3-16
荷台で黙り込むセレスティーヌに、御者台のレナルドが聞いた。
「本当にシャブラン公国に行かれるのですか?」
セレスティーヌは答えない。
「我が国に害を為そうとした国に、ろくな護衛もなしで行くなど自殺行為です」
重ねての言葉に、ようやくセレスティーヌは反応した。
「分かっています。ですが」
それだけ言って、セレスティーヌはまた黙った。
シャブラン公国に行けと言われた時には、何を馬鹿なことをと思った。しかし、その意義や目的を説明されたセレスティーヌは、結局納得してしまっていた。
加えて、アルフォンスの安い挑発にも乗ってしまっている。
「お前、まさか怖いのか?」
「そ、そんなはずないでしょう?」
「じゃあ行けるな」
「もちろんですわ!」
自分の軽率さに呆れるが、こうなったら仕方ない。
「はぁ」
ため息をついたセレスティーヌが、レナルドに言う。
「わたくしは、シャブラン公国に行こうと思います」
「……」
返事はなかったが、さりとて反対もなかった。
「レナルド、そしてセドリック。わたくしと一緒に来てくれますか?」
「かしこまりました」
先に答えたのはセドリックだった。何の気負いもなく、当たり前のように頷く。
張り合うようにレナルドも答えた。
「主命とあらば、どこへでもお供いたします」
ピンと伸びた背中と、真っ直ぐ自分を見る瞳に向かってセレスティーヌが礼を言う。
「ありがとう」
その瞬間からセレスティーヌの頭脳は動き始めた。
王族の責務を果たすため、セレスティーヌは覚悟を決めた。
屋敷に戻ったセレスティーヌは、ちょうど会議をしていたモーリスたちに、自分がシャブラン公国に行くことを伝える。
「それはさすがに無謀ではないでしょうか」
「では、これ以上の案があるというのですか?」
モーリスが目を伏せた。同席していた参謀たちも騎士団長も、眉間に皺を寄せてテーブルを睨む。
まさに今もシャブラン公国対策を話し合っていたところだった。その議論はここ数日まったく進んでいない。
黙り込んだ皆を見渡して、セレスティーヌが言う。
「シャブラン公国は、地方貴族の力が強く統治が難しい国。現大公が国内を統一してから目立った争いは起きていませんが、いつまた内戦状態に戻ってもおかしくない土地柄です。ゆえに、あの国がモンチェスト山脈を越えて侵攻してきたことは、歴史を遡っても数えるほどしかありません」
「そうですな」
騎士団長が相槌を打つ。
「必然的に、あの国の為政者は内政に重点を置かざるを得ない。それなのに、外交問題になると分かっていて反乱の手助けをした。それには二つの理由があるはずです」
「二つですか?」
声を上げた参謀にセレスティーヌが視線を向ける。
「そうです。一つは、貴族たちの目を国外に向ける必要があったから。北、西、南を海に囲まれたシャブラン公国にとって、東は大陸へと続く唯一の道。山脈の向こう、つまり我が国の一部に大陸進出の橋頭堡を築くことができれば、国内の関心は当然大陸へと向かう。それを大公は狙っていたはずです」
「なるほど」
参謀が頷く。
「二つ目は、反乱に手を貸しても、我が国が公国に手を出せないと確信していたため」
「それは」
言い掛けたモーリスに向かって、セレスティーヌが強い声で言った。
「我が国の中に、シャブラン公国と密約を結んだ者がいるということです」
それを否定する者はいなかった。
それは全員が考えていたことだ。
「王国内の相当な実力者が裏で糸を引いている。その企みを砕くためには、是非ともシャブラン公国を味方に付けなければなりません。それが出来るのは、王族であるわたくし以外にないと思っています」
「王族という意味なら、僕でも」
弱々しい声をセレスティーヌが遮る。
「あなたはこの使者に向いていません。この地の混乱を鎮めることに全力を注ぐべきです」
モーリスがうつむいた。
「タイミングを逃せば意味がない。わたくしでなければ意味がない。どうか理解してください」
「しかし、殿下を単身で隣国に行かせることを、国王陛下は何とお思いになるか」
難しい顔の騎士団長にセレスティーヌが言う。
「陛下には、王都に戻った後わたくしから説明いたします。皆は、わたくしの我が儘に押し切られただけ。皆が処分されるなら、わたくしも同じ処分を受けましょう」
強い言葉に騎士団長が目を見開いた。
「護衛にレナルドを連れて行きたいと思いますが、騎士団長が反対するなら諦めます。わたくしは一人でも」
「お待ちください」
騎士団長の強い声がした。
背筋を伸ばし、まっすぐセレスティーヌを見つめる。
「私は、殿下の案に賛成いたします」
「騎士団長!?」
モーリスが驚きの声を上げる。
その顔を一度見つめ、視線をセレスティーヌに戻して騎士団長が言った。
「どうかレナルドをお連れください」
「ありがとう」
セレスティーヌが表情を緩めた。
「殿下にばかりご苦労をお掛けして申し訳ございません」
「レナルドはよくやってくれています。騎士団としての責務は果たしていますよ」
「ありがとうございます」
笑顔を交わす二人を見て、モーリスがため息をついた。
「分かりました、分かりましたよ。僕も賛成です」
「モーリス、ありがとう」
会議は決した。
こうして、壮大な茶番の準備が始まったのだった。
その日の夜、屋内修練場にシャブラン公国兵三百が集められた。その顔は一様に強張っていて落ち着きがない。
この十日間、彼らには十分な食事ときれいな寝床が与えられていた。取り調べはあったものの、拷問を受けることもなかった。
だが、それが一時的な措置であることは彼らにも分かっていた。王国の方針次第で首をはねられる可能性は十分あるのだ。
直立したまま待つこと数分。やがて修練場の扉が開く。
入ってきた人物が、用意されていた演壇にふわりと立った。
全員が目を見開く中で、その人物がきれいな声で話し始める。
「シャブラン公国の兵士の皆さん、こんばんは。わたくしは、ベルクール王国第二王女、セレスティーヌ・ド・ベルクールと申します」
煌めくブロンドの髪と透き通るサファイアの瞳。
人形のように整った美しい顔。
これが、第二王女セレスティーヌ
噂で聞く美しい姫が目の前にいた。
だが、王国の第二王女といえば、世間知らずの我が儘姫としても知られている。
そんな姫が、なぜ?
