5-2
セレスティーヌが襲われたことを知ったモーリスと騎士団長は、揃って顔色を変えた。
さらに、”企む者”のシナリオが変わったかもしれないと聞いて、二人の顔に憂いが満ちる。
そんな状況なのにセレスティーヌが王都に帰ると言い出したので、二人は眉間に深いしわを寄せた。
「ここにいた方が安全なのでは?」
心配するモーリスに、セレスティーヌがきっぱり答える。
「この国の中枢に”企む者”がいることは明白です。それを一刻も早く国王陛下にお伝えしなくてはなりません」
王都に送った報告書には、”企む者”のことも第二王子のことも、アレットとファビウス卿のことも書いていない。
それらをすべて国王に伝え、信頼できる者を集めて早急に対策を練る必要があった。
「では、僕も一緒に」
「あなたはこの地を任されたはずです。今はここを離れるべきではありません」
ロベール家の処分が保留になっていることもあって、モーリスがこの地の暫定領主となっていた。領地経営が軌道に乗るまで、モーリスがここを離れることは難しい。
「わたくしが直接陛下にお話するべき事なのです。どうか分かって下さい」
強い言葉に、二人は仕方なく頷いた。
「では姉上。出発前に、一つお願いが」
モーリスが真剣な顔でセレスティーヌを見る。
「僕はこの地で頑張ります。頑張るために、姉上の力を貸していただきたいのです」
「?」
セレスティーヌが首を傾げた。
この地に残らない自分に何ができるというのか。
怪訝な表情のセレスティーヌに、力を込めてモーリスが言った。
「ぜひ、姉上の左手をデッサンさせてください!」
あまりに意表を突かれてセレスティーヌが固まる。
テーブルの向こうからモーリスが身を乗り出した。
「前回は右手、今回は左手。姉上の両手が揃えば、僕は強くなれます。この地で頑張ることができるのです」
理解不能な理屈だが、モーリスの顔は真剣そのものだ。
「僕には姉上の左手が必要なのです。それがなければ頑張れないのです」
事情がまるで飲み込めない騎士団長が、ポカンと口を開けてモーリスを見つめる。
それを一顧だにせず、モーリスは全力でセレスティーヌに迫った。
「どうか、僕に姉上の左手を!」
気迫に押されてセレスティーヌが仰け反る。
だいぶ長い間沈黙していたセレスティーヌが、やがて言った。
「……分かりました」
「ありがとうございます!」
子供のように喜ぶモーリスの前で、諦めたようにセレスティーヌがため息をついた。
この日、モーリスは至福の時を過ごした。
前回同様、セレスティーヌの顔は終始歪んでいたのだが、デッサンに夢中のモーリスがそれに気付くことはなかった。
こうしてモーリスは、右手に続いてセレスティーヌの左手を手に入れたのだった。
数日後、セレスティーヌは騎士団に守られて王都へと旅立った。
行きは一千を超える大所帯だったが、帰りは騎士団五十騎とセレスティーヌの従者のみ。警戒しながらの行軍となったが、とくに襲撃や妨害もなく一行は順調に旅を続けた。
無事に王都に着いた一行は、身なりを整えてから大門をくぐる。
セレスティーヌも華やかなドレスに着替え、キャビンのカーテンを開けて、民衆から顔が見えるよう窓際に座った。
窓越しに見る王都は、記憶の中のそれと変わらなかった。
整えられた店先と掃き清められた道路。
そして、住民たちの心のこもっていない歓迎ぶり。
通る道には荷馬車が一台もなかった。
店には客がいなかった。
手を振る人々の顔には、笑顔がなかった。
王都において、セレスティーヌはいまだに迷惑な存在なのだ。
うつむくセレスティーヌが静かに拳を握る。
「やるしかないのですわ」
小さな呟きにアンナが心配そうな顔をしたが、セレスティーヌはそれ以上何も言わなかった。
王宮に入ると、王と皇后が揃って出迎えてくれた。
この二人の笑顔には嘘がない。可愛い娘の帰還を本当に喜んでいる。
両親と抱擁を交わしたセレスティーヌは、改めて王に近寄ると、その耳元で言った。
「内密の報告がございます。陛下と二人だけで話をしたいのですが、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
可愛い娘の真剣な表情に、驚きながら王が答える。
「では、明日わしの部屋でどうかな?」
「できれば、この後すぐに」
「……分かった」
強引に約束を取り付けたセレスティーヌは、一旦自室に戻って着替えた後、休む間もなく王の私室へと向かった。
着いてきたメイドたちを残して、セレスティーヌは部屋の中へと入っていく。
途端、セレスティーヌは目を見開いた。
「セレスティーヌ殿下、無事のご帰還何よりでございました」
父と二人きりだと思っていたのに、父の隣に一人の男が立っていた。
「カリエール卿? なぜあなたがここに」
