4-7
「殿下のご活躍を心よりお祈り申し上げます」
「ご期待に添えるよう努めます」
大公と堅い握手を交わして、セレスティーヌは馬車に乗り込んだ。
ギュレーロ卿をはじめ多くの貴族に見送られて一行は宮殿を出る。それを護衛するのは、あの三百の兵士たちだ。
流れゆく町並みを眺めながらセレスティーヌが言う。
「この国の料理はとても美味しかったわ。是非また来たいものですわね」
それにアンナが答えた。
「そうですね。私もまた来てみたいと思いました」
「あら、この国は敵だったのではなくて?」
意地悪な質問に、アンナが平然と嘯く。
「昨日の敵は今日の友。人の心は常に変わっていくものなのです」
「まあ、なんと都合の良い心なのでしょう」
呆れるセレスティーヌにアンナが笑顔を見せた。
その笑顔が、セレスティーヌを嬉しくさせる。
「またどこかの国に行くことになったら、一緒に来てくれますか?」
「もちろんでございます」
和やかな空気の中、セレスティーヌたちは帰国の途についた。
一行は、行く先々で往きにも増して熱い歓迎を受けた。
セレスティーヌが笑顔を振りまく。
隣でアンナが穏やかに笑う。
レナルドが誇らしげに胸を張る。
セドリックが町の様子を興味深げに観察する。
来る時は探りを入れてきた領主たちも、帰りは笑顔で出迎えた。水や食料、寝所の提供も申し出てくれたので、帰路の旅はとても快適なものとなった。
補給の心配もない。
襲撃の心配もない。
レナルドや護衛の兵士の顔にも笑顔が浮かんだ。
その状況が、油断を生んだ。
「敵襲!」
街道沿いの野営地でセレスティーヌは飛び起きた。
「何事ですか!?」
「分かりません!」
同じく飛び起きたアンナが混乱したまま答える。
直後、テントの外からレナルドの声がした。
「何者かが夜襲を仕掛けてきました!」
その声はかなり切羽詰まっている。
「いつでも動けるよう、急いでお着替えを!」
そう言ってレナルドはどこかへ走って行った。
慌てて着替えたセレスティーヌは、レナルドを待つことなくテントの外に出る。その目に映ったのは、真っ赤に燃える野営地だった。
「敵を近付けるな!」
「早く火を消せ!」
四方八方から怒号がする。それに混じって、馬の嘶きや金属のぶつかり合う音が聞こえてきた。
炎に揺れる光景は、まさに戦場。兵士と兵士がぶつかり合い、どちらか一方が血潮を吹き上げ倒れていく。
人の死を見るのは初めてではなかった。セレスティーヌは、目の前でロベール卿の死を見ている。
しかし、今ここにあるのはただ一人の死ではなかった。
断末魔の叫び。
狂ったような雄叫び。
助けを求める声。
叱咤激励の金切り声。
セレスティーヌは動けない。さすがの強気姫も、生まれて初めての戦場に体がすくんでしまっていた。
そこに、突然自分の名を叫ぶ者が現れた。
「見付けたぞ、セレスティーヌ!」
ビクンと体を震わせてセレスティーヌが向きを変える。
そこにいたのは、栗毛の上から自分を睨む、白髪の痩せた老人だった。
「エスター卿!?」
セレスティーヌの目が広がる。
馬上で槍を一振りしたエスター卿が、血走った目でセレスティーヌを睨んだ。
「何も知らぬ小娘が、余計なことをしおって!」
痩せた体のどこから出るのかというほど大きな声だ。
「貴様は、最後にして最大の機会を潰しおったのだ!」
大陸進出のことを言っているのだろうか。
そうだとしたらエスター卿の怒りも理解できるが、王国がそれを受け入れられるはずがない。
そんな事を考えたセレスティーヌが、予想外の言葉を耳にした。
「おかげでわしのメンツは丸潰れだ。腹立たしい、本当に腹立たしい!」
「メンツ!?」
この老人はメンツを潰されたことを怒っているのだろうか。
そんなことで自分たちを襲ったというのか。
「憎い。わしは、心の底から貴様が憎い!」
槍の穂先がセレスティーヌに狙いを定める。
「貴様だけは許さん。決して許さんぞ!」
エスター卿が馬の腹を蹴った。
「死ねぇ!」
狂気を纏ってエスター卿が突進してきた。
ここから逃げなければ。
そう思うのだが、恐怖で体が動いてくれない。
殺される!
