4-5
挑戦的な瞳がセレスティーヌを睨み付けている。
露骨に敵意を含んだ強い視線だ。普通の姫なら、その目を見ることすらできなかったに違いない。
しかし、セレスティーヌは普通の姫ではなかった。
「失礼ですが、エスター卿。貴公は、なぜ我が国の政権が不安定だと断じるのでしょうか。理由如何によっては、王国を挙げて抗議させていただきますが」
強気の虫が顔をもたげる。
怒れるサファイアの瞳が、エスター卿を強く睨み返した。
「礼を述べに参った使者に対して、その国の政権が不安定だと言う。礼を失するにもほどがありますし、冗談だとしても笑えませんわね」
セレスティーヌを小娘と侮っていたエスター卿は、予想外の反撃にあって狼狽えた。
「いや、そういうつもりでは」
「ではどういうおつもりだったのでしょうか」
間髪入れずにセレスティーヌが追及する。
「シャブラン公国では、このような非礼が当たり前なのでしょうか。それとも、わたくしの常識がおかしいのでしょうか」
「それは……」
「わたくしには外交経験がございません。よって、実は貴公のような無礼な態度が至極普通の事なのかもしれません。そうだとしたらお詫びを申し上げます。ですが」
あえてそこで言葉を切って、セレスティーヌはエスター卿を鋭く見た。
張り詰めた空気をさらにヒリつかせるように、十分な間を取った後、セレスティーヌが言い放つ。
「もし貴公の言葉が常識にそぐわないものだとするならば、そのような人物が中枢にいるこの国を、わたくしは軽蔑させていただきます」
そこにいる全員が凍り付いた。
「さあ、お答え下さい。わたくしは、一言一句、貴公の言葉を覚えて帰ろうと思います」
強烈なプレッシャーを受けて、エスター卿が震え出した。
それを見て、さすがの大公も身を乗り出す。
「セレスティーヌ様、エスター卿は」
「わたくしはエスター卿に聞いているのです」
セレスティーヌは大公など見向きもしない。
「なぜ黙っておられるのですか。思うままをおっしゃって下さればそれでよいのですよ」
やはり本質は変わらなかった。
少し前までの、相手を徹底的に叩きのめしてしまうセレスティーヌがそこにいた。
エスター卿が、目を伏せる。
「申し訳ありませんでした」
明らかな敗北宣言だ。
だが、セレスティーヌは逃げることを許さない。
「謝ってほしいなどと申した覚えはございません。貴公のような態度を取ることがこの国では常識なのか、あるいは外交の場では当然のことなのか、それをお聞かせ下さいと申し上げたのです」
セレスティーヌの顔が険しさを増していく。
「国の重鎮である貴公が、考えもなしにあのような発言をするはずがないとわたくしは思っております。それとも、本当に何も考えることなく、条件反射のように言葉が出たとおっしゃるのでしょうか」
エスター卿が完全に沈黙した。
白旗を揚げることすら許されないのであれば、もはや為す術はない。
戦意を無くした相手を見て、セレスティーヌの刃がますます研ぎ澄まされていく。
「この期に及んでだんまりとは、情けないお方ですね。このような方が統治に関わっているシャブラン公国という国は、実は大したことのない……」
その時。
「それ以上は我が国を侮辱したと見做しますが、よろしいか」
突然野太い声が響いた。
驚いたセレスティーヌが、テーブルの左奥を見る。
いかつい顔で腕を組んでいた武人が、ギロリと目玉を動かした。
「エスター卿の発言は、たしかに無礼なものだった。あなたがお怒りになるのももっともだ」
腕組みを解き、体をセレスティーヌに向けて武人が言う。
「しかし、あなたの追及は度が過ぎている。まさに外交経験の無さを露呈したと言っていいだろう」
セレスティーヌが唇を噛んだ。
「セレスティーヌ・ド・ベルクールは世間知らずの我が儘姫であると、我が国にも風聞が届いておる。あなたは、その風聞通りのお方なのですかな」
重い反撃を食らって、セレスティーヌがうつむいた。
テーブルを見つめたまま、小さな声でセレスティーヌが言う。
「わたくしが未熟でした。申し訳ありません」
謝罪の言葉は震えていた。
それは屈辱のためではない。
それは、後悔と自己嫌悪。
アルフォンスに言われていたはずなのに。
気を付けていたはずなのに。
セレスティーヌが口を閉ざして拳を握る。
場の空気が一変した。
攻守交代どころではない。この状況では、セレスティーヌが何を言っても鼻で笑われるだけだろう。
