5-8
首に赤い布を巻いた兵士。
そこにいたのは、騎兵ではなく、チェインメイルとフルヘルムを装備した重装歩兵だった。
手に握るのは、大きな戦斧。その分厚い刃を見た瞬間、セレスティーヌの脳裏におぞましい映像が甦ってきた。
地面に倒れ伏す農民の死体。
その背中に刻まれた、背骨を断ち切るほど深くて大きな傷。
フルヘルムの奥の顔を見ることはできない。しかし、そこに残忍な笑みが浮かんでいるように思えて、セレスティーヌは全身を硬直させた。
殺されるのか、それとも連行されるのか。
いずれにしても、自分の運命は極まったのだ。
殺すなら、いっそひと思いに済ませてほしい。
連行するなら、自分の足で歩くから縄は掛けないでほしい。
そんなことを考えたセレスティーヌは、しかし、突然自分の膝を拳で強く打った。
レナルドが、オレリアが、セドリックが、騎士団の皆がつないでくれた命なのだ。
それを簡単に諦めるなど、絶対にしてはならない!
セレスティーヌがゆっくり立ち上がった。
服の埃をサッと払い、背筋を伸ばして顔を上げる。
そしてスカーフを脱ぎ捨てると、フルヘルムの奥に向かって重々しく言葉を発した。
「王族に対して敬意を示さぬその態度、無礼であろう」
その声は微塵も震えていない。
「所属を告げ、名を名乗りなさい。そして、即座にその場に膝を突きなさい」
威厳ある声が命じた。
「わたくしは、ベルクール王国第二王女、セレスティーヌ・ド・ベルクール。そなたに見下ろされる理由など一つもありません」
セレスティーヌは折れなかった。
強気な心はここでも健在だった。
思い掛けない反撃を受けて、無言のまま兵士が立ち尽くす。
何も言わない兵士の前に、セレスティーヌが悠然と立つ。
兵士とセレスティーヌの睨み合いが続いた。
やがて、フルヘルムの奥から声が聞こえてくる。
「それでこそ、セレスティーヌ・ド・ベルクールだ」
驚くセレスティーヌの前で、兵士がヘルムを脱いだ。
露わになった顔を見て、セレスティーヌの目が大きく広がる。
拳を握り締め、それを震わせながら、セレスティーヌが前に出た。
そしてセレスティーヌは……。
「今まで何をしていたのですか!」
とんでもなく大きな声を上げた。
「おい、静かに」
「お黙りなさい、この役立たず!」
握った拳で兵士の胸を叩く。
「あなたのせいで、たくさんの人が死んだのです! あなたのせいで、国が危機に瀕しているのです! あなたのせいで、わたくしの周りの人たちが……」
そこまで言って、セレスティーヌは兵士の胸に額を押し当てた。
さすがに滅茶苦茶なことを言っている自覚はあったが、溢れる思いは止まらない。
「あなたがいてくれたら……あなたさえいてくれたら、こんなことには」
最後の言葉は掠れていた。
地面にボトボトと涙が落ちる。
黙って聞いていた兵士が、短くなったセレスティーヌの髪を撫でて言った。
「いろいろあったんだな。すまなかった」
優しい声に、セレスティーヌの緊張が解けていく。
「いろいろあったのです。本当にいろいろなことが」
それ以上は続かなかった。
胸に額を押し付けたまま泣き続けるセレスティーヌを、深紅の瞳が優しく見つめる。
そっと髪を撫でながら、セレスティーヌが泣き止むのをアルフォンスはいつまでも待っていた。
落ち着いたセレスティーヌが、涙を拭いてアルフォンスから一歩離れる。だが、その顔は思い切り下を向いていた。
アルフォンスの顔を見た途端、感情が制御できなくなってしまった。
何という醜態だろう。恥ずかしくて顔を上げることができない。
そんなセレスティーヌの頭をポンと叩くと、アルフォンスが笑って言った。
「短い髪も悪くないと、俺は思うぞ」
「な、何を」
赤い顔がさらに赤くなる。
それを知ってか知らずか、いつもの声に戻ってアルフォンスが聞いた。
「いろいろあると思うが、とりあえず確認だ。お前は今、第二王子に追われている。それでいいんだな」
「そうです」
セレスティーヌが小さく答える。
「ここで誰かを待っているのか?」
そっと深呼吸をしてから、セレスティーヌが顔を上げた。