宰相で父の右腕。
明晰な頭脳と冷徹な決断力を合わせ持つ、この国の治政の要である。
驚くセレスティーヌに父が言った。
「一緒に聞いてもらった方が早いと思ってな、わしが呼んだのだ」
「それは」
言い掛けたセレスティーヌが口をつぐむ。
カリエール卿に対する父の信頼は非常に篤い。いずれにしても、後で父はカリエール卿に相談することになるだろう。
「分かりました。では、お二人にお話し致しましょう」
政権の中枢に”企む者”がいたとしても、カリエール卿がそれに関わっている可能性は低い。そう思えるだけの信頼と実績をカリエール卿は積んできている。セレスティーヌも、閣僚の中で相談するなら彼しかいないと考えていた。
「今からお話するのは、報告書には書かれていない、西の反乱の裏で起きていた事柄です」
顔を引き締める二人に向かって、セレスティーヌが話し出した。
ロベール卿が抗議のため王都にやってきた時、誰にも会うことができなかったこと。
ロベール卿を追い払ったのは、第二王子ユベールであること。
娘のアレットの死がロベール卿に反乱を決意させたこと。
アレットの死には、ファビウス卿が関わっている可能性があること。
続いて、シャブラン公国訪問の詳細について説明した。
シャブラン公国が、王国内の何者かと結託して反乱を手助けしようとしたこと。
公国側の中心人物は、エスター卿という貴族であったこと。
現状では、シャブラン公国が敵対する可能性は低いこと。
「この度の反乱の裏には、歴史を再現しようとする”企む者”がいるとわたくしは睨んでいます。その者の特定と排除こそが喫緊の課題と言えるでしょう」
話を聞き終えた王が、腰を抜かしたように椅子に体を預けた。
「そなたは、一体どれだけ危ない目に遭ってきたのだ」
国を脅かす”企む者”の存在より、セレスティーヌの無謀とも思える行いに王は驚いていた。
「それに、なぜそなたが動く必要があったのだ? 騎士団やモーリスの参謀たちもいたであろうに」
子供の頃からセレスティーヌは気の強い娘だった。しかし、民に扮して反乱軍と接触したり、単身で隣国に出向いたりするような娘ではなかったはずだ。
カリエール卿も聞いた。
「殿下が政治に興味がおありだとは私も存じ上げませんでした。どのような心境の変化があったのか、非常に気になるところです」
脱力している父と違って、その目は鋭くセレスティーヌを観察している。
セレスティーヌは高速で思考を巡らせた。
アルフォンスの存在を明らかにするべきか、それとも否か。
一呼吸の間に、セレスティーヌは答えを出した。
「わたくしは、以前から民の暮らしを知りたいと思っておりました。それが、セドリックと出会って益々興味を持つようになったのです」
「セドリックとは、殿下が側に置くようになった小間使いのことですか?」
「そうです」
セレスティーヌが頷く。
「彼の地でも、民の暮らしが知りたくて、騎士の一人を無理矢理同行させて町に出ました。そこで偶然反乱の話を聞いたのです。事は急を要すると判断し、わたくしが解決のために動きました」
「なるほど」
王は納得したようだ。
しかし、カリエール卿は違った。
「西に向かう前、殿下が王都で賊に襲われたことがありました。心境の変化はそれと関係があるのでは?」
セレスティーヌの心臓がピクリと跳ねる。
「あの事件を境に、殿下の周囲への接し方が変わったと聞き及んでおりますが」
顔に出さぬよう努力はしたが、目には驚きが表れていたかもしれない。
カリエール卿がそこまで自分を見ていたとは考えもしなかった。
「わたくしのことをよくご存知でいらっしゃるのですね」
「王宮内の秩序を保つことも私の仕事ですから」
平然とカリエール卿が答えた。
それは侍従長の役割ではないかとセレスティーヌは思ったが、もしかすると、侍従長の相談先がカリエール卿なのかもしれない。
予想外の展開に、だがセレスティーヌが崩れることはなかった。
「カリエール卿の慧眼には恐れ入りました。たしかに、わたくしはあの事件をきっかけに変わったと思います」
気付かれぬよう息を整えて、セレスティーヌがカリエール卿を見る。
「あの時、賊の男が言ったのです。”王族なんか知ったことか。俺は今夜の飯と寝床が確保できればそれでいいんだ。俺にとって、毎日が死ぬか生きるかなんだよ”」
セレスティーヌが目を伏せた。
「わたくしは衝撃を受けました。そして、自分がどれほど恵まれているかを痛感したのです。以来、わたくしは態度を改めました。民を幸せにするという王族の使命をまっとうしなければと思ったのです」
顔を上げ、セレスティーヌが力強くカリエール卿を見つめた。
カリエール卿が目を丸くする。
やがて、その目が優しく微笑んだ。
「私の非礼をお許し下さい」
カリエール卿が深く頭を下げる。
