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国境を形成するモンチェスト山脈は、最高峰にこそ雪が積もるものの、平均標高は高くない。季節を選べば馬車で越えられる街道もあって、古来より人の往来は盛んだった。
緩やかな上り坂を越えて高原に出ると、セレスティーヌは馬車の窓に張り付いた。
「なんて美しい景色なのでしょう!」
山肌を埋めるのは鮮やかな若草色の野草たち。一面緑のその中に、白やピンクの小さな花がゆらゆら揺れている。
空は澄み渡るように晴れていて、大地との境界線をくっきりと描いていた。
「見て、アンナ。今うさぎが跳ねたわ!」
興奮したセレスティーヌがアンナの体を揺すった。
しかし、アンナは目線を窓に向けただけで、笑顔を浮かべることすらしない。
出発してからアンナはずっとこんな調子だ。顔も体も強張りっぱなしで、話し掛けてもあまり返事をしなかった。
「そんなに身構えていては体が持たないわ。アンナも国外に出るのは初めてなのだから、もっと楽しまないと」
言われたアンナが、少し怒ったように言った。
「敵に囲まれて敵地に向かうというのに、どうして楽しむことなどできましょう」
セレスティーヌが呆れたように答える。
「何度も言ったではありませんか。兵士たちもシャブラン公国も、敵ではないのです」
「ですが」
アンナにとって、シャブラン公国は王国侵略を企んだ敵だ。そう思うからこそ、そこに乗り込もうというセレスティーヌに同行を願い出たのだ。
険しい表情を崩さないアンナに向かって、セレスティーヌが諭すように言う。
「そんな顔をしていては、護衛をしてくれている兵士やこれから会う人たちに悪い印象を与えてしまいます。笑えとは言いませんが、もう少し穏やかな顔をしていなさい」
少し前までとは真逆である。セレスティーヌがアンナを説教していた。
「……かしこまりました」
アンナが渋々頷いた。
その時、ふいに馬車が止まる。
「ここで昼食を取ります。殿下もお降りになりますか?」
馬車の外からレナルドの声が聞こえた。
「降ります」
セレスティーヌは即答。
続いてアンナに厳しい声を投げた。
「アンナも一緒に来なさい」
「え?」
目を見開くアンナに構わず、開いた扉からセレスティーヌは外へ出た。そしてアンナを振り返る。
主命とあれば仕方ない。まさに嫌々という顔でアンナは馬車を降りた。
二人の下車を手伝ったレナルドが、用意していた折りたたみ椅子を広げて言う。
「食事の準備をいたします。ここで少しお待ちください」
すると。
「わたくしは、兵士たちと一緒に食事をとります」
「兵士たちと?」
「そうです。皆さんと同じものをいただきながら、皆さんと話がしたいのです」
そう言うと、セレスティーヌが周りを見回す。
「あの一団のところに行きます。アンナ、ついてきなさい」
「セレスティーヌ様!」
「殿下!」
アンナとレナルドが驚きの声を上げるが、セレスティーヌはさっさと歩き出してしまった。
それに素早く反応したのはセドリックだ。椅子を畳んで抱えると、そのままセレスティーヌに従った。
アンナも渋々ついていく。レナルドは、一瞬考えてから荷馬車へと走った。そして、食器の入ったバスケットと組み立て式の小さなテーブルを取り出すと、急いでセレスティーヌの後を追った。
食事の準備をしていた二十人ほどの兵士たちは、セレスティーヌの姿を見ると慌てて立ち上がって敬礼をした。
緊張する面々に向かって、セレスティーヌが笑顔で言う。
「ご一緒してよろしいかしら」
「は、はい!」
「わたくしも、皆さんと同じものを食べてみたいと思うのですが」
「同じものをですか!?」
「そうです」
驚く兵士に、セレスティーヌがにこりと微笑む。
「か、かしこまりました」
戸惑いながらも兵士たちは昼食の準備を再開した。
セドリックが広げた折りたたみ椅子に腰を落とすと、セレスティーヌはアンナを無理矢理隣に座らせた。
二人の前に、レナルドがテーブルを組み立てて据え付ける。その上にセドリックが食器を並べていく。
そうこうしているうちに、兵士たちの食事の準備が整った。セレスティーヌのテーブルにも、兵士と同じ食事が用意される。
離れようとする兵士たちを手招きして近くに座らせると、セレスティーヌがご機嫌な声で言った。
「では、いただきましょう」
皆が見守る中、セレスティーヌが最初に手に取ったのは、ワインの入ったコップだった。
中身を見つめながら、一番近くにいる兵士にセレスティーヌが聞く。
「どうして水やお茶ではないのですか?」
行軍中にお酒を飲むのは不謹慎ではないのだろうか。
それとも、セレスティーヌに気を遣ったのだろうか。
怪訝な表情のセレスティーヌに、恐る恐る兵士が答えた。
「この街道は、山を越えるまで水場がありません。水は腐りやすくて長期間持ち歩けないので、行軍中はワインを飲むことも多いのです」
「そうだったのですね」
納得という顔で頷いて、セレスティーヌがワインを一口飲む。
答えた兵士も、ホッとしたようにワインを飲んだ。
続いてセレスティーヌが堅パンを手にする。
「これはずいぶん堅そうですわね」
堅パンを指で突くセレスティーヌに、別の兵士が答えた。
「軽くて保存がきくように、水分を飛ばしてあるんです」
「なるほど」
「そのままだと堅すぎるので、ワインに浸して食べるといいです」
兵士が自分でやってみせる。
セレスティーヌも、真似をして食べてみた。
「これならどうにか食べられますわね」
セレスティーヌが笑った。
その笑顔につられて、若い兵士が話し出す。
「油断しちゃだめですよ。うちのじいちゃんは、堅パンで歯を折っちまったんですから」
「歯が折れるのですか!?」
驚くセレスティーヌに兵士が言う。
「じいちゃんは漁師で、魚の骨もボリボリ食っちゃう人だったんすけど、堅パンをそのまま食ったら、前歯を二本やっちまいました」
「まあ」
セレスティーヌが目を丸くした。
「お爺様はまだお元気なのですか?」
にこっと笑って兵士が答えた。
「今でも毎日漁に出てます。あの調子じゃあ、当分お迎えは来ないんじゃないっすかねぇ」
楽しそうな兵士を見て、セレスティーヌも笑った。
この後も、セレスティーヌは兵士たちにいろいろなことを聞いていった。
食事のこと、故郷のこと、家族のこと。
王宮では知り得ないことばかりで、セレスティーヌは驚きっぱなしだ。素直なその反応に、兵士たちの答えも弾んでいく。
すっかり話に夢中になったセレスティーヌが、ふと後ろを見た。先ほどからレナルドが何度も咳払いをしている。
「殿下、お時間です」
周りを見れば、ほかの兵士たちは出発の準備をしていた。
それに兵士たちも気付く。
「申し訳ありません、我々も」
「そうですわね。昼食の邪魔をしてしまってごめんなさい」
「いいえ!」
「お話できて光栄でした!」
立ち上がる兵士たちと笑顔を交わして、セレスティーヌは馬車に戻った。
キャビンに乗り込んでアンナと向き合うと、ニコニコしながら言う。
「ね、敵ではなかったでしょう?」
「まあ、そうですね」
アンナがため息をつき、そして微笑みながら言った。
「セレスティーヌ様は、いつの間にか大きくなられたのですね」
途端にセレスティーヌが頬を膨らませる。
「わたくしはもう子供ではありません」
「そうでした」
不満そうなセレスティーヌを見て、アンナが嬉しそうに笑った。




