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ジルの家に向かう途中、セレスティーヌは、レナルドに命じて短剣を一本購入させた。
「殿下……アンナ。こんなものを買ってどうするんだ?」
レナルドはすでに短剣を持っている。チョッキの下に隠してあるそれは、今買ったものよりはるかに頑丈で上等なものだ。
レナルドから短剣を受け取ったセレスティーヌが、屈みながら言った。
「これは、こうするのです」
セレスティーヌは、何の躊躇いもなくそれを近くの石に擦りつけた。
安物の短剣があっという間にボロボロになる。
「この短剣は、父の形見なのです。わたくしたちは、これを直してもらうために鍛冶師であるジルに会いに行きます」
「なるほど」
レナルドが感心したように頷いた。
「安物だけれど、わたくしたちにとっては大切な短剣。ぜひ腕のいい鍛冶師に修理をお願いしたい。ジルにはそう伝えます」
「かしこ……分かった」
セレスティーヌが差し出す短剣を受け取ると、一緒に買った安物の鞘に納めて、レナルドはそれを鞄にしまった。
「では行きましょうか」
ジルの家を探して二人はまた歩き出した。
ジルと会ったら何を話すか。
どうしたら反乱を諦めさせることができるか。
考えながら、同時にセレスティーヌは町の様子を観察する。
町にはまるで活気がなかった。開いている店は少ないし、歩いている人々は皆うつむいている。
陣を訪ねてきたセドリックを見た時には驚いたものだが、見れば似たような姿の子供たちがそこら中にいた。
ゴミを漁る男の子や、ぼうっと座り込む女の子。
その光景に、セレスティーヌは胸が締め付けられた。
領主の住む町でこうなのだから、領内のほかの町は一体どうなっているのだろう。
「ロベール卿は、一体何を考えているのかしら」
レナルドにも届かないほど小さな声でセレスティーヌが呟いた。
遠征軍が到着した日、ロベール卿は陣に挨拶に来ていた。
ロベール卿とは初対面ではない。モーリスもセレスティーヌも、王都で行われた行事で顔を合わせている。
精悍な顔立ちとがっしりした体躯。西の国境を守るにふさわしい屈強な男という印象で、しばらく振りに会った今回もそれは変わらなかった。
型通りの挨拶の後、モーリスが言う。
「しばらくここに滞在して、兵の訓練をさせてもらいます。少し騒がしくなりますが、よろしくお願いします」
「かしこまりました。食料その他、ご入り用な物がございましたら何なりとおっしゃってください」
「助かります。時間があれば、隣国の様子なども聞かせてもらえると嬉しいです」
「もちろんでございます」
ロベール卿がにこやかに答える。
「ところで」
その顔がセレスティーヌに向いた。
「滞在中、セレスティーヌ殿下は何をされるのでしょうか」
予想通りの問い掛けだ。
モーリスは王子なので、この遠征で軍を率いる経験を積ませるという名目が成り立つ。だが、セレスティーヌは王女だ。王位継承権を持たず、いずれはどこかに嫁いでいくことが決まっている。遠征に同行して来る理由が分からない。
問われたセレスティーヌは、大袈裟にため息をついた後、つまらなそうに答えた。
「わたくしは、民の様子を見てこいと父に言われたから来ただけです。ここに来るまでにそれは十分見ましたので、もうすることはありません」
不本意だったが、そう答えておく方がこの後動きやすくなる。
「承知いたしました」
ロベール卿が頭を垂れた。
その様子から何かを読み取ることはできない。
「では、私はこれで」
去って行く背中にも不審な様子はなかった。
「ロベール卿は、反乱に関わってはいないみたいですね」
「そうですわね」
モーリスの言葉に、セレスティーヌは気のない返事を返していた。
ロベール卿は根っからの武人だ。その性格は真っ直ぐで、陰謀の類いを嫌う。中央に不満があるのなら、使者を寄越すか、直接王都に乗り込んでくるだろう。もしくは、モーリスと対談した時に不満を訴えていたに違いない。
だが、ロベール卿は何も言わなかった。
それなのに、領内の税率は”中央の指示で”上がっているという。そのせいで夜逃げをする者が続出し、その者たちをロベール卿が支援している。
「本当に訳が分からないわ」
