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ギュレーロ卿が護衛に加わったこともあって、一行は何事もなくモンチェスト山脈の麓に辿り着くことができた。
「ここまでありがとうございました」
「残りの旅も、どうぞお気を付けて」
握手を交わしてギュレーロ卿と別れると、セレスティーヌたちは山越えの道を進み始めた。
一行は斥候を出しながら慎重に登っていく。それもあって時間は掛かったが、セレスティーヌたちは無事にモンチェスト山脈を越えることができた。
一面緑の緩やかな下り坂を過ぎ、林の道を抜けて平地に出れば、そこはもうベルクール王国の領内だ。明日にはモーリスのいる町に到着できるだろう。
すでに先触れは出してある。モーリスたちもセレスティーヌの帰還を待っているに違いない。
夕食後、焚き火を囲んでお茶を飲んでいる時にレナルドが言った。
「ここまでくればもう安心です。長旅お疲れ様でした」
それを聞いてアンナが言う。
「早くベッドで眠りたいものですわ」
普段は無口なセドリックまでがそれに続いた。
「僕はお風呂に入りたいです」
皆が穏やかな笑顔を浮かべている。
その中で、セレスティーヌだけに笑みがなかった。
アンナが心配そうに声を掛ける。
「どうかなさいましたか?」
エスター卿の襲撃以来、セレスティーヌは考え込むことが多くなっていた。それにアンナは気付いていたが、襲撃の恐怖が残っているのだろうと、何も聞かずにここまで来た。
だが、今のセレスティーヌの顔に浮かんでいるのは、恐怖ではない別の何かだ。
「何か心配なことでも」
聞かれたセレスティーヌが、焚き火を見つめながら言った。
「わたくしは、我が国の民に歓迎されるでしょうか」
「それは、どういう……?」
意味が分からずアンナが首を傾げる。
セレスティーヌがうつむきながら答えた。
「シャブラン公国には、セレスティーヌ・ド・ベルクールとして訪問しました。そこで民と交流し、歓迎されるまでになりました。ですが、わたくしは、王女として我が国の民と交流したことがないのです」
ハッとしたようにアンナが目を開く。
薪をくべようとしていたレナルドの手も止まった。
焚き火がパチンと音を立てる。
揺れるオレンジの炎が、セレスティーヌの泣きそうな顔を映し出した。
「王国の民にとって、わたくしは世間知らずで我が儘な姫のままなのです。それは誰かが意図して流した噂なのかもしれません。ですが、少なからず、わたくしはそう噂されるだけのことをした覚えもあるのです」
苦しそうな告白を聞いて、アンナが思わずセレスティーヌの手を握った。
その手は驚くほど冷たかった。
「贅沢な生活をしてきました。人を罵り追い詰めました。それを改めたつもりだったのに、今回の訪問でも過ちを犯しました。そのために、多くの兵士が命を落とすことになったのです」
そこにいる全員が目を伏せた。
「明日、町に着いた時、民はわたくしを見て何を思うでしょうか。わたくしにどんな言葉を掛けてくれるでしょうか。いいえ、言葉など掛けてはくれないかもしれません。それどころか、石を投げられてしまうかも」
「セレスティーヌ様!」
震える肩をアンナが抱き締める。
「そのようなことはありません。大丈夫です、民はセレスティーヌ様を歓迎してくれます」
強い声に、だがセレスティーヌは顔を上げない。
「本当に?」
「大丈夫です!」
アンナが腕に力を込める。
叫ぶような声を聞いて、ようやくセレスティーヌは顔を上げた。
「ごめんなさい、変なことを言ってしまいました。心配させて悪かったわ」
自分を抱く腕にそっと手を添えて、セレスティーヌが淋しそうに微笑んだ。
「さあ、もう寝ましょう。寝不足はお肌の大敵ですわよ」
精一杯の虚勢を張ってセレスティーヌが立ち上がる。
誰とも目を合わせることなく天幕に向かうその姿を、三人が悔しそうに見つめていた。
翌日。
「間もなく町に入ります。念のためキャビンの窓は閉めておかれますように」
「分かりました」
レナルドの声でアンナが窓を閉める。昨日のセレスティーヌの話を聞いて、レナルドもアンナも慎重になっていた。
両側の窓を閉めたアンナが、うつむくセレスティーヌに聞く。
「カーテンも閉めてよろしいですか?」
「そう、ですわね」
力ない答えに胸を痛めながら、アンナはそっとカーテンを引いた。
ほどなくして馬車が速度を落とす。どうやら町に入ったらしい。
外から人の声が聞こえてきたが、何を言っているかまでは分からなかった。王室専用の馬車は、その防御力ゆえに遮音性能も高い。
馬車は進む。不安と恐れを乗せてゆっくり進んでいく。
ガタガタと揺れる床を見つめながら、セレスティーヌは思った。
いっそ誰も出迎えていなければいい
不満も憎しみも、言葉や表情に出さなければ分かることはない。誰とも顔を合わせず屋敷に入ってしまえば、何も知らずに済む。
セレスティーヌが拳を握った。
強く目を閉じ、一刻も早く屋敷に着けと願った。
ふいにガタンと大きく馬車が揺れた。
御者台のセドリックが、慌てたように背中の小窓を開けて言う。
「申し訳ありません、石を踏んでしまいました。進行には支障ありませんので、このまま……」
説明するセドリックの声を、だがセレスティーヌは聞いていなかった。
小窓から飛び込んできた音に反応して、セレスティーヌがカーテンをめくる。
その目が大きく広がった。
その目にじわりと暖かいものが溢れていった。
慌ててそれを拭い、改めて外を見たセレスティーヌが、突然大きな声を上げる。
「馬車を止めて!」
驚いてセドリックが手綱を引いた。
悲鳴を上げるアンナにごめんなさいと謝ると、セレスティーヌは扉を開けて外へ飛び出していく。
ドレスを翻してセレスティーヌは走った。
その先にいるのは、一人の少女。
駆け寄ってきたセレスティーヌを見て少女が驚いた。
「お姉ちゃん?」
目を丸くする少女の前に、セレスティーヌが膝を付く。
そして、少女を強く抱き締めながら、大きな声で言った。
「ただいま、フラビィ!」
びっくりしたフラビィが、次の瞬間、無邪気に答えた。
「お帰りなさい、お姉ちゃん!」
笑うフラビィの隣でジルが腰を抜かす。
「あ、あんたは!?」
それを見たセレスティーヌが、楽しそうに笑った。
「ごめんなさい。わたくしの名前、アンナではございませんの」
ジルの口があんぐりと開いた。
周りの人たちが呆然とした。
静まり返った群衆が、やがて声を上げ始める。
「セレスティーヌ殿下、万歳」
波が周囲に広がっていく。
「王国万歳」
「セレスティーヌ殿下万歳!」
立ち上がったセレスティーヌがフラビィを抱き上げた。
フラヴィを抱いたまま、大きく手を振って歓声に応えた。
「みんな、ただいま!」
「お帰りなさい!」
町中の人が出迎えていた。
町中の人が手を振っていた。
町中の人が、笑っていた。
セレスティーヌの視界が霞んでいく。
嬉しくて嬉しくて、笑いながら涙をこぼす。
世間知らずの我が儘姫は、この日初めて、民に愛されることの喜びを知ったのだった。
第四章 了