いぶかしがる兵士たちに向かって、その姫が驚くようなことを言った。
「皆さん、どうかわたくしに、力を貸してはくれないでしょうか」
「力を貸す?」
修練場がざわついた。
驚き、疑問、疑いの視線がセレスティーヌに集中する。それらすべて受け止めてから、セレスティーヌが説明を始めた。
「皆さんを処分すれば、シャブラン公国との間に禍根が残ります。さりとて、反乱に手を貸した皆さんを黙って帰すわけにもいきません」
全員が小さく頷く。
「ですが、皆さんが反乱の鎮圧に協力して下さったことにすれば、すべてが丸く収まるのです」
「協力した!?」
驚きの声が上がった。
自分たちは反乱に協力するために来たのだ。それなのに、それとは真逆の立場になれと言う。
どよめきが落ち着くのを待って、セレスティーヌが話し出す。
「兵士にとって命令は絶対。よって、皆さんに聞くのは酷なことだと思うのですが」
何を言い出すのかと兵士たちが注目する。
そこに、思い掛けない問いが投げ掛けられた。
「貴国と我が国は、長い間争ったことがありませんでした。それなのに、どうして皆さんは、我が国に敵対するようなことをしたのですか?」
厳しい問いである。
セレスティーヌも言ったように、兵士にとって命令は絶対だ。その善悪を考えていたら軍の統率が取れない。
しかし、実はそこにいる兵士の誰もが思っていた。
なぜベルクール王国に戦いを仕掛けるようなことをするのか
シャブラン公国は三方を海に囲まれている。ゆえに昔から海洋への進出は盛んだったが、地続きの隣国に侵入を試みたことはほとんどなかった。とくにベルクール王国が建国されてからは、ロベール家が睨みを利かせていたこともあって争いらしい争いはない。
それなのに、なぜ?
考え始めた兵士に向かって、セレスティーヌが言った。
「今回の反乱は、我が国で暗躍する”企む者”によって引き起こされたものでした。その者と貴国が、何らかの密約を結んでいたと考えられます」
兵士たちが目を見開く。
その中でただ一人、先頭にいた兵士がセレスティーヌから目をそらした。
それにセレスティーヌは気付いたが、構わず話を続ける。
「”企む者”は、我が国の政権転覆を狙っています。それを貴国に支援してもらうかわりに、ロベール領を貴国に譲渡するか、属領とする約束したのではないでしょうか」
驚く兵士たちに向かって、セレスティーヌがさらに驚くべきことを言った。
「ですが、たとえ貴国がこの地を手に入れたとしても、無駄な血を流すだけで、悲しい結末が待っていることでしょう」
「そんなことはない!」
突然大きな声がした。
「我が国にとって大陸進出は悲願。この作戦が成功すれば、その大きな一歩を踏み出すことができたはずなのだ!」
さきほど目をそらした兵士がセレスティーヌを睨んでいた。
強い視線を向けられて、だがセレスティーヌが表情を変えることはない。
「では聞きます。この地を手に入れて、その後貴国はどうするおつもりなのですか?」
「それは」
兵士が言い淀む。
「仮に、”企む者”が我が国の政権奪取に成功したとしましょう。そうすれば、しばらくは貴国とよい関係が続くかもしれません。ですが、数年も経てば、この地を巡って争いが起きるはずです」
「なぜだ? この地は正式にシャブラン公国の属領になるんだぞ?」
気色ばむ兵士に、セレスティーヌが冷静に答えた。
「王国の新政権にとって、山脈のこちら側に隣国の属領があることが不都合になる日が来るからです。おそらく、何らかの理由をつけてこの地を取り返そうとするに違いありません」
「そんなことを我が国が許すはずがない!」
「残念ながら、簡単に手放すものと思われます」
「そんな馬鹿なことがあるか!」
兵士が身を乗り出した。
掴み掛からんばかりの勢いに警護の騎士が動き掛けたが、それをセレスティーヌが止める。
「モンチェスト山脈を挟んだこの地は、貴国にとって完全な飛び地。その統治は難しいものになるでしょう。また、この地を足掛かりに大陸に進出しようとしても、先には広大な大地といくつもの強国が待ち受けています。海戦ならともかく、陸戦では貴国の兵士の強みは発揮しにくい。この地を所有するメリットとデメリットを比べた時、デメリットの方が大きいと判断される可能性は高いのではないでしょうか」
