5-1
シャブラン公国から帰ってきたセレスティーヌは、この地を救ったヒロインとしてもてはやされた。
身分を隠して反乱軍と接触していたことや、単独で隣国に赴き友好関係を築いたことが民の間に広まったおかげで、今や町はセレスティーヌの話で持ち切りだ。
だが、それはいいことばかりではなかった。
ジルに預けた短剣を取りに行こうと屋敷を出ると、変装していたにも関わらず、あっさりバレて民衆に囲まれてしまった。
その経験があったので、次は念入りに変装をして、さらに屋敷の裏門から出たのだが、町に入った途端やっぱりバレて囲まれた。短剣の受け取りはセドリックに頼むほかなかった。
お忍びの楽しさを奪われて、セレスティーヌが肩を落とす。
それをアンナが笑いながら見ていた。
そんなある日。
「もう大丈夫です」
レナルドの合図で体を起こすと、セレスティーヌは被っていた筵を足元に追いやり辺りを見回す。
「まったく、民に慕われるというのも考え物ですわね」
揺れる荷台に座り直して、セレスティーヌがため息をついた。
間もなく陽が落ちようかという頃、セレスティーヌとレナルドは、モーリス軍が使っていた野営陣地に向かっていた。そこでアルフォンスと待ち合わせをしているのだ。
セドリックからアルフォンスの居場所が分かったと聞いた時、セレスティーヌの心は大いに躍った。
ついにあの約束を果たしてもらう時がきましたわ!
にやりと笑ったセレスティーヌは、すぐにセドリックを通じて会う約束を取り付ける。
場所は放棄された野営陣地。
時刻は夕暮れ時。
人目を避け、筵に隠れて町を出るという苦労までして、セレスティーヌはアルフォンスのもとへと向かっていた。
揺れる荷馬車の上でセレスティーヌは考える。
いきなり約束を果たせと迫るのは、少し大人気ないかしら
シャブラン公国訪問が成功したのは、ある意味アルフォンスのおかげとも言える。反乱鎮圧の件も含め、まずは礼を述べるべきだろう。それくらいの度量の広さは見せてもよい。その上で、堂々と約束の履行を求めるのだ。
何をしてもらうか、それが問題ですわね
セレスティーヌが思考を巡らした。
これまでの非礼を詫びてもらう。
それも悪くない。
出身地や経歴を教えてもらう。
こちらの方が重要か?
あれこれ考えるセレスティーヌの顔は終始ご機嫌だ。あのアルフォンスに何でも言うことを聞かせられると思うだけで、自然と頬が緩んでいく。
そんなセレスティーヌの脳裏に、ふととんでもない妄想が湧いてきた。
よくやったと言いながら、優しく頭を撫でてほしい……
な、なにを考えているの!?
途端に顔が熱くなる。
どうしてそんなことを思い付いたのか自分でもさっぱり分からなかった。
恥ずかしさと気まずさでセレスティーヌが身悶える。
「そんなこと、わたくしは」
思わず声が漏れてしまった。
それが聞こえたのだろう。御者台のレナルドが後ろを向く。
「何かおっしゃいましたか?」
次の瞬間。
「伏せてください!」
突然レナルドが馬車を止めて叫んだ。
「何ですの!?」
「いいから!」
驚いて身を伏せたセレスティーヌの真横にレナルドが飛び乗ってくる。そして、隠してあった剣を掴むと馬車を飛び降りた。
「何者だ!」
レナルドの声に荒々しい声が答えた。
「邪魔をするな!」
「国賊は死ね!」
怒鳴り声の直後、鋭い金属音が連続で響く。
キーン!
