4-2
行軍中、セレスティーヌは事あるごとに兵士たちに話し掛けた。最初は戸惑っていた兵士たちも、今では声を掛けられるのを楽しみにしている。山を越えてシャブラン公国領に入る頃には、すべての兵士がセレスティーヌに笑顔を向けるようになっていた。
麓の村が遠くに見えた所で一行は小休止をとった。
ここから村まではなだらかな下りのみ。難所は完全に越えたとみていいだろう。
越えてきた山を見上げながら、セレスティーヌはお茶を飲んでいた。近くに湧き水があったので、アンナが汲んできてお湯を沸かしてくれたのだ。
そこにセドリックがやってきた。
「アルフォンスさんからの伝言をお伝えしてもよろしいでしょうか」
「伝言?」
「はい。シャブラン公国に入ったらお伝えするよう言われておりました」
首を傾げながらもセレスティーヌが頷いた。
「聞きます」
「かしこまりました。では、アルフォンスさんの言葉通りにお伝えします。失礼な言い回しがあると思いますが、ご容赦ください」
「いつものことです、気にしません」
アルフォンスの言葉遣いについては諦めている。今さら怒る気にもならなかった。
「では」
思い出すように一度目を閉じてから、セドリックが話し始めた。
「シャブラン公国では、お前の美しさと賢さを見せ付けてこい。なるべく多くの貴族、多くの民の目に触れるよう行動して、公国全域にお前の噂が広まるようにしろ」
セレスティーヌが目を見開いた。
もとより美しさと賢さには自信があるが、それを見せ付けるというのは少々品がない気がする。
セレスティーヌが顔をしかめるが、構わずセドリックは続けた。
「民には親しみやすい姫だと印象づけろ。ただし、困っている民を救おうとはするな。余計なことをして、その地の統治者の機嫌を損ねてはいけない」
セレスティーヌの顔に不満が浮かんだ。
民とは話してみたいと思っていたし、親しみやすい印象を与えるのも悪くないと思う。だが、困っている民に何もしないというのはどうなのだろうか。
何か言いたそうなセレスティーヌを見て、セドリックが言った。
「民を救おうとしてはいけない。これは絶対に守るようアルフォンスさんから言われています」
「分かっています。何度も言う必要はありません。」
不機嫌に言って、セレスティーヌが目をそらす。
「次で最後です」
最後と言われて、仕方なくセレスティーヌは視線を戻した。
「シャブラン公国は、地域によって気候が変わる。服装や寝具を工夫して、風邪を引かないように気を付けろ。以上です」
「わたくしは子供ではありません!」
思わず叫んで、セレスティーヌは後悔した。これはアルフォンスの伝言であってセドリックの言葉ではない。
気まずさをごまかすように、セレスティーヌが聞いた。
「あの男は、今どこで何をしているのですか?」
「申し訳ありません、分かりません」
相変わらず勝手に動いているらしい。
セレスティーヌが大きくため息をつく。
その時、一緒に聞いていたレナルドが険しい顔で言った。
「あの男のことは気に入りませんが、殿下の名声を広めることには賛成です。護衛として、殿下を辱めることのないよう務めます」
驚いてレナルドを見ると、反対からアンナの声もする。
「私もあの男を好きではありませんが、健康に気遣うことは大切です。服装や寝具はお任せください。お食事を含めて、お体によいものをご用意いたします」
二人ともやけに真剣な表情だ。気に入らないと言いながら、二人はアルフォンスの伝言を重く受け止めているらしい。
とても不愉快だったが、それをぐっと飲み込んで、セレスティーヌは鷹揚に頷いた。
「よろしく頼みます」
これまでもアルフォンスの言葉は正しかった。今回も素直に従うべきなのだろう。
本当に腹立たしい
心の中で悪態をつきながら、セレスティーヌはお茶を一息に飲み干した。
麓の村に到着したのは午後の早い時刻だった。
まだ日は高かったが、一行は村の外れで野営の準備を始める。補給を兼ねて、兵と馬を休めるためだ。
レナルドとセドリックも馬車から荷物を下ろし始めた。
そこに、村長がやってきた。
「この度は、遠路はるばるお越し頂きまして」
平伏しながら、村長がボソボソと挨拶をする。
辺境の村の村長に貴賓をもてなした経験などあるはずがない。ましてや相手は隣国の姫君。どうしたらいいか分からないのだろう。
シャブラン公国に入って最初の民との交流。親しみやすさを印象づけなければならない。
見ていなさい、アルフォンス
心の中で呟いて、セレスティーヌは優しく声を掛けた。
「村長、どうか顔を上げて下さい」
「は、はい」
恐る恐る体を起こした村長に、セレスティーヌがにこりと微笑む。
「セドリック、村長に椅子を」
「はい」
村長を椅子に座らせると、自身も正面に座った。