セレスティーヌが難しい顔をした時。
「返して!」
ふいに甲高い子供の声が聞こえた。
「うるせぇ!」
続いて別の子供の声がする。
路地を覗くと、何かを奪い合っている数人の子供たちがいた。
「それは私が買ったのよ!」
「そんなの関係ねぇ!」
体の大きな男の子が、一本の細長いパンを高く掲げている。
そのパンに向かって、女の子が必死に手を伸ばしていた。
「返してよ!」
「これは俺のだ!」
女の子も必死だが、男の子も必死だ。いたずらとかそういう雰囲気ではない。
「お願いだから……キャア!」
突然別の男の子が女の子を突き飛ばした。
地面に転がる女の子に背を向けて、一目散に男の子たちが走り出す。
「返して」
逃げていく男の子たちに、女の子の声はもう届かなかった。
一部始終を呆然と眺めていたセレスティーヌの耳元で、レナルドが囁く。
「行きましょう。我々の目的はジルの家を」
「待ちなさい」
短く言って、セレスティーヌが歩き出す。
「殿下!」
レナルドの制止も聞かず、セレスティーヌは女の子に歩み寄った。
力なく立ち上がった女の子に、セレスティーヌが声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
驚いて振り向いた女の子が、顔をしかめて膝を押さえた。
「痛むのですか?」
女の子は答えなかった。
かわりに、目を強く閉じて、小さな声で呟く。
「私が買ったのに」
地面にポトリと涙が落ちる。
「お父さんが待ってるのに」
悔しそうにそう言って歯を食いしばる。
たまらずセレスティーヌが言った。
「あのパンはいくらするのですか? もしよければ、わたくしがパンの代金を」
「アンナ!」
後ろから強い声がした。
振り向くと、レナルドが怖い顔で睨んでいる。
それ以上関わるな
その目はそう言っていた。
だが、セレスティーヌは引かなかった。
「兄様、せめてパンの代金だけでも」
その訴えを、女の子が遮る。
「パンは、もう売ってない」
「えっ?」
驚くセレスティーヌに女の子が言った。
「今日は買えたけど、いつもは、お店が開く前から並んでもほとんど買えないから」
セレスティーヌはハッとした。
この町では物が手に入りにくくなっていると、今朝レナルドから聞いたばかりだった。
「それに、知らない人からお金をもらうなんてできない。お父さんに怒られる」
そう言うと女の子は歩き出した。だが、膝が痛いらしくびっこを引いている。
セレスティーヌが唇を強く噛んだ。
自分には何もできない。
それが、とても腹立たしくて悲しかった。
レナルドがまた目で訴えている。
頭では分かっていた。今は本来の目的を優先すべきだ。
しかし。
「兄様」
セレスティーヌは、どうしても女の子を放っておくことができなかった。
「わたくしは、この子を家まで送りたいと思います」
レナルドが目を見開いた。
女の子も驚いてセレスティーヌを振り返った。
「わたくしには何もできませんが、せめてそれくらいはさせてください」
微笑みながら女の子に近付くと、その前に腰を落として背中を見せる。
「わたくしが背負って差し上げます。さあ、お乗りなさい」
「でも」
女の子は戸惑うが、セレスティーヌは本気だった。
「さあ、早く」
促されて、女の子がそろそろとセレスティーヌの肩に手を伸ばした。
その時。
「はぁ」
大きなため息に続いて、怒ったような声がした。
「アンナでは無理だ。俺が背負う」
セレスティーヌの隣にレナルドがしゃがみ込んだ。
「いえ、わたくしが」
「だめだ」
セレスティーヌが怯むほど強く否定すると、首を後ろに曲げてレナルドが言う。
「乗りなさい。家まで送るから」
二つ並んだ背中を見ていた女の子は、結局、広くて大きな背中を選んだ。
背負われた女の子が小さく言う。
「ごめんなさい」
「気にするな」
答えたレナルドが、諦めたように言った。
「妹の我が儘は、今に始まったことじゃないからな」
それを聞いたセレスティーヌが、不満そうにレナルドを見る。
そしてセレスティーヌは驚いた。
微かに、本当に微かに、レナルドが笑っているように見えたのだ。
それが本当に笑みだとするならば、それはセレスティーヌが初めて見たレナルドの笑顔だった。