理路整然と指摘されて、兵士は反論できなかった。
かわりに、苦々しげな声で聞く。
「では、なぜ我が国はこの地を得ようとしたのだ?」
セレスティーヌが慎重に答えた。
「本当のところは分かりませんが、おそらく貴国内部の事情によるものでしょう。一時的であれ、山脈の向こうに属領ができることで何かの問題が解決する。そういうことではないでしょうか」
兵士がハッとしたように目を開いた。そして、小さく顔を歪ませる。
何か思い当たることがあったのだろうか。その拳が震え始めた。
兵士が口をつぐんだのを見て、セレスティーヌが全員を見渡す。
「この度の騒乱は、我が国で暗躍する”企む者”と、貴国内部の事情が引き起こしたものです。そのために、この地の民は大変な苦しみを味わうことになりました」
兵士たちが目を伏せた。
命令とは言え、自分たちはそれに手を貸したのだ。
「国を守るためでもなく、正義のためでもない。一部の人間の思惑で民が苦しむ。そんなことが許されてよいと、皆さんはお思いですか?」
全員が下を向いた。
罪悪感が重くのし掛かる。
兵士たちが、強く目を閉じた。
その時。
「ですが、皆さんにその責を問うのはあまりに酷だと思います。陰謀に巻き込まれたのは、皆さんも同じこと。この地の民も被害者ですが、あなた方も、じつは被害者なのですから」
兵士たちがそっと目を開けた。
床を見つめたままセレスティーヌの声を聞く。
「ところが、被害者である皆さんが罰せられる可能性があるのです。公国側が、騒乱の責任を皆さんに被せて事態の収拾を図るかもしれないからです」
兵士たちの顔が一斉に強張った。
その可能性はたしかにあった。だが、これまではそれを考えないようにしてきたのだ。
「おかしな話です。理不尽だと思います。だからこそ、わたくしは皆さんに協力をお願いしたいのです」
兵士たちの耳に、熱の籠もった声が飛び込んでくる。
「あなた方にも家族がいるはずです。愛する者、会いたい人がいるはずです。その人たちを守るためならば、命を懸ける必要もあるでしょう。ですが、今回は違います。こんな下賤な企みのために、命を落とす意味などないのです」
半数の兵士が顔を上げた。
「くだらない茶番のために、命を懸けてはいけません。あなた方の命は、本当に必要な時に取っておくべきです」
すべての兵士が顔を上げた。
その顔すべてを強く見つめて、セレスティーヌが言った。
「わたくしは、茶番を仕掛けた者たちに、茶番で返したいと思っています。企みをすべてひっくり返して、両国の平和を取り戻したい。それに力を貸して欲しいのです」
全員が頷いた。
背筋を伸ばす三百の顔に向かって、セレスティーヌが両手を広げた。
「真に国を守るため、茶番を仕掛けた者に一矢報いてやりましょう。そして、全員で、家族の元に帰るのです!」
次の瞬間。
「おおっ!」
兵士たちが拳を振り上げた。
「協力します!」
「茶番でも何でもやってやらぁ!」
兵士たちが気勢を上げた。
興奮する兵士にたちに向かって、セレスティーヌが深く頭を下げる。
「皆さん、ありがとう」
それを見た兵士たちが、表情を引き締めて、次々と膝を折っていく。
今度はセレスティーヌが驚いた。
「あ、あの」
狼狽えるセレスティーヌに向かって、先頭の兵士が言った。
「我々は公国の兵士です。よって、殿下に生涯の忠誠を誓うことはできませんが」
先ほど大声を上げていた兵士だ。
その兵士が、恥ずかしそうに笑いながら言った。
「この国にいる間だけは、殿下のために働くことをお許し願えませんでしょうか」
セレスティーヌが嬉しそうに笑う。
「ありがとう。頼りにしています」
「はっ!」
三百の兵士が一斉に頭を垂れた。
一部始終を見守っていた騎士たちも、膝を折って誇らしげに微笑む。
世間知らずの我が儘姫は、この日、三百有余の力強い味方を得たのだった。