「いいえ。セドリックからは、夜を待ってエリスの町に向かうよう言われています。そこに行けば、誰かが迎えに来てくれるかもしれないと」
「なるほど」
アルフォンスが頷いた。
セレスティーヌは次の質問を待ったが、アルフォンスは何も言わない。虚空を見つめたままじっと何かを考えている。
その時、林の外から蹄の音がした。折り重なるように響くその様子から、間違いなく十騎以上はいると思われる。
咄嗟にセレスティーヌは身構えたが、馬群はそのまま去っていった。
セレスティーヌが胸を撫で下ろす。
そのセレスティーヌに、アルフォンスがとんでもないことを言った。
「やっぱり、お前にはここで死んでもらうことにしよう」
「はいっ!?」
セレスティーヌが頓狂な声を上げた。
「死ぬ前に、俺に指輪をよこせ」
「指輪?」
「王家の紋章が刻まれた指輪だよ。今も持ってるんだろ?」
肌身離さず付けていた王家の指輪。
王都でアルフォンスに会いに行った時、変装をしているのにその指輪だけはそのままにしていて、アルフォンスに馬鹿にされたことがあった。
「な、なぜ指輪を?」
混乱を極めるセレスティーヌをアルフォンスが急かす。
「早くしろ、時間がないんだ」
思わずセレスティーヌが胸を押さえた。
「そこに隠してあるのか?」
「ち、違います!」
後ずさるセレスティーヌにアルフォンスが迫る。
「これも国のためだ。覚悟を決めろ」
「いやよ」
「いやじゃない。いいから早くよこせ」
「いや……いやぁ!」
力尽くで指輪を持って行かれたセレスティーヌが、情けない顔をして木の根元で膝を抱えていた。
アルフォンスは、ここで待っていろと言ってどこかに行ってしまった。
アルフォンスが去ってしばらくすると、大勢の足音や蹄の音が林の近くを駆け抜けた。その度にビクビクしながら、セレスティーヌはアルフォンスの帰りを待ち続けた。
やがて日が傾き、林の中が暗くなり始めた頃。
「待たせたな」
ようやくアルフォンスが戻ってきた。
その顔を見て不覚にも泣きそうになったが、それをぐっと堪えると、かなり頑張ってセレスティーヌは立ち上がった。
「遅すぎです! 一体何をしていたのですか」
いきなりの詰問にアルフォンスは苦笑い。
その姿は、重装歩兵から農民のものへと変わっている。
「説明するから、とりえあず座れ」
セレスティーヌは、木の根元ではなく倒木に腰掛けた。アルフォンスに見下ろされるのが癪だったからだ。
かわりにアルフォンスが木の根元に座って説明を始める。
「昼間言った通り、お前には近くの村で死んでもらった」
アルフォンスによると、この先の集落にあった物置小屋に火を放ち、中にセレスティーヌがいると大声を上げて兵士を呼び集めたという。
小屋の中には、セレスティーヌと同じくらいの背格好をした女性の死体。その指に王家の指輪をはめると、枝切りばさみを胸に突き刺して両手で握らせ、下に干し草と薪を敷き詰めて火の回りを早くした。
「村の女性を手に掛けたのですか!?」
「そんなわけあるか。この辺りには死体がゴロゴロ転がってるんだ。その中の一つを運んだだけだ」
それを聞いてセレスティーヌは安心するが、それでも村人を利用したことに変わりはない。
うつむくセレスティーヌに、アルフォンスが強く言う。
「死者を敬う気持ちは尊いが、それが生者の不幸を招くことになるなら本末転倒だ。お前が成すべきことは何なのか、それを常に頭に置いておけ」
堅い表情でセレスティーヌが地面を見る。
その顔が自分に向くのを待って、アルフォンスが説明を続けた。
「計算通り、小屋は完全に燃え落ちた。ちょうどそこに第二王子が到着して、中にあった死体を確かめていた。その顔が笑っていたから、王子はお前が死んだと思ったはずだ」
おぞましい笑みを思い出して、セレスティーヌは体を震わせる。
「すでに王子も兵士も引き上げて、周囲に追っ手はいない。もう大丈夫だ」
セレスティーヌが大きく息を吐き出した。緊張が解けて、全身から力が抜けていく。
その体を元に戻してセレスティーヌが聞いた。
「ところで、どうしてあなたはここが分かったのですか?」
西のロベール領で別れて以来、アルフォンスとは連絡が取れていなかった。