武器と武器がぶつかり合う。
「ぐわっ!」
断末魔の叫びが聞こえる。
「怯むな!」
「殺してしまえ!」
一体何が起きているのか分からないまま、セレスティーヌは頭を抱えて強く目を閉じた。
やがて、音が止む。
「殿下、お怪我は!?」
レナルドの声でセレスティーヌは恐る恐る身を起こした。
そして、目の前のレナルドを見て悲鳴を上げる。
レナルドが恐ろしい顔でこちらを睨んでいた。
顔も体も赤く染まっていて、まるで地獄に住むという鬼のようだ。
体をのけぞらせるセレスティーヌを見て、レナルドは自分の状態に気が付いた。
「失礼しました」
一歩引いて、今度は静かに聞く。
「賊はすべて倒しました。お怪我はございませんか?」
「賊?」
セレスティーヌも落ち着きを取り戻す。
改めて周りを見ると、地面にいくつかの死体が転がっていた。
「わたくしは平気です。あなたは大丈夫なのですか?」
レナルドは全身真っ赤だ。返り血なのかレナルドの血なのか見た目で分からない。
「私は……腕が少し痛みますが、問題ありません」
言われて初めて自分の怪我に気付いたに違いない。左の上腕を見ながらレナルドが答えた。
「そうですか、良かった」
セレスティーヌがホッと息をついた時、レナルドが再び剣を構える。
また賊!?
体を強張らせるセレスティーヌの耳に、覚えのある声が聞こえてきた。
「遅いと思って来てみれば、まさか襲撃にあっていたとはな」
薄闇から表れた男が死体を見下ろす。
「一人で五人を倒したのか。さすが騎士団の精鋭だ」
「貴様!」
レナルドが睨む先に、アルフォンスがいた。
「まさか、貴様の差し金か!」
「そんなはずないだろ。落ち着けって」
殺気立つレナルドに答えて、アルフォンスが足下を見る。
「このマントはロベール軍のものだな」
「ロベール卿の!?」
驚くセレスティーヌに、別の死体を確認しながらアルフォンスが言った。
「ロベール卿の部下の中には、今回の件に納得していない者もいるだろう。そいつらがお前を襲ったとしても不思議じゃない」
「そんな!」
その可能性をセレスティーヌは考えたことがなかった。
急に恐ろしさが込み上げてくる。
「まあ、そういう単純な話ならいいんだけどな」
「どういうことだ?」
セレスティーヌに代わってレナルドが聞いた。
「じつは、今日話そうと思っていたことなんだが」
アルフォンスが話し始める。
「歴史を再現しようとしている”企む者”にとって、第二王女の活躍は、計算違いもいいところだろう」
「それはそうだろうな」
「第二王女を民衆の怨嗟の的にすることが難しくなった。つまり、”企む者”はシナリオの変更を余儀なくされた訳だ」
「シナリオの変更?」
「そうだ。新しいシナリオでは、第二王女が邪魔になるとか、死んでもらうことでシナリオが進むとか、そういうことになっている可能性もある」
レナルドとセレスティーヌが揃って目を見開いた。
驚く二人にアルフォンスが言う。
「この兵士たちも、”企む者”に焚き付けられたのかもしれない。まあ、証拠は見付けられないだろうけどな」
二人が言葉を失う中、アルフォンスが淡々と続ける。
「新しいシナリオがどうなっているのか、それを知る必要がある。そのためには、”企む者”に動いてもらって、そこから探るのが一番早い」
「動いてもらう? そんなことどうやって」
首を傾げるレナルドに、アルフォンスが言った。
「姫さんに王都に帰ってもらって、何が起きるか確かめるのさ」
「な、何を言っているのですか!?」
黙っていたセレスティーヌが叫んだ。
また襲われるかもしれないというのに、”企む者”がいる王都に帰る?
