺の瞳を見ても神父はちゃんと対応してくれたよ」


 セドリックの用意周到さには舌を巻くばかりだ。


「教会を出た俺は、出会った親衛隊の一人をぶん殴って装備を頂いた後、さりげなく部隊に混ざって情報を集めた。すでにお前が捕まっていたら、エリスに向かう意味はないからな」


 頷いてセレスティーヌが続きを待つ。


「その情報の中に、お前らしき女を乗せた馬車を見付けたが、見失ったという話があった。それを聞いた俺は、追撃部隊と一緒にこの林まで来て、俺とセドリックにしか分からない”印”を見付けたんだ」

「印?」

「大陸の北に住む民族が、森で使う印だよ。折った木の枝を土に斜めに突き刺しておくんだ。これも俺が教えた知識だが、あいつはちゃんと覚えていたんだな」


 もはや言葉が出なかった。

 目を見開くセレスティーヌの前で、アルフォンスが話を締めくくる。


「お前が近くにいることを確信した俺は、部隊を離れて林に入った。そして無事お前と会えたという訳さ」


 話し終えたアルフォンスが笑ったが、セレスティーヌは笑えなかった。

 今セレスティーヌが生きていられるのは、まさにセドリックのおかげだったのだ。そう思った途端、セレスティーヌはいてもたってもいられなくなった。


「セドリックを助けに行かなければ」


 セレスティーヌが立ち上がる。


「あの子は、わたくしを逃がすために囮になってくれたのです」


 そのままゆらゆらと歩き出す。


「セドリックを死なせてはなりません。セドリックを失ってはなりません。わたくしはあの子に」


 何も報いてあげていない


 そう言おうとしたセレスティーヌの腕を、アルフォンスが強く掴んだ。


「しっかりしろ!」


 正面に回ってアルフォンスが叱り付ける。


「セドリックの思いを無駄にするな。お前には成すべきことがあるはずだ」

「ですが」


 息が苦しくて、セレスティーヌは強く胸を押さえた。

 セドリック、レナルド、オレリア、騎士団の騎士たち。

 自分一人を助けるために、一体いくつの命が失われたというのだろうか。


「皆がわたくしを助けてくれたのです。それなのに、わたくしは、それに報いる術がないのです」


 セレスティーヌの瞳に涙が溢れる。

 両手でアルフォンスの服を握り締め、顔を見上げて涙をこぼす。

 それを静かに見つめてアルフォンスが言った。


「お前のために命を捧げた者たちは、お前に生きてほしいと思ったんだ。生きてこの国を救ってほしいと願ったんだ。この国を救うこと、それこそが、皆に報いる唯一の方法だ」


 そんなことはセレスティーヌにも分かっていた。

 だが、それに心が追い付くかどうかは別問題だ。


「もうすぐ暗くなる。ここを出た後は夜通し移動になるから、今のうちに休んでおけ」


 セレスティーヌの手を無理矢理引き剥がすと、アルフォンスは木の根元に座って目を閉じた。

 涙を拭いて、セレスティーヌも力なく腰を落とした。


 自分がこの国を救わなければならない。

 こんなところで挫けている場合ではない。


 そう考えるのだが、理屈はどこまでいっても理屈だ。

 一向に消えない息苦しさと戦いながら、無理矢理顔を上げて、セレスティーヌは闇に染まりゆく空を睨み続けていた。




 第五章 了


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