不思議がるセレスティーヌに、アルフォンスが思い掛けないことを言う。
「セドリックのおかげだよ」
「セドリックの?」
「王都で俺が使っていた宿屋に手紙を預けてくれてたんだ。そこに、お前が南のビゼー伯爵領に向かうと書いてあった」
「そうなのですか!?」
セレスティーヌが驚いた。
「で、とりあえずビゼー伯爵の屋敷を目指して来てみたら、そこらじゅうに死体が転がっていた。中に騎士の死体もあった。これはお前に何か起きたんだと思って、一番近い教会を訪ねてみたんだ」
「なぜ教会を?」
「俺がセドリックに教えたからだよ。”町や村が戦場になっても、教会と病院だけは戦火を免れることが多い”ってな。だから、セドリックならそこに手掛かりを残すと思ったのさ」
セドリックが教会に寄った意味がこれで分かった。
「運良く最初の教会でセドリックの伝言を聞くことができて、お前たちがエリスの町を目指していることを知った。抜け目なく寄付をしておいてくれたおかげで、俺の瞳を見ても神父はちゃんと対応してくれたよ」
セドリックの用意周到さには舌を巻くばかりだ。
「教会を出た俺は、出会った親衛隊の一人をぶん殴って装備を頂いた後、さりげなく部隊に混ざって情報を集めた。すでにお前が捕まっていたら、エリスに向かう意味はないからな」
頷いてセレスティーヌが続きを待つ。
「その情報の中に、お前らしき女を乗せた馬車を見付けたが、見失ったという話があった。それを聞いた俺は、追撃部隊と一緒にこの林まで来て、俺とセドリックにしか分からない”印”を見付けたんだ」
「印?」
「大陸の北に住む民族が、森で使う印だよ。折った木の枝を土に斜めに突き刺しておくんだ。これも俺が教えた知識だが、あいつはちゃんと覚えていたんだな」
もはや言葉が出なかった。
目を見開くセレスティーヌの前で、アルフォンスが話を締めくくる。
「お前が近くにいることを確信した俺は、部隊を離れて林に入った。そして無事お前と会えたという訳さ」
話し終えたアルフォンスが笑ったが、セレスティーヌは笑えなかった。
今セレスティーヌが生きていられるのは、まさにセドリックのおかげだったのだ。そう思った途端、セレスティーヌはいてもたってもいられなくなった。
「セドリックを助けに行かなければ」
セレスティーヌが立ち上がる。
「あの子は、わたくしを逃がすために囮になってくれたのです」
そのままゆらゆらと歩き出す。
「セドリックを死なせてはなりません。セドリックを失ってはなりません。わたくしはあの子に」
何も報いてあげていない
そう言おうとしたセレスティーヌの腕を、アルフォンスが強く掴んだ。
「しっかりしろ!」
正面に回ってアルフォンスが叱り付ける。
「セドリックの思いを無駄にするな。お前には成すべきことがあるはずだ」
「ですが」
息が苦しくて、セレスティーヌは強く胸を押さえた。
セドリック、レナルド、オレリア、騎士団の騎士たち。
自分一人を助けるために、一体いくつの命が失われたというのだろうか。
「皆がわたくしを助けてくれたのです。それなのに、わたくしは、それに報いる術がないのです」
セレスティーヌの瞳に涙が溢れる。
両手でアルフォンスの服を握り締め、顔を見上げて涙をこぼす。
それを静かに見つめてアルフォンスが言った。
「お前のために命を捧げた者たちは、お前に生きてほしいと思ったんだ。生きてこの国を救ってほしいと願ったんだ。この国を救うこと、それこそが、皆に報いる唯一の方法だ」
そんなことはセレスティーヌにも分かっていた。
だが、それに心が追い付くかどうかは別問題だ。
「もうすぐ暗くなる。ここを出た後は夜通し移動になるから、今のうちに休んでおけ」
セレスティーヌの手を無理矢理引き剥がすと、アルフォンスは木の根元に座って目を閉じた。
涙を拭いて、セレスティーヌも力なく腰を落とした。
自分がこの国を救わなければならない。
こんなところで挫けている場合ではない。
そう考えるのだが、理屈はどこまでいっても理屈だ。
一向に消えない息苦しさと戦いながら、無理矢理顔を上げて、セレスティーヌは闇に染まりゆく空を睨み続けていた。
第五章 了




