5-5
ビゼー伯爵の屋敷は灰となった。
中にいた者は、全員死んだ。
その日のうちに、ユベールの親衛隊が一帯に高札を立てて回る。
そこにはこう書かれていた。
王国に抗する者には死あるのみ
その夜セレスティーヌは、民が炎の中でもがき苦しむ様を想像してまた吐き気を催した。
コップ一杯の水だけを飲んで、セレスティーヌは毛布にくるまる。
兄のやり方は常軌を逸していた。これでは民の心が離れるばかりだ。
そうでなくとも隣国では革命が起きたばかり。これ以上兄の暴走を許せば、王国で同じ事が起きてもおかしくないだろう。
家臣団や騎士団では兄を止められない。
それが出来るのは、同じ王族の自分しかいない。
翌朝、決意と共に天幕を出たセレスティーヌは、またも慌ただしく動き回る人馬を見付けた。
「何事ですか?」
入り口を守る騎士に聞くが、騎士にも分からないらしい。
そこにレナルドが駆け寄ってきた。
「農民が反乱を起こしました。ユベール殿下が出陣なさいます」
「!」
セレスティーヌが愕然と立ち尽くす。
遅かった。狂気の連鎖はすでに始まっていたのだ。
絶望に打ちひしがれながら、それでもセレスティーヌは前を向いた。
「わたくしが兄を止めなければ」
歩き出したセレスティーヌの前に、レナルドが立ち塞がる。
「天幕にお戻りください」
「どきなさい。わたくしは兄に」
「なりません!」
強い声にセレスティーヌが目を見開いた。
「残念ながら、今のユベール殿下を止める術はございません」
声を抑えてレナルドが言う。
「副団長も同じ意見です。現時点で最良の方法は、セレスティーヌ殿下を王都にお送りし、国王陛下にこの事をお伝えすること。それを成すために、騎士団は全力を尽くします」
レナルドの言葉を、セレスティーヌは呆然と聞いていた。
「心中はお察しいたしますが、ユベール殿下への意見は控えるべきかと思われます。あの方は、狂気に取り憑かれてしまわれました」
セレスティーヌがうつむき、歯を食いしばる。
レナルドがもう一度言った。
「どうか天幕にお戻りください」
「……分かりました」
顔を上げることなく、セレスティーヌは天幕へと戻っていった。
中に入ったセレスティーヌは、オレリアを無理矢理外へと追い出した。
オレリアが心配そうに何度も振り返りながら天幕を出た直後。
「あああああああぁぁ!」
絶叫が空気を切り裂いた。
驚いて戻りかけたオレリアの腕を、レナルドが掴んで止める。その顔を見て、オレリアもまた悲しげにうつむいた。
反乱は一日で収まった。
なぜたった一日で収まったのか、セレスティーヌは恐ろしくて確認することができなかった。
反乱の翌日、セレスティーヌはセドリックを天幕に呼んだ。
「アルフォンスに連絡を取る方法はありませんか?」
驚いたセドリックが、目を伏せる。
「申し訳ありません」
セドリックが詫びるが、もちろんセドリックに非はない。
ここは王都から遠く離れた南の地。アルフォンスと連絡を取る方法などあるはずないのだ。
アルフォンスと会うためには、やはり王都に戻るしかない。
本来なら、アルフォンスより先に王に会うべきだろう。
しかし、セレスティーヌは不安で仕方がなかった。
王は、兄の行いを当然のことと思うのではないだろうか。
もし王がセレスティーヌの訴えに耳を貸さなければ、兄を止める者は誰もいなくなる。
その可能性をセレスティーヌは考えずにいられなかった。
何としてもアルフォンスに会わなければならない。
早々にここを発って王都に戻るのだ。
だが、その前に。
しばらく黙っていたセレスティーヌが、意を決したようにセドリックに聞いた。
「反乱の後、農民たちがどうしているか知っていますか?」