「殿下は、じつに立派になられた」
姿勢を戻して、カリエール卿が嬉しそうに笑った。
そして、その目を王に向ける。
「殿下になら、例の件をお話してもよろしいかと」
「うむ、そうだな」
意味ありげなやり取りの後、王がセレスティーヌに言う。
「じつはな、モーリスの報告書を読んだユベールが、わしに謝りに来たのだよ」
「ユベール兄様が!?」
「うむ。以前、自分がロベール卿を追い返したことがある。あの時話を聞いていれば、事態は違ったかもしれないとな」
セレスティーヌが目を見開いた。
「ユベールは、ロベール卿がただのご機嫌伺いにきたと勘違いしたらしいのだ。あの時は、南国の大使を迎えて皆慌ただしかったからな」
たしかにそんなことがあった。
南のクラルモ共和国のさらに南。海の向こうの国から、国交を開きたいと使節団がやってきたのだ。
「ユベールが謝罪する姿は真剣そのものだった。ゆえに、わしはユベールを信じようと思う」
ここまで王に言われてはセレスティーヌも反論できない。
そもそも、ユベールの件は白も黒もはっきりしない事柄だったのだ。兄を悪者と決めつける理由はない。
「分かりました」
セレスティーヌが頷いた。
「それと、もう一つ伝えておくことがある」
王が鋭く言う。
「じつはな、密かにファビウス卿の内偵を進めておるのだ」
「そうなのですか!?」
「まだ確証はないがな、我々もあやつが怪しいと睨んでおる」
予想外の話にセレスティーヌは驚くのみだ。
「証拠が揃い次第ファビウス卿を尋問するつもりだ。ただ、それは少し先の話になるかもしれぬ」
「それはなぜですか?」
首を傾げるセレスティーヌに、カリエール卿が答えた。
「南でまた反乱が起きたのです。しかも、今回は規模が少々大きいようで、まずはこちらを片付けなければなりません」
「反乱!?」
セレスティーヌの顔に憂いが浮かんだ。
南の民は、すでに二度反乱を起こしている。それほど民が追い詰められているということなのだろう。
目を伏せたセレスティーヌに王が言った。
「その鎮圧には、ユベールが向かうことになった」
「ユベール兄様が!?」
セレスティーヌが大きな声を上げた。
「どうしてユベール兄様が」
「そなたとモーリスの活躍を見て、自分も王族の役目を果たしたいと志願してきたのだ」
「兄様が志願を……」
不安そうにセレスティーヌが呟いた。
ユベール・ド・ベルクール。
この国の第二王子で、王位継承権は第二位。セレスティーヌと同じく正室の子だ。
年は二十一歳。武芸を好み、自ら選抜した兵士を親衛隊として召し抱えている。
その性格は、野心家で自信家。時に短気ともとれる言動はセレスティーヌでさえ眉をひそめることがあった。
セレスティーヌには笑顔を向けるが、モーリスにはきつく当たることが多い。モーリスが兄弟姉妹の中でもっとも苦手とする人物、それがユベールだった。
気性の激しいユベールが、自ら志願して反乱の鎮圧に向かう。
それがどういう結果を生むか、セレスティーヌには容易に想像がついた。
「お父様、いえ、陛下。ユベール兄様は、おそらく武力で反乱を鎮めようとするでしょう。それでは真の解決にはなりません」
「それはなぜだ?」
セレスティーヌが姿勢を正して言う。
「民の不満が解消しないからです。反乱の本当の原因を知らないまま武力で制圧すれば、それは禍根を残すだけ、問題をこじらせるだけとなってしまうのです」
セレスティーヌが真剣に訴えた。
その訴えを、しかし王はまるで取り合わなかった。
「西の場合はそなたの判断が正しかった。背後にシャブラン公国がいたからな。だが、南は単なる農民の反乱だ。税率の是正はするにしても、反乱を起こしたこと自体を許す訳にはいかぬ」
「ですが」
「民は国に従うもの。それを知らしめるために、一度は強い制裁を加える必要があるのだ」
躊躇いのない答えにセレスティーヌは言葉を失った。
セレスティーヌは、これまで一度も父と政治の話をしたことがなかった。それもあって、父は民を大切にしていると勝手に思い込んでいたのだ。
浅はかな考えを平然と口にする父を、セレスティーヌは愕然と見つめる。
「民を思うそなたの心は尊い。だが、ここはわしとユベールに任せておきなさい」
王の顔は、優しい父の顔だった。
それがセレスティーヌには恐ろしく感じる。
「明日はそなたのためのパーティーがある。今夜はゆっくり休んで、明日のパーティーに」
「陛下!」
突然セレスティーヌが叫んだ。
「なんじゃ!?」
驚く父に向かって、セレスティーヌが思いも寄らないことを言った。
「わたくしも南に参ります!」
今度は父が絶句する。
「わたくしも、ユベール兄様と一緒に南に参ります!」
目を見開く父を、鬼のような形相でセレスティーヌが睨みつけていた。