「村を騒がせてしまってごめんなさい。わたくしたちは、皆さんに迷惑を掛けるつもりはありません。ただ、食料は分けてもらいたいと思っていますので、出来る範囲で協力いただけると助かります。もちろん、代金はきちんと支払います」
「それはありがたいことで」
村長が安堵のため息をついた。
「それから、寝床の提供も必要ありません。わたくしも兵士たちもこの場所で休みますので」
「そ、そうなのですか?」
自分の家を使ってもらおうと考えていたに違いない。村長は明らかに驚いていた。
「皆さんはいつも通りに過ごしていて下さい。こちらからのお願いも、無理なら断ってくださって結構です」
村長の目が大きく広がった。
その目に向かって柔らかく微笑むと、セレスティーヌが後ろを振り向く。
「皆も分かりましたね?」
「はっ!」
レナルドとセドリック、そして隊長が背筋を伸ばした。
視線を戻して村長に言う。
「わたくしたちは、明日の朝には出発します。それまでは少し騒がしくなるかもしれませんが、何か問題があったら申し出てください。すぐに対処しますので」
「はい、ありがとうございます!」
答える村長の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
それは安堵のためか、それとも感激か。
いずれにしても、村長はセレスティーヌに好印象を持ったようだ。
「わしらに出来ることがあれば、何でもいたします。遠慮なくおっしゃってください」
「ありがとう、助かります」
笑顔で去って行く村長を見送りながら、セレスティーヌが得意げに呟く。
「ここにあの男がいないのが残念でならないわ」
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、何でもありません」
澄まし顔でレナルドに答えて、セレスティーヌは颯爽と踵を返した。
その日の夕方、村長と数人の村人が差し入れを持ってやってきた。
村で採れた果物とそれを使ったパイ。そしていくらかの酒。
そのお礼にと、セレスティーヌは村長たちを夕食に誘った。村長たちは、喜んでそれを受けた。
夕食は賑やかだった。
セレスティーヌが笑うと皆も笑う。
セレスティーヌが聞くと、皆が一生懸命答える。
兵士たちも加わって、その夜はちょっとした宴会になった。
大いに盛り上がった宴が終わると、手を振りながら村長たちは帰って行った。
歩く村人たちの楽しそうな会話がセレスティーヌの耳にも聞こえてくる。
「噂なんて嘘だったじゃねぇか」
「まったくだ。あんなにきれいで優しい姫様は見たことがねぇ」
「お前、ほかの姫様を見たことあんのか?」
「ない!」
「ははは!」
遠ざかる村人たちを見ながら、セレスティーヌがにやりと笑う。
その笑みはきれいで優しい姫様とはちょっと違ったのだが、それに気付く者は誰もいなかった。
翌朝、村人たちに見送られて出発した一行は、公国の首都を目指して西へと進んだ。
のどかな牧草地帯を過ぎ、針葉樹の林を抜けると、人や荷馬車が行き交う大きな町に到着する。ここは街道が交差する交通の要衝で、この地方を治める領主の住む町でもあった。
その町の入り口に、領主と大公の使者が待っていた。それを見付けた隊長が、セレスティーヌの馬車に馬を寄せる。
「殿下、いかが致しますか?」
少し考えたセレスティーヌが、隊長に聞いた。
「この町に広場はありますか?」
「広場ですか? たしかあったと思いますが」
首を傾げながら隊長が答えた。
この町は行きに通ってきている。記憶では、町の中央に円形の広場があった。
「では、ご領主と大公の使者には、その広場でお会いしたいと思います。広場ですので、当然人払いは不要です。椅子もテーブルも必要ありません。町の皆さんの目の前で、お礼の言葉を申し上げたい。そう伝えてきてください」
「かしこまりました」
隊長は何かを察したようだ。にこりと笑うと、馬を走らせて町の入り口へと急ぐ。
その背中を目で追いながら、セレスティーヌが言った。
「茶番の第一幕、最初の正念場ですわ」
その顔は、思わずアンナが目を見開くほど険しかった。
広場中央の小さな噴水。それを背にして一つの銅像がある。この地を拓いたとされる偉人のものだ。
その銅像の前で、領主と使者はセレスティーヌたちを待っていた。
二人の顔には明らかに戸惑いが浮かんでいる。
ベルクール王国の第二王女は、世間知らずの我が儘姫
事前に得ていた情報ではそうだった。ゆえに、屋敷で大いにもてなし、チヤホヤとおだて上げ、調子に乗らせて王国の真意を聞き出すつもりだった。
それがこんな場所で、しかも立ったまま会うことになるなど想定外もいいところだ。
セレスティーヌの来訪はすでに町中に伝わっていた。
