3-7
「あなたではありません!」
「……え?」
声の主と、ほか全員を驚かせたセレスティーヌは、それ以上に驚いたように目を見開いた。
静かになったその空間で、セレスティーヌが小さく言う。
「あの、失礼しました」
その顔は真っ赤だ。
「ジル殿。あ、いえ、ジルさん。どうしてあなたがここに?」
恥ずかしそうに聞かれて、ジルが申し訳なさそうに答える。
「その、何ていうか、偶然です」
場にふさわしくない奇妙なやり取りを、男たちは黙って聞いていた
あまりに意表を突かれると、人の思考は止まってしまうものらしい。
「そうなのですね。それで、どのようなご用件でしょうか」
セレスティーヌの言葉で、ジルの目が覚めた。
「用件は……いや、違う。貴様ら、その人から手を放せ!」
ようやく本線に戻った。
「その人はただの行商人だ。この町の事情とは関係ないだろう!」
男たちも目を覚ました。
「そんなこと分かってるさ! でもな、こうでもしなきゃ、家族を養えないんだよ!」
別の男も叫ぶ。
「お前みたいに家も仕事もある奴なんかに、俺たちの気持ちが分かるものか!」
「それは」
ジルの顔が強張った。
どうやら男たちはジルの知り合いらしい。
言葉を詰まらせるジルを見て、男たちが勢いづいた。
「俺たちは昨日から何も食べていないんだ!」
「だが、ご領主様が毎日炊き出しを」
「そんなの全員に行き渡るはずないじゃないか。スラムにどれだけの人間がいると思っているんだ?」
それはジルにも分かっていたのだろう。
苦渋の表情でジルがうつむく。
黙ってしまったジルに、男の一人が悲しそうな声で言った。
「ジルが何とかしようとしてくれてるのは知っているさ。だがな、俺たちは”今”をどうにかしなきゃならないんだ。今夜の飯、今夜の寝床をどうするかで精一杯なんだよ」
まさに現実だった。
他人から奪わなければ、自分や家族が生き延びられない。そんな状況の人間に、理想や理屈は通用しない。
「それはそうかもしれないが」
弱々しくジルが呟いた。
男たちがジルを睨みつけた。
緊張状態の続くその場に、ふと冷静な声がした。
「では、あなた方は、この後わたくしを食べるということですか?」
「え?」
何を言われたのか分からない男たちがきょとんとする。
「今夜の食事に困っているあなた方がわたくしを攫うということは、わたくしの肉を切り取り、それを煮るなり焼くなりして食べるということなのでしょうか」
「いや、そういう訳じゃあ」
ようやく質問の意味が分かって、慌てたように一人が答えた。
「では、わたくしの家族から身代金でも脅し取ろうと言うのですか?」
そんなことまで男たちは考えていない。
ゆえに、男たちはセレスティーヌの問いに動揺した。
「わたくしの家族は、遠く離れた場所にいます。家族と連絡を取り合うだけでもかなりの日数を要するでしょう。その間あなた方のお腹が満たされることはありません。極めて合理性に欠けるやり方だと思います」
冷静な言葉に、荒ぶる男たちの勢いが萎んでいく。
セレスティーヌを捕らえていた男が、その腕を解いた。
自由になったセレスティーヌが、振り返って三人の顔を順に見ていく。
そして、鞄を奪った男に言った。
「あなた方の事情はよく分かりました。ですから、手持ちのお金はすべて差し上げます」
「そ、そうなのか?」
男が目を見開く。
「ですが、お金以外はすべて返してください」
鞄を持った男が仲間を見るが、ほかの二人は何も言わない。
そこに、強い声がした。
「もう一度言います。お金以外は返しなさい」
「はい!」
大きく返事をして、男が鞄を差し出した。
それをセレスティーヌは受け取らない。
「兄様、鞄を」
「あ、ああ」
レナルドが慌てて鞄を手に取った。
「短剣も拾っておいてください」
「分かった」
レナルドが足下の短剣を拾い上げる。
それを確認すると、セレスティーヌは改めて男たちを見た。
深く透き通るサファイアの瞳に見つめられて、男たちは動揺した。
それは、娘が美しいからではない。
金を盗んだ罪悪感からでもない。
その視線には、力があった。
見下ろしているはずなのに、まるで見下ろされているように感じた。
行商人とは思えない威厳。
ただの町娘では持ち得ない品格。
全員が気圧されていた。
今すぐ膝を折って頭を垂れなければならない。そんな感覚を抱いていた。