セレスティーヌが目を閉じた瞬間。
「殿下!」
レナルドが真横から馬ごとエスター卿にぶつかっていった。
エスター卿が目を剥き、馬が悲鳴を上げる。
馬が地面に倒れ込んだ。
放り出されたエスター卿が、地面をゴロゴロ転がっていく。
馬から飛び降りたレナルドが、エスター卿に駆け寄ってその腕を捻り上げた。
しかし、エスター卿は抵抗しなかった。落馬の衝撃で気を失ったようだ。
「殿下、お怪我は!?」
「だ、大丈夫です」
気丈に答えるが、セレスティーヌの足は震えている。
それを見たレナルドが、立ち上がって頭を下げた。
「危険な目にあわせてしまい申し訳ありませんでした」
続けて周囲を警戒しながら言う。
「戦況はよくありません。馬車の準備が出来ましたので、すぐにここから」
レナルドの言葉は、突然湧き起こった喊声に掻き消された。
うわぁぁぁ!
全方位から鬨の声が響き渡る。
「くそっ!」
レナルドが唇を噛んだ。
ここは遠く離れた異国の地。援軍が来るはずもない。
来るとすれば、それは敵の増援だ。
だが、その予想はよい方向に外れた。
「セレスティーヌ殿下をお守りせよ!」
聞き覚えのある声がした。
同時に数十の騎兵がセレスティーヌを守るように周囲を固める。
驚くセレスティーヌの目の前に大きな黒毛が現れた。その背から下りた男が、セレスティーヌの前に膝を突く。
「ご無事で何よりです」
いかつい顔の武人、ギュレーロ卿がそこにいた。
「な、なぜ貴殿が?」
「説明は後ほど。今は敵の制圧が先です」
そう言うと、ギュレーロ卿は倒れている白髪の老人を見下ろした。
「愚かなことをしおって」
眉をひそめたギュレーロ卿は、大きく息を吸い込むと、とんでもなく大きな声で周囲に告げる。
「エスター卿は捕らえられた! 無駄な抵抗は止めて降伏せよ!」
戦場を圧するその声で戦いは終わった。
エスター卿配下の兵士たちが次々と武器を手放していった。
翌朝。
「死者三十五名、重傷者五十二名。遺体と重傷者、エスター卿の搬送に兵を割きますので、この先も同行できる者は百五十名ほどになります」
「分かりました。ご苦労様でした」
報告を終えた隊長が一礼して下がっていく。
それを見送ったギュレーロ卿が、険しい顔で言った。
「敵の数は約一千。それを三百の兵でよく守ったと思います」
セレスティーヌが力なく頷いた。
ギュレーロ卿がここに来たのは大公の指示だった。突然領地に帰ると言い出したエスター卿を怪しんだ大公が、ギュレーロ卿に兵を託してあとを追わせたのだ。
エスター卿の領地は、セレスティーヌたちの通る街道からそれほど離れていない。別の道を使って領地に帰り、兵を整えて野営地を襲ったのだろう。
「エスター卿は、殿下の訪問以降急速に孤立していきました。そして、殿下への恨みを口にするようになったのです。その様子は醜くもあり、哀れでもありました」
ギュレーロ卿が顔を歪める。
「年を取ると、物事に固執したり、感情が制御しにくくなると聞いたことがあります。わしも気を付けなければなりません」
そう言うと、ギュレーロ卿はセレスティーヌに頭を下げた。
「この度は大変なご迷惑をお掛けいたしました。国を代表してお詫び申し上げます」
「いえ」
曖昧に答えて、セレスティーヌはうなだれた。
エスター卿の行いが愚かであることは間違いない。しかし、それを誘発したのはセレスティーヌだ。
プライドの高い人物を叩きのめし、結果逆上させた。愚かなのはセレスティーヌも同じなのだ。
「国境までは私もご一緒いたします。その先の護衛は、元いた兵士たちに任せたいと思います」
「分かりました」
答える声は、蚊の鳴くように小さかった。
自分のせいで多くの命が失われた。
セレスティーヌは、自責の念で顔を上げることができなかった。
その心を見抜いたのだろうか。
ギュレーロ卿が話し出した。
「殿下のお立場や置かれた状況を考えると、殿下には今後も様々な試練が訪れることでしょう」
セレスティーヌがゆっくり顔を上げる。
「その苦しみや悲しみの先に何を見出すのか、それは殿下次第です」
泣きそうな顔をギュレーロ卿が見つめた。
「兵士が命を懸けて守ったもの。それは殿下の命だけではありません。それをお忘れなさるな」
「それは、承知しているつもりです」
弱々しい答えを聞いたギュレーロ卿が、孫を見るように優しい顔をする。
「宝石の原石が、磨かれた末にどのような輝きを放つのか。わしは、それを見てみたいと思っております」
セレスティーヌが目を見開き、またうつむいた。
「わたくしは」
それだけ言ってセレスティーヌは唇を噛んだ。
ギュレーロ卿はそれ以上何も言わなかった。
その日、セレスティーヌは遺体一つ一つに祈りを捧げた。
生き残った兵士には、詫びではなく感謝を伝えた。
翌日、首都へと引き返す兵士たちを見送ると、セレスティーヌは東を向く。
「出発しましょう」
毅然としたその姿を見て、兵士たちは背筋を伸ばした。
同じく姿勢を正したギュレーロ卿が、深く一礼した後、黒毛に跨がった。