隣国の王女を一目見ようと広場は見物人で溢れている。建物の窓にも人が張り付いていて、円形の広場はさながら劇場の舞台のようだ。
「我が儘姫の考えることは分かりませんな」
「まったくです」
小声で話す二人の耳にどよめきが聞こえてきた。目を向けると、群衆が道を空けたその間から騎士に先導された馬車がやってくる。
それに続くのは三百の兵士だ。皆シャブラン公国の軍服を着ていた。
二人の前に馬車が止まった。
三百の兵士が馬車の後ろに整列した。
騎士が素早く下馬して馬車の扉を開く。
騎士の手を借りながら、ゆっくりと第二王女が降りてきた。
途端。
「おおぉっ!」
「何てきれいなの!」
あちこちから感嘆の声が上がった。
その姿をよく見ようと群衆が身を乗り出す。
緩やかに揺れるブロンドの髪と、透き通るようなサファイアの瞳。
気品溢れる顔立ちは、まるで名工の手掛けた人形のようだ。
身に纏うのは装飾の少ないシンプルなドレスだが、それがかえって本人の美しさを際立たせている。
「これが、王国第二王女」
領主が思わず声を漏らした。
目を見開く二人の前に、美しい姫がふわりと立つ。
その姫が、鮮やかに微笑んで二人を見つめた。
「初めてお目に掛かります。ベルクール王国第二王女、セレスティーヌ・ド・ベルクールと申します」
桜色の唇が優雅に名乗った。
うっとり見惚れていた二人が、慌てて答える。
「わ、私は、大公の使者として参りました……」
あたふたと名乗り終えた二人に穏やかに頷くと、セレスティーヌは、広場全体に響かせるように、ゆっくり大きな声で話し出した。
「過日起きた、我が国における民衆の反乱は、ひとえに統治者たるわたくし共の未熟さゆえのものでした」
いきなり飛び出した反乱という言葉に人々が驚く。
隣国で起きた出来事など住人が知る由もない。何を言い出すのかと全員が耳を澄ませた。
「その反乱の予兆を、ここにいる貴国の兵士たちが掴んでいたのです」
事情が飲み込めないまま人々が続きを待つ。
「隣国で何が起きようが、普通なら気にも留めないことでしょう。しかし、ここにいる兵士たちは違いました。無駄な血を流させてはならないと、我が国に使者を送ってくれたのです」
民衆がどよめいた。
それが鎮まるのを待って、セレスティーヌが続きを語る。
「そのおかげで、我が国は反乱を事前に知ることができました。ところが、その地域にはすぐに動ける軍がいなかったのです。それを知った兵士の皆さんは、どうされたと思いますか?」
問い掛けるようにそう言うと、セレスティーヌはゆっくり後ろを向いた。
そして、三百の兵士に向かって両手を広げると、すべての観衆に届けとばかりに声を張り上げる。
「兵士の皆さんは、反乱を防ぐために、遠路はるばる我が国へとやってきて下さったのです!」
途端にあちこちから声が上がった。
「そうなのか?」
「すごいな」
兵士たちに観衆の視線が集まった。
観衆を見回したセレスティーヌが、領主と使者に向き直る。
「残念ながら、反乱自体は起きてしまいました。ですが、驚くべきことに、反乱による犠牲者はほとんど出ておりません。それは、ひとえにここにいる兵士の皆さんのおかげなのです。そのお礼を申し上げるために、わたくしはベルクール王国を代表して参りました」
セレスティーヌが姿勢を正した。
続けて大きく息を吸い込むと、全身を共鳴させるように、よく通る声で言った。
「勇敢なる兵士の皆さんと貴国に対して、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました」
両手を前で揃え、背中をきっちり折って、セレスティーヌが頭を下げた。
「えっと」
領主が何か言い掛けたが、その声は湧き上がる歓声で掻き消された。
「いいぞ!」
「シャブラン公国の誇りだ!」
賛辞を受けて、兵士たちが”打ち合わせ通りに”胸を張る。
顔を上げたセレスティーヌが、改めて声を張り上げた。
「わたくしは、貴国が隣国であることを誇りに思います」
観衆を振り向いて、セレスティーヌが大きく両手を広げた。
「シャブラン公国と、この国に住むすべての人々に大いなる幸があらんことを!」
うぉー!
大歓声が湧き起こった。
「シャブラン公国に栄光あれ!」
「公国万歳!」
「大公万歳!」
叫ぶ群衆に向かって、セレスティーヌが丁寧に頭を下げた。
その謙虚な姿に、群衆の興奮はクライマックスへと上り詰めていく。
「ベルクール王国万歳!」
「セレスティーヌ殿下、万歳!」
顔を上げてにこりと微笑み、領主と使者にもう一度頭を下げると、セレスティーヌはそのまま馬車に乗り込んだ。
騎士を先頭に一行が広場を出て行く。
その後を歓声が追い掛けていく。
静かになった広場では、役目を果たすことの出来なかった領主と使者が呆然と佇んでいた。