音の消えたその空間に、静かな声がする。
「わたくしは、今すぐあなた方を救うことができません。ですが、どうか信じてほしいのです」
何を言い出すのかと男たちが首を傾げる。
その耳が、予期しない言葉を聞いた。
「近い将来、この町で起きている問題は解決します。それまで、人の道を外れることなく耐え忍んでは頂けないでしょうか」
驚く男たちの前で、セレスティーヌが両手を前で揃えた。
「無理は承知の上です。それでも、どうか、お願い申し上げます」
セレスティーヌがゆっくりと腰を折った。
三人の男が目を見張る。
ジルの目も大きく開いていく。
レナルドは、驚愕のあまり呼吸することも忘れていた。
男たちは黙ってセレスティーヌを見つめている。
普通なら、小娘が何を言っているのかと呆れるところ。もしくは、何も知らないくせにふざけるなと怒鳴る場面だ。
しかし、男たちに不思議とそういう感情は生まれてこなかった。
「分かった。あんたを信じてみるよ」
鞄を奪った男が言った。
「言っておくが、この金は返さないからな。でも、人から金を取るのは、もうしないようにする」
革袋を持った男が言った。
最後に、セレスティーヌを捕まえていた男が言った。
「俺たちに余裕はないんだ。いつまでも待ってはいられないからな」
顔を上げたセレスティーヌが、真剣な顔で答えた。
「わたくしの全力を持って、この町を救うと誓います」
真っ直ぐな瞳をしばらく見つめ、一度顔を伏せた後、三人は背中を向けて歩き出した。
数歩進んだところで、男の一人がふと振り向いて、恥ずかしそうに笑った。
その姿が路地の向こうに消えたのを確認すると、セレスティーヌは、小さく息を吐き出してからジルに向き直る。
「あの方たちとはお知り合いなのですか?」
「まあ、そうだ」
気まずそうにジルが答えた。
「あいつらは、先月まで近所に住んでいた。みんな腕のいい職人だったんだ」
「そうでしたか」
三人とも今回の騒動の犠牲者ということなのだろう。
「あいつらも必死だったんだと思う。金は俺が弁償するから、どうか許してやってくれないか」
詫びるジルに、セレスティーヌがきっぱり答えた。
「今回のことは気にしていません。よって弁償も不要です」
ジルが目を丸くした。
その顔を引き締めて、今度はジルが聞く。
「あんたたち、本当に行商人なのか?」
不意を突かれて、セレスティーヌの顔が強張った。
「商人っていうのは損得で動くもんだろう? だけど、あんたたちそうじゃない。ただの行商人が、危険を冒してまで反乱に首を突っ込むなんて考えられない」
もっともな言葉だが、セレスティーヌにはうまい返事が思い浮かばない。
「旅をしているという割に、アンナさんは日焼け一つしていない。行商人というより、深窓の令嬢という方がしっくりくる」
まさにその通り。
セレスティーヌは、深窓の令嬢の中でも最も高貴な存在だ。
「あんたたちは、悪い人間ではないと思う。だけど、どこまで信用していいのか俺には分からないんだ」
「だから見張っていたということですか?」
突然レナルドが口を挟んだ。
一瞬目を見開いたジルが、諦めたように答える。
「そうだ」
セレスティーヌが驚いて聞いた。
「レナルド……兄様は、ジルさんに気付いていたのですか?」
「素人の尾行に気付かないほど俺は間抜けじゃない」
平然と答えると、レナルドはジルに真剣な顔を向ける。
「俺たちを疑うのも無理はないと思う。でも、さっきのアンナの言葉は嘘じゃない。どうか俺たちを信じてくれないだろうか」
レナルドがジルを強く見つめた。
それをジルが見つめ返した。
沈黙の後、ジルの視線がセレスティーヌへと向かう。
そして、笑いながら言った。
「分かったよ。あんたたちを信じよう」
レナルドがホッと息を吐き出す。
「ありがとう」
セレスティーヌも微笑んだ。
緊張を解く二人に向かって、ジルが驚くべきことを言った。
「じゃあ、今夜集会が行われる”本当の場所”を教えるよ」
「……はい?」
二人の口が、ポカンと開いた。
「食えない男でしたね」
「まったくですわ」
再び歩き出した二人が、肩を落として言葉を交わす。
「嘘の場所を教えておいてロベール卿に報告、現れた我々を捕らえて尋問するつもりだったなんて、考えもしませんでした」