少し考えてからセドリックが答えた。
「陣から出ていないので想像にはなりますが、生き残っている農民は少ないと思います」
「それは、なぜですか?」
努めて冷静に聞くセレスティーヌに、セドリックも感情を捨てて答えた。
「着陣した日、村には幾筋もの炊煙が上がっていました。ですが、昨日から今日にかけては一筋も見ていません」
セレスティーヌが唇を噛む。
「昨日鎮圧から戻った兵士たちは、全身が血で染まっていました。おそらく激しい粛正が行われたのだと思います」
セレスティーヌが目を閉じた。
兄を止めるためにここまでやって来たはずなのに、自分は何もできていない。
無力感とそれ以上の自己嫌悪で、セレスティーヌの奥歯がギリギリと軋んだ。
爪が食い込むほど拳を握ったセレスティーヌは、それを緩めて顔を上げる。
「陣を出て、村を見て回ります」
セドリックが慎重に言った。
「あまりお勧めはしませんが」
「わたくしは、現実をこの目に焼き付けなければならないのです」
強い言葉に、セドリックが口を閉ざす。
「村に向かうとレナルドに伝えなさい。それから、兄に陣を出る許可をもらってきなさい」
「かしこまりました。では、僕も一緒に参ります」
一礼してセドリックが出て行った
兄の許可はあっさり下りた。ただし、親衛隊を同行させるという条件付きだ。
レナルドと数名の騎士、そしてセドリックと共に、セレスティーヌは丘を下る。後ろには監視するように十数騎の親衛隊が続いた。
黒焦げの廃墟と化したビゼー伯爵の屋敷を横目に見ながら、セレスティーヌは村の様子を見て回る。
村には生者の気配がまるでなかった。
踏み荒らされた畑と放置された農具。
破壊された門と破れた窓。
そして、そこらじゅうに転がっている農民の死体。
男も女も、子供も年寄りも殺されていた。
その亡骸に無数のカラスが集っていた。
レナルドが、馬を寄せて小さく言う。
「背中に傷のある、うつ伏せの死体が多いようです。おそらく、逃げる者を追い掛けて殺したのでしょう」
剣で斬られた背中。
槍に貫かれた背中。
矢が突き刺さったままの背中。
中には、断ち割られたように深く大きな傷を持つ背中もある。
それは騎兵や弓兵の仕業ではない。農民相手に出動するはずのない、重装歩兵が持つ戦斧の傷だ。
手綱を握り締めるセレスティーヌの反対側から、やはり小さな声でセドリックが言った。
「親衛隊の一人が、”ペリエの生け贄”という言葉を使っていました。ユベール殿下は、その故事に倣ったのではないでしょうか」
「そんな昔のやり方を!?」
セレスティーヌが絶望の声を上げる。
ベルクール王国建国から遡ること五百年前、群雄割拠のこの地を武力で統一した男がいた。その男が覇道の途中で行った暴挙、それがペリエの生け贄だ。
敵の領内に攻め入った男は、ペリエという町の住人を皆殺しにし、その首を町の回りに並べてこう言った。
「刃向かう者は、皆こうなる」
これに恐れをなした敵は全面降伏した。
以降、男に逆らう者は誰もいなくなったという。
兄は歴史書をよく読んでいた。当然ペリエの生け贄のことも知っていただろう。
しかし。
だからと言って。
手をつないだまま事切れている母子をじっと見つめた後、セレスティーヌはその目を丘の上に向けた。
風にたなびく赤い軍旗。
記憶に刻まれた、オレンジ色の悪魔の笑み。
恐怖ではない。
絶望でもない。
その心に湧き上がるのは、強烈な怒り。
「兄上!」
燃える瞳が軍旗を睨む。
美しい顔が鬼の形相へと変わっていく。
レナルドも軍旗を睨みつけた。
セドリックも丘を見上げた。
三人の様子を、親衛隊がじっと観察していた。