「そんな危険なことを、なぜわたくしが」
「それがお前の役割だからだ」
セレスティーヌは絶句。
「殿下を囮にするというのか!?」
「そうだ。それが王族としての務めなんだ」
レナルドも黙ってしまった。
セレスティーヌに視線を戻してアルフォンスが言う。
「民を不幸にしてでも政権を奪おうとする。そんな奴を王にしてはいけないと俺は思うが、お前はどうだ?」
「それは……わたくしも同じです」
「それなら”企む者”を除く必要があると思うが、お前はどう思う?」
「その通り、だと思います」
「シナリオの主要人物であるお前が、安全な場所に引きこもったままで事が成せると思うか?」
「……」
「お前が王都に帰れば、”企む者”は確実に仕掛けてくる。仕掛けてくると分かっているから対応もしやすいし、うまくいけば尻尾が掴めるかもしれない」
「それはそうかもしれませんが」
「じゃあやるしかないな」
「ですが」
「ですが、何だ?」
「……分かりました」
理屈で押し切られて、セレスティーヌは仕方なく頷いた。
頷いたものの、地面に転がる死体を見ていると、やはり恐怖が先に立ってしまう。
滅多に見せない弱気な顔で、セレスティーヌがアルフォンスを見た。
「その、あなたも一緒に来てくれるのですか?」
縋るような声に、無情な答えが返ってくる。
「悪いが、俺は一緒に行けない。まだやることがあるんだ」
その答えが、セレスティーヌの恐怖を怒りに変えた。
険しい顔でアルフォンスを睨むと、声を震わせて感情をぶつける。
「あなたはいつもそうです! 自分は何もしないくせに、すべてをわたくしに押し付けて。ふざけるのもいい加減になさい!」
セレスティーヌの顔は怒りで真っ赤だ。
「言うだけ言って、自分はどこかでフラフラしている。事が終わった頃ふらりと現れて、またいろいろ言う。そんな無責任なことってありますか!?」
目を吊り上げてまくし立てる。
「反乱軍の説得も、最初からあなたがしてくれればよかったではないですか。シャブラン公国への使者だって、あなたの方がよほどうまくできたのではなくて?」
さすがにこれは理不尽だ。
しかし、セレスティーヌの勢いは止まらない。
「あなたは賢いのでしょう? あなたは強いのでしょう? だったら、あなたが表舞台に立てばよいではありませんか。わたくしではなく、あなたが問題を解決すればよいではありませんか!」
激情に任せてセレスティーヌが叫んだ。
燃える瞳がアルフォンスを睨み付ける。
その勢いが、ふいに力を失った。
「どうしていつも遠くにいるのですか」
弱々しい声がした。
「どうして側にいてくれないのですか」
悲しそうな声がした。
「わたくしは、あなたに、もっと助けてほしいのに」
本当の気持ちが滲み出る。
セレスティーヌがうつむいた。
レナルドが目を見開いた。
アルフォンスも目を見開き、そして、目をそらした。
「悪いが、俺は直接手伝えない」
「どうして……」
かぼそい声は、答える者のいないまま黄昏に飲み込まれていった。
苦しそうな三つの顔が、薄闇の中で下を向く。
やがて辺りが闇に包まれた頃、アルフォンスがレナルドに言った。
「王都での護衛は騎士団に任せる。それから、アンナさんに姫さんの食事に気を付けるよう伝えてくれ。同行している二人のメイドも協力してくれるはずだ」
「……分かった」
アルフォンス嫌いのレナルドが、大人しく頷いた。
「俺は少し遠くに行くことになると思う。戻ってきたらセドリックには必ず連絡をするから、何かあれば」
「またセドリックなのですね」
アルフォンスが驚いたようにセレスティーヌを見る。
その唇が何かを言い掛け、しかし、結局言葉は出てこなかった。
再びの沈黙を破ったのは、セレスティーヌだった。
「旅に出るなら気を付けて。レナルド、行きましょう」
荷馬車の上で、セレスティーヌが膝を抱えた。
「かしこまりました」
躊躇いながらレナルドが御者台に乗り込む。
手綱を握ったレナルドがアルフォンスに言った。
「死体はそのままでいい。後で回収に来る」
「分かった」
アルフォンスは、セレスティーヌをチラリと見た後もと来た道を引き返していった。
「我々も戻ります」
レナルドが手綱を振る。
荷馬車がガタガタと動き出す。
顔を膝に埋めたセレスティーヌが、小さな声で呟いた。
「馬鹿……」
それは誰に向けられた言葉だっただろうか。
この夜、セレスティーヌはベッドの上でも膝を抱えたままだった。
世間知らずの我が儘姫は、この日、自分の心が儘ならぬものであるということを知ったのだった。