落ち込むレナルドは、すっかり言葉が主従に戻ってしまっている。だが、それに気付かないほどセレスティーヌもショックを受けていた。
たった一日で核心に近付いたと喜んでいたのに、じつは罠に掛かっていたのだ。先ほどの強盗騒ぎがなかったら、二人は今夜揃って捕縛されていた。
「でも」
レナルドが顔を上げる。
「我々が襲われているのを見て、あの男は思わず飛び出してしまった。きっと心根は優しい人間なのでしょう」
「そうですわね」
セレスティーヌも顔を上げた。
「我々を欺いたのも、腹黒いからではなく、反乱を主導する者の責任感ゆえだと思います。そうだとしたら、本当の場所を教えてくれたその心に我々も応えなければなりません」
「その通りですわ」
セレスティーヌが強く頷いた。
「わたくしたちは、ジルの信頼に応える必要があります。ジルだけでなく、フラヴィやあの三人の男たち、そしてこの町すべての民を救うために、全力を尽くすのです」
レナルドも強く頷いた。
「セドリックが待っています。寺院に急ぎましょう」
「かしこまりました」
前を向き、気を引き締めて、主従は寺院へと向かった。
寺院の裏手にある墓地。その片隅にある物置小屋の陰でセドリックは待っていた。
「待たせてしまってごめんなさい」
「何かあったのですか?」
「そうですわね。いろいろな事がありました」
昨夜からの出来事をセレスティーヌが話して聞かせた。
「そうですか。殿下はジルさんに信用してもらえたのですね」
感心したように呟いて、セドリックが小さく微笑む。
「では、僕の掴んだ情報もお伝えします」
表情を引き締めてセドリックが話し始めた。
昨日から今日にかけて、スラムを中心にある噂が急速に広まっていた。
決起の日は近い
間違いなく意図的に流されたその噂は、溜まりに溜まった民の不満を噴火寸前にまで押し上げている。
人々が武器になりそうな物を集め始めた。
投石で使う石が荷車に積まれていった。
不満を口にしていた人々が、何も言わなくなっていた。
「義勇軍が立ち上がったとなれば、相当な数の人がそれに続くと思います」
「そうですか」
セレスティーヌが難しい顔をして考え込む。
おそらくスラムには情報が迅速に伝わる仕組みができているのだろう。もしかすると、隊長のような人間が複数いて、隊を組んで動けるようになっているかもしれない。ジルの思慮深さを考えれば、スラムの人々を組織化している可能性は十分あった。
怒りにまかせて突進するだけの集団なら、モーリスの軍でじゅうぶん抑えられる。しかし、組織化された相手となると苦戦を強いられるかもしれない。そこにロベール卿の不意打ちを受ければ、モーリス軍は壊滅する恐れがあった。
「やはり反乱そのものを防ぐ必要がありますね」
呟いたセレスティーヌが、セドリックに聞いた。
「アルフォンスとはまだ連絡が取れないのですか?」
「申し訳ありません」
「あなたが謝ることではありません」
セドリックに答えておいて、心の中で悪態をつく。
本当に役に立ちませんわね
ふぅと小さく息を吐き出すと、セレスティーヌが真剣な顔で言った。
「今夜、わたくしが集会の参加者を説得します。ただし、それがうまくいくとは限りません。説得に失敗した場合、わたくしは即座にこの町を離れます」
先ほどまでのセレスティーヌであれば、自信満々で説得すると言い切ったことだろう。
だが、一度ジルに騙された今、それはできなかった。
「あなたはこのままモーリスの陣に向かいなさい。状況を説明して、いつでも軍を動かせるよう準備をしておくのです」
「かしこまりました」
「その後、騎士団長に、町の出口近くに騎士を待機させるよう伝えなさい。わたくしとレナルドが脱出した時の護衛のためです」
「かしこまりました」
セドリックが頷いた。
「その護衛と一緒にあなたも待機していなさい。説得に成功した場合でも、一度は合流します。そこで次の指示を出します」
セレスティーヌの指示には淀みがなかった。
セドリックと、そしてレナルドの背中がピンと伸びる。
「では行きなさい」
「はい」
一礼して歩き始めたセドリックが、ふと振り返った。
「殿下」
「なんですか」
怪訝な表情のセレスティーヌに向かって、セドリックが言った。
「僕は、殿下にお仕えすることができてよかったです」
驚くセレスティーヌにもう一度礼をすると、セドリックは全力で駆けていった。