交渉は失敗したのだ。
自分の愚かさがこの結果を招いたのだ。
セレスティーヌが強く目を閉じる。
その目にじわりと涙が滲んでいく。
部屋の中が静まり返った。
そこに、ふと落ち着いた声がした。
「ギュレーロ卿。貴公の言葉も、隣国の使者に向けるには失礼かと思いますが」
それは大公だった。
指摘されたギュレーロ卿が、頭を下げる。
「申し訳ございません。年甲斐もなく分別をなくしてしまいました」
続けてセレスティーヌに向き直ると、両手を足の付け根にきっちり引き付けて、テーブルにつくかと思うほど深く頭を下げた。
「言葉が過ぎました。どうかお許し頂きたい」
慌てて涙を拭いて、セレスティーヌが顔を上げる。
「いいえ、こちらこそ言葉が過ぎました。本当に申し訳ございませんでした」
それを聞いて、ギュレーロ卿が顔を上げた。
見れば、セレスティーヌが決まり悪そうに目を伏せている。
その姿を見て、いかつい顔が、破顔した。
「単身で他国を訪れることの出来る胆力と、過ちを即座に認める素直な心。あなたは、噂とはまるで違う素晴らしいお人だ」
「え?」
驚くセレスティーヌにギュレーロ卿が言った。
「ベルクール王国にセレスティーヌ・ド・ベルクールあり。あなたの今後の活躍を楽しみにしておりますぞ」
その顔はとても嬉しそうだ。
「あ、ありがとうございます」
セレスティーヌが頬を染める。
驚きと戸惑いが、やがて面映ゆい嬉しさへと変わっていった。
セレスティーヌが恥ずかしそうに微笑む。
それを見守るギュレーロ卿も微笑んでいる。
「さて、挨拶も済んだことですし、本題に入りましょうか」
突然、大公が張りのある声で話し始めた。
「我が国は、”今のところ”貴国と敵対するつもりはございません。ですが、同盟を結ぶという段階でもないと考えております」
セレスティーヌがギクリとする。
「互いに対等な立場で交流していきたい。そう思っておりますが、いかがですか?」
さすがは一国を束ねる人物である。セレスティーヌの茶番も緊迫したやり取りもさらりと流し、自国の非を認めることもなく、対等な立場を主張してきた。
セレスティーヌが考える。
「そうですね」
お腹にぐっと力を込め、覚悟を決めてセレスティーヌは大公を見た。
「同盟を結ぶ段階にないというご意見には同意します。両国は、”今のところ”互いに信頼し合える状態ではありませんから」
何人かの顔が引き攣ったが、大公はまったく表情を変えない。
「ただ」
セレスティーヌが、その美しい顔に笑みを浮かべた。
「両国の関係は、民の交流を妨げるほど険悪ではないとも思っております」
「民の交流?」
大公が首を傾げた。
「はい。貴国は海に囲まれた海洋国家。我が国は交通の要衝に位置する商業国家。かねてより物の行き来はございましたが、それをもう少し促進してもよいのではないでしょうか」
「なるほど」
大公の顔が緩んだ。
「まずは通商条約を結ぶ。その後は、互いの信頼関係に応じて距離を取るなり縮めるなりすればよい。わたくしはそう思っておりますが、いかがでしょうか」
セレスティーヌが大公を真っ直ぐ見つめた。
大公もセレスティーヌを真っ直ぐ見つめた。
テーブルの端で、ギュレーロ卿がにやりと笑う。
短い沈黙の後、大公が答えた。
「大変興味深いお考えです。一度実務レベルで協議してもよいかもしれませんね」
慎重な回答だ。
しかし、公国の政権構造を考えると仕方ないことなのかもしれない。
「ありがとうございます。わたくしも、帰国次第会議に諮ることにいたします」
友好条約の締結とはいかなかったが、少なくとも敵対関係の解消はできたと思われる。
セレスティーヌがホッと息を吐き出した。
そこに大公の明るい声がする。
「難しい話はこれで終わりにしましょう」
大公が立ち上がった。
「我が国はセレスティーヌ殿下を歓迎致します。長旅でお疲れでしょう。今宵はゆるりとお休みいただいて、明日、改めてお話をさせていただけたらと思います」
「お心遣い感謝いたします」
セレスティーヌも立ち上がって大公に歩み寄った。
差し出された大公の手を、セレスティーヌがしっかりと握る。
ほかの貴族も立ち上がって、微笑みながら二人を囲んだ。
その中で、一人だけ苦虫を噛み潰したような顔があったが、誰もその人物を見ることをしなかった。
翌日。
朝食を終えたセレスティーヌの元に、ギュレーロ卿がやってきた。
「昨日は失礼なことを申し上げてしまいました。改めてお詫び申し上げます」
「いいえ。ギュレーロ卿のご指摘は的を射たものでした。感謝こそすれ、気を悪くすることなどあり得ません」
セレスティーヌがにこりと笑う。
「やはりあなたは素晴らしいお方だ」
ギュレーロ卿も楽しそうに笑った。
「ところで、後ろに控える騎士殿ですが」
ふいにギュレーロ卿がセレスティーヌの後ろに目を向ける。
「よろしければ、お名前を伺ってもよろしいか?」
「はい」
驚きながら、セレスティーヌが後ろに言った。
「レナルド、ご挨拶を」
「はっ!」
踵を鳴らしてレナルドが答える。
「ベルクール王国騎士団、第一大隊所属、レナルドと申します」
「レナルド殿と申すか」
ギュレーロ卿が満足そうに頷く。
「実は、昨日から貴殿の様子を見て感心していたのだ。主が何を言っても、何を言われても表情一つ変えることがない。しかし、その目は常に我らの動きを追っている。主を信頼し、己の役割を全うする。まさに騎士の鑑であると思ってな」
「き、恐縮です」
さすがのレナルドも驚いた。
「もしよければ、わしの孫娘と会ってはくれまいか。わしに似て気は強いのだが、根は優しい子だ。貴殿のような立派な男になら、あの子も」
「ギュレーロ卿」
セレスティーヌが割って入る。
「お気持ちはありがたいのですが、レナルドはわたくしの護衛です。この国に残ることはできませんし、お孫さんが我が国に来ることも難しいでしょう」
「ま、まあ、そうですな」
ギュレーロ卿が恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いやあ、面目ありません。レナルド殿の堂々とした姿を見て、つい」
子供みたいにしょげる姿を見て、セレスティーヌが笑った。
「お孫さんを大切に思っていらっしゃるのですね。いいご縁があることをお祈り申し上げます」
「ありがとうございます」
礼を言ってギュレーロ卿が立ち上がった。
「では、私はこれで」
クルリと向きを変えて扉へと向かう。
その足が、ふと止まった。
「これは私の独り言ですが」
そう言って天井を向く。
「使者と手紙しか寄越さぬ相手と、自ら足を運んで目を見て語る相手。どちらを選ぶかと聞かれたら、私は、間違いなく後者を選びます」
「ギュレーロ卿?」
「では」
わずかに振り向いた後、今度こそギュレーロ卿は扉を開けて出て行った。
使者と手紙……
考えながら、セレスティーヌが椅子にストンと腰を落とす。
その横にレナルドが立った。
「殿下、先ほどはありがとうございました」
「何のことですか?」
見上げるセレスティーヌにレナルドが言う。
「ギュレーロ卿のお申し出を断っていただいたことです」
「あぁ」
ぼやけた答えを返したセレスティーヌが、急にいたずら顔になった。
「もしかして、余計な事をしてしまいましたか?」
すると、恐ろしく真面目な顔でレナルドが答えた。
「私は殿下の護衛です。職務を全うすることが私の使命。女性と付き合うとか家庭を持つなど考えたこともございません」
「そ、そうなのですね」
真っ直ぐな答えにセレスティーヌは苦笑い。
「ですが」
苦笑を微笑みに変えて、セレスティーヌが言った。
「あなたが評価されたことは、わたくしも自分の事のように嬉しく思います。今後ともわたくしを護ってくださいね」
「はっ、命に替えても殿下をお守りいたします!」
もの凄く気合いの入った敬礼が返ってきた。
もう一度苦笑いをして、セレスティーヌは窓の外を見る。
この後は大公と再度の会談だ。夜には歓迎レセプションも予定されている。
昨日の大公の反応といい、今朝のギュレーロ卿の訪問といい、間違いなく流れは良い方向に向かっている。油断は禁物だが、交渉の山は越えたとみてよいだろう。
ガラスの向こう、空を流れる白い雲は、故郷のそれと変わらない。
皆、どうしているかしら
両親や兄弟、騎士団長やメイドたちの顔が浮かんでくる。
その中に、あの忌々しい顔があった。
予定外の出来事はあったが、結果的に公国との関係改善は実現できた。道のりは遠いが、友好条約締結の可能性も見えている。
初めての外交でこの成果。”あの権利”の行使を主張しても文句は言わないはずだ。
あの男と会う日が楽しみですわ!
雲を見ながらセレスティーヌが妖しく笑う。
その視線を辿ったアンナが、何の変哲もない雲を見上げて、不思議そうに首を傾げた。




